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大名草彦と菟道彦(うじひこ)

更新日:5月19日

第322話


<論旨>

・大名草彦はその名前から和歌山県名草の豪族と思われる。

・ウガヤフキアエズも名草の出身である。→第256話:ウガヤフキアエズのミコト

・菟道彦(うづひこ)は大名草彦の子とされている。ウズヒコは弟磯城(=黒速)は、ウツシコオである。

・名草姫も大名草彦の子である。名草姫は卑弥呼である。→第92話:卑弥呼は名草トベ~和歌山市

・ウガヤフキアエズ(大名草彦=大山祇)は名草(和歌山県)から、三島(茨木市)にやってきて娘の味舌姫を素戔嗚に嫁がせた。→第257話:邪馬台国の誕生

・素戔嗚は、ウツシコオの姉ウツシコメ(名草姫)=卑弥呼=天照大神によって高天原(三島)から追放されてしまう


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大名草彦は第117話:小説 邪馬台国前史~船 、第118話:邪馬台国前史~熊野と金

で登場しています。ヒコサチ(ウツシコオ)と名草姫(ウツシコメ=卑弥呼)の父親です。


第318話:空海のルーツは内色許男命! では、空海が高野山造営にあたって、空海が協力要請の手紙を送った手紙の中に大名草彦があることを紹介しました。

「私(空海)の先祖太遣馬宿禰は、あなたの国(紀伊国)の祖である大名草彦の分かれであります。」と高野雑筆集には書いてあります。


名草はウツシコオの出身地です。参照:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草


大名草彦(大名草比古:おおなぐさひこ)は紀伊国第五代国造とみられ、紀氏の祖先です。紀氏と紀伊丹生氏の関係は古く、丹生氏の庵田刀自(阿牟田刀自、あむたのとじ)と紀氏の豊耳(とよみみ)が結婚して、その子孫が紀伊丹生氏の嫡流となったといいます。


菟道彦(うづひこ・うじひこ)の父が、大名草比古命(おおなぐさひこのみこと)です。また、名草戸畔(なぐさとべ)は日本書紀での名で、地元では名草姫(なぐさひめ)です。名草戸畔(名草姫)は、丹生津姫命(丹生都比売大神)と推定されます。


第11話:塩土老翁~浦島太郎2では※莵道彦(うじひこ:日本書紀)または宇豆比古(うずひこ:古事記)。珍彦(うづひこ:椎根津彦:槁根津日子)は、明石海峡での呼び名です。宇豆比古は、紀ノ國(木の国)名草での呼び名です。椎根津彦(しいねつひこ、日本書紀)、槁根津日子(さおねつひこ、古事記)とも呼ばれていました。神武東征の際の水先人です。と書いています。

ウチはウツの転訛にて、内、打は、氏、宇治、宇智、宇遅、及び渦、珍、宇豆、宇都、宇津に同じ。古事記に木国造の祖 宇豆比古(うづひこ)と見え、景行紀三年条には紀直の遠祖 菟道彦(うぢひこ)と見ゆ。


瓊瓊杵命の后(木花開耶姫)は丹生津姫命と推定されます。神武東征では、熊野の丹敷浦で丹敷戸畔と戦っていますが、丹敷は「にふ」と読んで丹生地名のひとつと解釈されているので、丹敷戸畔も丹生津姫命(名草戸畔)と同一人物と推定されます。


◎ところで私は一つ思い違いをしていたようです。第257話:邪馬台国の誕生第264話:銅鐸から銅鏡へでは、ウガヤフキアエズこと素戔嗚が三島にやってきて大山祇と紛争のあと最終的に大山祇とウガヤフキアエズ(素戔嗚=孝霊天皇)が和睦します。大山祇の娘の細姫(真舌媛)を素戔嗚に嫁がすことで和解したのです。と書きました。


しかし第319話和知津美命はワタツミ!! で書いたように、三島にやって来たのは、大山祇=大日=ワチツミほうだったのです。ウガヤフキアエズ=ワタツミ=大山祇です。素戔嗚は三島の住人だったのです。しばらくの期間、大山祇と素戔嗚は三島(高天原)で平和和的に共存していました。しかしそれは、長くは続かなかったようです。


ウツシコオの姉ウツシコメ(名草姫)=卑弥呼=天照大神が政権を握ると素戔嗚は高天原から追放されてしまいます。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>







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2 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 19
Rated 5 out of 5 stars.

・大和 素戔嗚は元々大和(三島・高槻)にいた

・ウガヤフキアエズ(大日彦=住吉)が後からやってくる。

・マシタ姫と素戔嗚の結婚

・素戔嗚追放  饒速日(孝元天皇) 卑弥呼

 

素戔嗚 銅鐸

ウガヤフキアエズ 銅鏡  息長 中臣(中富?)

 

・ウツシコオ(長脛彦:忌部氏)と・アメノコヤネ(多氏?)は行動を共にしていた。

 

マシタ姫=五十鈴姫

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 18
Rated 5 out of 5 stars.

<邪馬台国の新常識>

ウガヤフキアエズのミコト

邪馬台国の誕生

徐福伝説と「呉の勝」

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櫛名田比売2~八雲は守口市  

ウツシコオの名前についての弁明

多氏と長脛彦

饒速日と長脛彦

<河川は古代の高速道路>

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真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)

全ての道は三島に通じる。

<欠史八代の天皇の正体>

素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇

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<大彦>

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大彦

大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村

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大国主は、大彦 ~出雲は三島

<卑弥呼>

卑弥呼は名草トベ~和歌山市

卑弥呼は萬幡豊秋津師比売

<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>

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八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり

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星の降る町~速玉は饒速日

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<タケハニヤスの乱>

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タケハニヤスの乱3 ~小人国

タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇

タケハニヤスの乱最終章

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