枚方・白肩・白方・平潟
- tootake
- 21 時間前
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第1061話
前回:太遣馬宿禰:毛馬(大阪市都島区)で登場した近江臣毛野は、その名のとおり近江の人とされています。滋賀県長浜市平方町に天満宮があり、「平方史跡顕揚之碑」があります。小さな神社の大きな碑として知られています。
古代近江地域の各地には、和邇(わに)氏・息長(おきなが)氏等、さまざまな古代豪族が居住していたことが、残された文献史料から分かっています。日本書紀に記された「近江毛野臣(おうみけののおみ)」は、その名からも近江出身の古代豪族とみてほぼ間違いない人物の一人です。
前回紹介した「ひらかたゆ 笛吹き上る 近江のや 毛野の若子い 笛吹き上る」の「ひらかたゆ」の「ひらかた」は、私が邪馬台国とする大阪府枚方市ではなく、滋賀県長浜市の「平方」であるとする説もあります。
この滋賀県長浜市平方町は、近江国坂田郡でまさに息長氏の本拠地とされる地です。
神功皇后(じんぐうこうごう)の出身地も、日本書紀などの伝承によると、近江国坂田郡とされています。日本書紀での名は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)で「気長」は「息長」です。
このブログでは、神功皇后は台与としています。やはり、近江臣毛野=台与の父でウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米でしょう。
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・吉備で八年を過ごした神武天皇は、難波碕から河内の白肩(しらかた)の津へ至りそこでナガスネヒコ(長髄彦)と戦います。
・第747話:浅草と枚方:茨田堤:武蔵の人・強頸で書いたように、東京の浅草も白方(しらかた)です。武蔵国分寺跡の発掘現場から「白方郷土師」と刻印された屋根瓦数枚が発掘され、遠く武蔵国分寺の建設にも「浅草:土師氏」が関わったことが判明しています。
浅草と呼ばれる以前の浅草の地名は、白方郷です。浅草の浅草寺にある聖観世音像は弟漁師・桧前浜成命・桧前竹成命が釣り上げたとされています。桧前浜成命・桧前竹成命の「桧前:ひのくま」は「日前:ひのくま」です。和歌山県和歌山市に、日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)があります。和歌山市内にある日前神宮と竈山神社、伊太祁󠄀曽神社に参詣することを「三社参り」といいます。
日前神宮には、思兼命(おもいかねのみこと)と石凝姥命(いしこりどめのみこと)が祀られています。思兼命はウツシコオ(内色許男命)です。石凝姥命は台与です。~第511話:八咫鏡・石凝姥命
善光寺の阿弥陀如来像と同じで浅草寺にある聖観世音像は台与とウツシコオが大阪から持って行ったものなのです。~第683話:善光寺~本田善光は台与
・第680話:会津姫~小平潟天満宮:平潟(枚方)では、
「小出方村という地名だったこの地を摂津国平潟にちなんで小平潟に改めたという」ありますが、摂津国平潟とは大阪府(摂津)枚方市です。私が邪馬台国とする地です。スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、台与の一大拠点地です。と書いています。
・第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町では、次のように書いています。
この斑鳩寺の北に平方(ひらかた)という村がありました。大阪府枚方市から移住してきた人々が移り住んだとの言い伝えが残っています。斑鳩寺も大和国の斑鳩ではなく、枚方から移ってきたのではないかと思っています。播磨国風土記には「土地は中の上です。枚方と名づけたわけは、河内国茨田(まむた)郡枚方の里の漢人(あやひと:百済等からの渡来人)がやってきて、初めてこの村に住みました。そこで平方(枚方:ひらかた)の里といいます。
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滋賀県長浜市平方町の平方は湖岸泥汀の地で、もとは平潟といいました。のちに平方荘という荘園がおかれ、全部で百八十町歩余りの土地がありました。この地は水陸交通の便がよいので、市場が開かれて、交通の要衝となり、大変賑わった。羽柴秀吉はこの長浜にはじめて自分の城を築きます。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




古文書が語る、場所の秘密
今回注目するのは、「枚方(ひらかた)」、「白肩(しらかた)」、「白方(しらかた)」、そして「平潟(ひらがた)」といった、響きは似ているけれど、それぞれが異なる歴史を秘めた地名です。特に、前回登場した「近江毛野臣(おうみけののおみ)」という人物にまつわる歌の中に、「ひらかたゆ」という言葉が出てきます。これを、私たちがよく知る大阪府枚方市のことだとばかり思っていたのですが、どうやらそうではないかもしれない、という説があるんです。なんと、この「ひらかたゆ」の「ひらかた」が、滋賀県長浜市にある「平方(ひらかた)」を指しているのではないか、というんです!
なぜ、滋賀県長浜市「平方」なのか?
この滋賀県長浜市平方町は、古代近江地域でも特に有力な豪族である「息長氏(おきながうじ)」の本拠地とされる場所なんです。さらに驚くべきことに、日本書紀などに伝わる神功皇后(じんぐうこうごう)のご出身地も、この近江国坂田郡(おきなみのくにさかたぐん)とされているんですよ。「気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)」というお名前も、「気長」が「息長」に通じていることから、まさにその繋がりが伺えます。古代の豪族たちが勢力を持っていたこの地域で、歌に詠まれた「ひらかた」が、邪馬台国の議論に新たな視点をもたらすかもしれません。歴史の糸が、こんな風に繋がっていくのは、本当に感動的ですよね!
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、
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