第587話 #推古天皇 #台与(豊) #邪馬台国
和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよ・みけかしきやひめのみこと:日本書紀)、古事記では豊御食炊屋比売命。一方で御食炊屋姫尊(みかしきや姫)は、長髄彦の妹で、饒速日(ニギハヤヒ)の妃であるとされています。
諱(いみな)は額田部王(ぬかたべ)です。額田は大阪府東大阪市の地名です。〒 579-8021 饒速日を祭る石切神社の近くです。
大阪市交野市に私市(きさいち)という地名があります。日本書紀では敏達天皇の皇后、御食炊屋姫尊(推古天皇)にこの地を献じて、ここが私市部となった とされています。この地区は地味肥え作物豊かな野であったので「甘野」といわれ、後に天野(あまの)となりました。古事記(神話)・日本書紀に出てくるアマ・アメ(天)はこの交野市私市(天野)が起源です。~第347話:推古天皇は架空の天皇~交野市私市
第430話:倭(やまと)は高槻市、葛城は交野市で書いたように交野市郡津(こうず:高津)です。この辺りは、片野物部の本拠地です。高倉下の名前の元になった倉治(くらじ)もここです。「葛城高宮 我家(ワギヘ)のあたり」です。ということで疫病の大流行でこの地が放棄されるまでは葛城は交野市であることが言えます。
推古天皇の時代の出来事としては遣隋使の派遣があります。
このBC600年の遣隋使は、隋書に記録が残されていることから、実際に遣使があったと考えられています。ただし隋書や北史はこの遣隋使を送った王を妻のいる男性としています。旧唐書・東夷 倭國 でも倭国の王の姓は阿毎氏(アメ)であるとしています。新唐書・列傳に「曰目多利思比孤直隋開皇末 始與中國通」とあり、王(当時の天皇)多利思北孤としています。
このことによっても推古天皇が架空の天皇であることがわかります。おそらく記紀の作者たちもこの時の天皇(大王)であるのか知識(記録)は無かったと思われます。
~第350話: 遣隋使とウツシコオ
また推古天皇時代に起こった出来事としては、守屋討滅事件と崇峻天皇を暗殺事件があります。このブログでは物部守屋もウツシコオモデルにした架空の人物としています。
~第465話:ミシャグジ様は物部守屋=ウツシコオ 、第544話:物部守屋雑記
物部守屋討滅の翌月、額田部と群臣が泊瀬部皇子(崇峻天皇)に即位を勧め、即位の礼が執り行われ、蘇我馬子を始め群臣の地位はそのまま維持されます。しかし、5年後の崇峻5年、天皇が献上された猪を指して「いつの日かこの頸を斬るように、自分がにくいと思うところの人を斬りたいものだと述べたことを聞いた蘇我馬子は、崇峻天皇が自分を嫌っていると警戒し、に崇峻天皇を暗殺したとされています。
そして、その後、豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめ)は、3度請われて遂に豊浦宮において即位したとされています。この時豊御食炊屋姫尊は日本(倭国)史上初の女性の大王(女帝)となったとされています。しかしヤマト(邪馬台国)史上初の女性の大王(女帝)は台与(豊)なのです。
前の天皇を殺した後に、大王(天皇)に即位するというのは第585話:允恭天皇(19代)~清寧天皇(第22代)で書いた天皇家の即位を巡るゴタゴタを思い起こします。
殺された崇峻天皇が泊瀬部皇子は「はつせべのわかささぎのすめらみこと」で帝位継承の邪魔となる兄弟や従兄たちをつぎつぎと粛清した後即位した雄略天皇が大泊瀬幼武天皇「おおはつせわかたけのすめらみこと」でともに 泊瀬(はつせ)であることも意味がありそうです。
※推古天皇も台与(豊)をモデルとして創作された人物です。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
古事記が伝える推古天皇の姿 -(『日本の神様図鑑』記事より画像引用)

大名草彦と菟道彦(うじひこ)
『古事記』や『日本書紀』では、天岩戸の神話において天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天児屋命(あめのこやねのみこと)が祭祀関係に携わったことが記され、両神は天孫降臨においてもともに付き従っている。そのうち天太玉命が忌部氏の祖、天児屋命が中臣氏の祖とされ、両氏は記紀編纂当時の朝廷の祭祀を司っていた。なお、記紀では天児屋命の方が天太玉命よりも重要な役割を担っているが、これは編纂当時の中臣氏と忌部氏の勢力差を反映しているとされる。逆に忌部氏側の『古語拾遺』ではその立場は逆転している。
天太玉命の出自については、『古語拾遺』では天太玉命は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子であるとし、『新撰姓氏録』でもこれにならうが、『古事記』や『日本書紀』に出自の記載はなく真偽は明らかでない。
歴代紀伊国造 紀伊国造 - Wikipedia
[編集]
天道根命(あめのみちねのみこと)
比古麻命
鬼刀禰命
久志多麻命
大名草比古命
宇遅比古命 → ◎
舟木命
夜都加志彦
等与美々命
楯縫神社 (美浦村郷中) - Wikipedia
藤原氏によって葬られた氏族【忌部氏】の正体とは?|きーの歴史沼チャンネル
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語