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大水口宿禰と妙姫(まくわし姫)

  • tootake
  • 6 時間前
  • 読了時間: 5分

第673話 #おんだ祭り #稲田姫


大水口宿祢(おおみなくちのすくね)は、新撰姓氏録では、伊香賀色雄(伊我男命)と新河小楯姫命の子とも、神饒速日命の六世孫とも伝えられています。先代旧事本紀、天孫本紀や物部系図では出石心大臣命(いずしこころのおおおみのみこと)と新河小楯姫*の子と記されています。大水口宿禰は、大水口足尼、大水口命、水口命とも表記されます。*新河小楯姫とは台与の事です。~第447話:小楯姫は台与:小楯は枚方、第448話:沼河比売は小楯姫=台与


日本書紀:崇神天皇条によると、大水口宿禰は倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ*下記)とともに同じ夢を見て、大物主神の祭主を大田田根子命にするよう告げられた旨を天皇に奏上したとされています。


滋賀県甲賀市水口町宮に水口神社(みなくち神社)があります。中世には「山王新宮」と称されていました、近世には「大宮大明神社」と称され、現在でも土地では「大宮さん」と称されています。主祭神は- 大水口宿禰命で相殿神には、 大己貴命、素盞嗚尊、稲田姫命も祀られています。


水口神社のあるあたりは、甲賀郡の中心部に位置し、周辺には郡内最大規模の波濤が平古墳といった後期古墳も点在することから、古くより開かれた地であることが判ります。水口という地名から見て、早くから灌漑用水を司る農耕の神としての役割も担っていたと考えられます。


社伝によれば、垂仁天皇の時代に稲田姫命が天照大神の神鏡を奉じて近江に入国、神鏡を鎮座させるべき地をこの地の者に、問うたところ甲可日雲宮(こうがのひくものみや)の地が最適であると回答したため、甲可川(現野洲川)を遡上して現社地に至ったとされています。ここは、第671話:卑弥呼の残像:元伊勢(17)~五十鈴神社で述べた五十鈴神社のすぐ近くです。


天照大神の神鏡を奉じて各地を巡幸したというのは元伊勢シリーズで書いたように、倭姫命ですので稲田姫命は、倭姫命=台与ということです。そして倭迹速神浅茅原目妙姫=ヤマトトモモソ姫も台与だということが分かります。日本書紀:崇神天皇日条に見える倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ)は諸説で百襲姫と同一視されています。


大水口宿祢は、物部氏系で穂積氏の遠祖とされています。穂積氏(物部氏系)の祖は、ウツシコオ(内色許男命)です。穂積は大阪府茨木市の地名です。〒 567-0044


大水口宿祢の子には建忍山宿禰命(日本武尊の妃:大橘比売命・弟橘比売命の父)とされています。第667話:元伊勢(14)忍山神社では、忍山宿禰(おしやますくね)はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)としています。


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<蛇足の追記>

*倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ)も 倭姫命=台与ですが、まくわしとは「まぐわい:交合」つまりSEXのことです。

古事記にはまぐわいという表現が使われており、特に有名なのが、日本の国々(島々)を産んだとされる女神の伊邪那美命(イザナミノミコト)と、その夫となる伊邪那岐命(イザナギノミコト)が執り行った美斗能麻具波比(みとのまぐわい)と言われる一説です。

また御牧入彦こと崇神天皇には、御牧姫(五十鈴姫)以外にも、もう一人妃がいます。

遠津年魚眼眼妙媛(とおつ・あゆめ・まくわし姫)です。

前回:卑弥呼の残像:元伊勢~小川谷の姫宮(吹田市)では、伊邪那美神は、いわゆるイザナミのことではなく、豊受大神のことだと思われます。と書きました。

伊射奈岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)は夫婦ですので、伊邪那美=台与は伊射奈岐の妻ということになりますが、伊射奈岐は台与よりも一世代前の人物と思われますので、台与の父親かもしれません。


<おんだ祭り>

おんだ祭は、奈良県高市郡明日香村飛鳥に鎮座する飛鳥坐神社で行われる祭り。毎年2月の第1日曜日に開かれます。

おんだ祭の始まりは不明ですが、古来より伝わる伝統的なお祭りです。おんだ祭は西日本三大奇祭の一つとして挙げられ、稲の生長・豊穣を始め、子孫繁栄の子宝・縁結び・成育安全を願う祭りです。

神事の前後には天狗、翁、牛がささら(竹筒の先を割ったもの)で参拝者のお尻を叩き周る、厄払いから始まり、太鼓の合図に諸々の行事が展開されます。まず、一番太鼓によって式は始まり、二番太鼓までに展開されるのは農耕行事です。田を鋤く動作や種まき、田植えの式があり祭典第一段階を終わる。やがて三番太鼓の合図で黒紋付の蹴出しもなまめかしいお多福と、丁髷のボテかつらに印袢纏という異様な姿の天狗が登場し、夫婦和合(まぐわい)の儀式が行われます。

この式を「種つけ」という。「種つけ」が終わると、二人は立ち上がって懐中から紙を取り出し、股間を拭いてその紙を観衆に撒布します。この紙は「福の紙」と称し、首尾よく手に入れた人はよほどの幸運だと言われ、この紙を持ち帰りその晩閨房で使用すると子宝に恵まれると言い伝えられています。お多福は台与です。~第147話:お多福さんと五十鈴姫



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 
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