阿多隼人(薩摩隼人)
- tootake
- 2024年5月3日
- 読了時間: 4分
更新日:2024年5月24日
第306話~隼人族3
薩摩半島一帯に居住していた薩摩隼人が阿多(アタ)隼人です。
薩摩国設置以前はこの一帯はアタ(阿多又は吾田)と呼ばれていました。日本書紀の682年(天武天皇11年)の記事にその地名が記されています。薩摩国設置後に、続日本紀709年(和銅2年)で薩摩隼人の呼称がはじめて用いられています。
※阿多(アタ)は反逆者という意味です。牧尾一彦著 「邪馬台国と神天皇」p425には賊虜=アタ、賊とは悪人、虜とは敵を罵る言葉、阿多(アタ)は逆賊と書かれています。
日本書紀に仲哀天皇は賊(アタ:この場合は熊襲)の矢に中(あたり)て崩(かむあがり)ましぬとあります。
・タケハニヤスの妻・母がアタとされています。
・アタシツクニは、天日方奇日方命の別名です。私は鴨主命(鴨王)=ウツシコオと同一人物ではないかと思っています。 参照:第227話:天日方奇日方命
・神吾田鹿葦津姫(かむ・あた・かあしつひめ)こと木花開耶姫(このはなのさくやびめ)のことです。古事記では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)、別名を木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)、日本書紀では本名を神吾田津姫(かみあたつひめ)、神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)、別名を木花開耶姫(このはなのさくやびめ)です。
・「神武天皇の最初の妻は吾平津媛(あひらつひめ)は、古事記では阿比良比売(あひらひめ)、日本書紀によれば、日向国吾田邑の人とされています。このブログでは上記の木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と同一人物としています。参照:第204話:阿陀比売神社~木花開耶姫3
・熊襲との関係
大和政権に従わないいくつかの部族に対する総称と解する説などがある。
が、その後途絶えてしまい、具体的な芸態は不明であり、その実態については諸説にわかれていまる。
・キーワードはアタ=反乱です。
〇熊襲は、風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗したとされています。
ただし、反乱の原因とされる班田収授法は朝廷に完全に服属して百姓・公民になった者に対して適用されるものであり、未だその要件を満たしていない隼人が班田収授法の対象になったとは考えられない(他所から移住した「百姓」への適用は検討されたことがあるがこれも実施されていない)ことから、班田収授法と隼人の反乱を結びつける事には否定的な見解もあります。つまり無理に反乱の記事を捏造した可能性があります。
7世紀から8世紀にかけて、朝廷は、他地域から南九州への集団移住を行ったという記録があります。8世紀初め、現在の鹿児島県一帯への移住民は当地の総人口の7分の1に相当する9千人前後と推定されています。
当時の大和朝廷は、鹿児島県に何らかの意味付けを与えようとしていたのです。
神代三陵といって、「筑紫日向可愛之山陵」・「日向高屋山上陵」・「日向吾平山上陵」の3つの御陵が鹿児島県にあります。それぞれニニギ、ホホデミ、ウガヤフキアエズの陵とされ、宮内庁で管理されています。またそれぞれに鹿児島県には、新田神社、鹿児島神社、鵜戸神宮があります。
ヒコユキこと大綜杵命(ウツシコオ)の妻は、高屋阿波良姫(アハラ姫)です。
大和朝廷は、いったい何がしたかったのでしょう。続きは、次回、大隅隼人で!
隼人族1)隼人族は呉の勝
隼人族2)隼人族は疑似民族集団
{参考文献} ウイキペディア 隼人 - Wikipedia
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
大隅八幡宮 鹿島八幡宮
創始は社伝によると遠く神代とも、あるいは「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる。和銅元年(708年)に現在地に遷座され、旧社地には現在摂社石体宮(石體神社)が鎮座している。当社の北西13kmの地点には、穗穗出見尊の御陵とされる高屋山上陵がある。
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