元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮
- tootake
- 4月28日
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更新日:2 日前
第666話 #伊豆加志本宮 #神殿太夫武麿 #海柘榴市
大和国長谷寺(奈良県桜井市初瀬)は、言わずと知れた西国三十三所観音霊場の八番札所です。山号は豊山長谷寺で豊がついていることから、台与(豊)との関連が窺われます。
現尊像は、十一面観世音です。大泊瀬與喜山の麓には與喜天満宮(よき・てんまんぐう)があり、天照大神が初めて降臨した地と伝えられています。
與喜山は、古くは大泊瀬山と呼ばれ、古代大和の国では最初に太陽の昇る神聖な山としてあがめらていますました。天照大神が、天上からこの山にはじめて降臨されたと伝えられています。 そのために、長谷寺も元伊勢と呼ばれています。
聖なる三輪山を守護するために笠縫邑から始まった御巡幸は、その東西南北を守り固めるという主旨に則り、三輪山の真東にあたる初瀬(はつせ=はせ)周辺を御巡幸の地と定め、そこを伊豆加志本宮(いつかしのもとのみや)と呼ぶようになったとされています。
伊豆加志本宮の比定地については笠縫とする説もありますが、長谷寺周辺の初瀬である可能性が高いようです。初瀬(はつせ=はせ)は三方を山に囲まれ、初瀬川(はつせがわ=はせがわ)も流れる景勝地であり、東西の交通の要所でもあります。また、神の籠る聖地として名高く、古代より長谷寺を筆頭に、與喜天満神社、滝蔵神社、長谷山口坐神社などの著名な神社が存在します。
現在の本殿の向かって左に古代信仰のままに磐座(鵝形石)に祭られているのが天照大神で、女性の守護神として信仰されています。 一またその後方の鍋倉山には、延喜式式内社の鍋倉神社が磐座に祭られています。ご祭神は大倉姫神、別名;下照姫で、その美しさは、衣を通して地を照らすほどであったといいます。
・大倉姫神は、倉~倉下=高倉下=台与です。
・下照姫=高比売命(高照姫)=台与です。
・その美しさは、衣を通すとは、衣通姫(そとおり)姫のことです。~衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊)
長谷寺は、三輪山の麓にあり、山の辺の道の起点である海石榴市(つばいち)があった場所に通じています。海石榴市は椿市とも書きます。善信尼が僧衣をはぎ取られ鞭で打たれたとされるのもこの地です。善信尼は=台与です。~第632話:観音菩薩と台与(5)~鶴林寺
海柘榴市は大和川を通じ、難波(なにわ)と大和とを結ぶ重要な海運ルートの拠点でした。大陸からの仏教はここ海柘榴市に伝来したとされています。また、この地は陸路の要地でもあり、東へは初瀬谷を抜けて伊勢に通じ、平安の時代から、京や難波からの初瀬詣はここ海柘榴市が起点となっています。
椿とは、朱のことだと、第367話:椿の記憶~猿田彦と朱では書きました。
全国で椿の名がついた地名は、水銀鉱山の近くや朱産地を思わせる地名(丹生、仁、赤、塩、入、碇、水金、白銀)の近くで、また運搬のためか海辺や川に近いことも共通しています。
與喜天満宮の祭神は、菅原道真なのですが、社伝では、この初瀬の里に神殿太夫武麿という修行を積んだ高徳の人がおり、 天慶9年武麿は高貴な老人の夢を見ました。十一面観音を参り、瀧蔵権現に参ると、急に黒雲が湧いてきてその翁を包みました。 すると、翁は立派な衣冠装束姿となり「私は菅原道真」と名乗り、「私はこの良き山に神となって鎮座しよう。」と語って 言葉の通り神鎮まりました。天暦2年(948年)7月、武麿は神殿を建立しました。 これが與喜天満神社の創祀とされています。瀧蔵権現が道真公の神霊に「良き地」だとおっしゃったことから起こりました。 「吉(よし)のお宮」→與喜天満宮(よき・てんまんぐう)と呼ばれる由縁です。
・武麿は、ウツシコオです。武=竹はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)のキーワードです。
~第388話:スサノオのキーワードは角と竹
そして與喜天満宮の祭神は、元々は菅原道真ではなくウツシコオです。
~第449話:菅原道真は、なぜ天神なのか!
また中世芸術を代表する芸能・能楽も、與喜天満宮と深い関係があります。 能楽師の金春禅竹は「明宿集」に、自分たちの祖先・秦河勝が初瀬川の河上から流れてきた壺の伝承を記し、 また、與喜天満神社の神主が、昔、泊瀬與喜の宮のあいます大夫、神慮奇特の人なりしが、その歌に云「泊瀬山谷の埋もれ木朽ちずしてこん春にこそ花は咲きつげ」と、神秘的な和歌を詠んだことが記されています。 当社は能楽の発祥の聖地と考えられています。
・秦河勝はウツシコです。~第462話:秦河勝:摩多羅神はウツシコオ!
・雅楽など芸能の始祖は、多氏の始祖の神八井耳命のとされその後裔とされる多自然麿、その子孫は地下(じげ)の楽人として代々宮廷に仕えています。神八井耳命は台与です。~第231話:神八井耳命は三毛入野
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<蛇足の追記>
長谷寺では、泊瀬(はせ)の地を補陀落山に見立て、小泊瀬の険しい崖に懸崖造りのお堂を建て、自然湧出に見立てた盤石に観音を安置しています。「磐石に立つ」ことが長谷観音にとっては大きな意味があるのです。磐座神社の磐座(いわくら)とは、古代より神として信仰されている巨大な岩のことです。磐(岩)は台与のキーワードです。
・大阪府交野市に巨石があり饒速日(にぎはやひ)が天下った磐船神社になっています。
・熊野にあるゴトビキ岩(神倉山)が速玉大社の本宮です。祭神は高倉下です。
~第543話:熊野の神々は、、、
カトリックの巡礼地のひとつであるモン・サン・ミシェルは、司教オベールの夢に現れた大天使ミカエルの「あの岩盤に聖堂を建てよ」との命から、708年、そこに礼拝堂を作ったのが始まりとされています。聖書によると岩盤はイエス自身であり、神のお告げで岩盤の上に教会を建てたという由縁は、開闢年代も近い長谷寺との類似性が感じられ、興味深い課題です。~長谷観音は何故これほどまでに信仰されてきたのか | 芸術教養学科WEB卒業研究展 | 京都芸術大学通信教育課程
・長谷寺の山号は、豊山で、真言宗豊山派で、豊がついています。
<元伊勢シリーズ>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

【元伊勢三社詣り③】畿内五芒星 出雲大社から霊峰富士へ繋がるレイライン|元伊勢外宮 豊受大神社
天日鷲、伊勢国、 – 古代史俯瞰 by tokyoblog
仲姫命 - Wikipedia
伊豆毛神社 - くにたまの会
天皇は使いを越前笥飯宮に遣わし、皇后に穴門(下関海峡)で会わんことを伝え穴門に至った。皇后は、越前角鹿より船に乗り北海を若狭(湾)の加佐・与佐の竹野海を経て、多遅麻国の 三島水門ミシマミナト(豊岡市津居山) に入り、内川(円山川)を遡り、粟鹿大神・夜父大神に詣で給う。ついで出石川を遡り、伊豆志大神に詣でます。
少彦名命が多食倉長命の娘の伊豆目比売命(市杵嶋姫命)
伊豆美(山背国、相楽郡、水泉に 比定されている)の地
現在に伝わる香取氏の系図(『続群書類従』等に所収)では
、「経津主尊-苗益命-若経津主命-武経津主命-忌経津主命-伊豆豊益命-斎事主命-神武勝命……」と続けます。
香取氏の系図(『続群書類従』等に所収)では、「経津主尊-苗益命-若経津主命-武経津主命-忌経津主命-伊豆豊益命-斎事主命-神武勝命……」と続けます。
『姓氏録』では唯一、未定雑姓河内に掲げる矢作連が祖を「布都奴志乃命」とする。
姓氏録』では唯一、未定雑姓河内に掲げる矢作連が祖を「布都奴志乃命」とする。
「布都奴志乃命」は一般に経津主神に比定され、河内国若江郡の矢作氏でも経津主命十四世孫伊波別命の後と伝えます(『姓氏家系大辞典』ヤハギ条)。この河内の矢作氏の具体的な系譜は知られないのですが、矢作部の分布が東国の両総・伊豆・甲斐・相模などに多く見えます。この辺の事情を考えると、「布都奴志乃命」は安房・阿波等の忌部の祖の由布津主命(天日鷲翔矢命の孫で、神武朝の人)に比定するほうが妥当ではないかと思われます。同族の阿波忌部が阿波国阿波郡に式内社の建布都神社を奉斎したことにも通じます
伊豆→出雲
そしてこれらは「伊豆志之八前大神(いづしのやまえのおおかみ)」と称されるという[6](兵庫県豊岡市の出石神社祭神に比定)。『古事記』では、その後続けてこの伊豆志大神についての物語が記される。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
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hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語