長岡京と樟葉の宮
- tootake
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更新日:10 時間前
第1118話 #向日神社
長岡京は桓武天皇により、平城京からに遷都しました。長岡京の近くには桂川や宇治川など、3本の大きな川が淀川となる合流点があります。また、造営地の南東には巨椋池があっりました。第284話:邪馬台国は巨椋池では、巨椋池は邪馬台国としました。
3本の大きな川が淀川となる合流点に内里があります。このブログの第1話:邪馬台国はミマキ国 ~枚方では次のように書きました。
考古学者の上垣内憲一先生は内色許男命*の出身地について内里であるとされています。天王山の麓で木津川、淀川、桂川が合流地点にのすぐそばが内里(京都府八幡市内里:内はウチ)です。対岸は山崎で美称を付けて大山崎*です。最近発見された淀津遺跡もすぐそばです。~第242話:淀津遺構
*内色許男命→ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米
*山崎→第727話:山崎橋と邪馬台国
長岡京は、平城京の地理的弱点を克服しようとした都市であったとされています。
“第145回 埋蔵文化財セミナー 恭仁宮と長岡京” (PDF). 公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター. p. 16
桓武天皇は、「全国からの物資を荷揚げする港:山崎津を設け、ここで小さな船に積み替える。そこから川をさかのぼると直接、都の中に入ることができた。長岡京にはこうした川が3本流れ、船で効率よく物資を運ぶことができ、陸路を使わざるを得なかった平城京の問題を解消できた。」とウイキペディアあります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B2%A1%E4%BA%AC
継体天皇が即位したとされる樟葉は、長岡京によりもウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米の本拠地である内里に近い場所にあります。
継体天皇が台与であることは、このブログで何度も書いてきました。
向日神社(むこうじんじゃ)は、京都府向日市向日町北山にあります。
向神社は御歳神(向日神)が向日山にとどまり、稲作を奨励したことに始まるといいます。
御歳神=大歳=饒速日(ニギハヤヒ)=継体天皇=台与です。~大歳~稲耕の神 蝸牛考~大歳は大物主 御歳と大歳 饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治→それでも、継体天皇=饒速日(ニギハヤヒ)が台与であることを理解できない方は、饒速日(ニギハヤヒ)が台与と裏返しのキャラクター設定であることに留意してください。ニギハヤヒ(老人:男性)<ーーーー>台与(13歳:少女)
向日神社は元々は、同じ向日山に鎮座する「向神社」(上ノ社)、「火雷神社」(下ノ社)という別の神社でした。
神武天皇は台与です。第566話:神武天皇と橿原神宮
神武天皇が大和国橿原から山背国へ遷ったとあるのは、崇神天皇(=台与)が疫病によって大和国(奈良県)に行ったことの裏返しです。~第17話:邪馬台国で疫病発生
延暦3年(784年)に長岡京が作られて遷都されましたが、その中心となる長岡宮は向日神社の東の麓に作られています。
つまり、大和朝廷は、私が邪馬台国とする地に戻ったのです。
桓武天皇は、卑弥呼に代わって邪馬台国の大王となった台与について、何らかの知識があったと思われます。
続日本紀によれば、中国の影響を受けて行われた郊祀の最初は、桓武天皇が延暦四年に河内国交野郡の柏原にて郊祀が行われたものとされています。その具体的な場所は枚方市片鉾本町にある杉ヶ本神社だとされています。~第559話: 杉ヶ本神社~郊祀とポケモン
※神武天皇は橿原(かしはら)の地で、即位したといいます。橿原とは枚方の柏原(かしはら)のことだと思います。枚方市にかつて「柏原(かしはら)」という地名が記録として残っており、枚方市史や古地図、地名辞典・国土地理院の地名情報などで確認できます。←AIで確認しました。
神武天皇=台与が即位した「柏原/橿原」とは大阪府枚方市にあった「柏原(かしはら)」だったれば、話がすっと通ります。
継体天皇がなぜすぐに奈良へ行かなかったのは大きな日本史の謎とされていますが、継体天皇(=台与)が奈良に行く必要は、様々な角度から考えても全くありません。疫病が大流行する以外には、、、、→邪馬台国で疫病発生
記紀を読み返しても、継体天皇が大和国(奈良県)遷都に反対する勢力などはいません。
第12話:奈良盆地には、敵などいなかった。
AIに質問してみると、継体天皇の大和入りを妨げた勢力として、もっとも史料的裏付けが強いのは「葛城氏と仁徳系王族」である。 ただし、近年の研究では「豪族の抵抗」だけでは説明できず、淀川水系の掌握という国家戦略が重視されている。という返事が返ってきました。
関連項目:河内馬飼 荒籠は、、、
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<追記>
弟国宮(おとくにのみや)は、継体天皇が営んだ宮の一つで、継体天皇が大和国に入る前に営んだ最後の都です。角宮神社は、継体天皇がこの都に遷都にあたり、512年に創建された神社で、京都府長岡京市にあります。祭神は、火雷神(ほのいかづちのかみ)です。
火雷神は、台与です。火の付く神は、すべて台与です。火雷神は天火明です。
先代旧事本紀では、饒速日命(ニギハヤヒ)の別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊として、尾張氏の祖とされる天火明(アメノホアカリ)と同一人物としています。
天火明も台与としています。~第420話:hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
ちなみに、樟葉宮はこっちで、淀川をはさんで、弟国宮はあっち(むこう:向こう:向日町)の宮です。~第6話Ⅱ:六甲山(むこうやま)~地名からわかること
長岡京の遺跡の一角で2003年に日本電産(現・ニデック)の本社建設が行われることとなり、事前に調査が行われました。この場所は、出土した墨書土器の文字によって、桓武天皇が長岡京から平安京に移る1年余りの間滞在した長岡京東院であることが判明しました。ニデックでは学会などの保存要望に応えようと、地下に遺跡を保存するため当初の設計を大幅に変更して施工され、社屋では発掘された出土品一部を展示しています。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




第486話: https://www.hidemaru3375.com/post/神武東征と稲作文化
第451話: 磐衝別命と健磐龍命
紀元前500年頃に、宮崎県の日向で神武天皇が誕生した。その国を大和(当時は倭の国でした)と呼びます。 紀元後120年前後に、大和の国は、日向から大阪へやって来た。
という意見をAIに判定してもらいました。
この記述は 現在の歴史学・考古学・文献学の知見とは一致しません。 ただし、どこが史実と異なり、どこに「古代伝承の混同」が起きているのかを、体系的に整理すると非常に重要な論点になります。 あなたの研究スタイル(史料批判・地名・氏族ネットワーク重視)に合わせて、精密に分解します。
「紀元前500年頃に日向で神武天皇が誕生した」「紀元後120年頃に日向から大阪へ来た」という記述は、記紀の年代構造とも、考古学の編年とも一致しません。 これは、
記紀の神武東遷記事
日向国の古代勢力
倭国の形成史
年代の“後付け”構造 が混同された結果生じたものです。
しかし、「日向勢力が大和政権形成に深く関わった」という大枠の理解は、学術的に十分に成立しうるため、ここを丁寧に分けて考える必要があります。
◆1. 記紀の記述:神武天皇の年代は「紀元前500年」ではない
『日本書紀』は神武天皇の即位を 紀元前660年 とするが、これは後世の政治的年代操作であり、史実ではありません。
神武天皇の誕生年は記紀に明記されない
紀元前500年という年代は記紀にも中国史書にも出てこない
考古学的には、紀元前500年は弥生前期で、王権形成以前
つまり、紀元前500年に神武天皇が日向で誕生したという史料は存在しません。
◆2. 「紀元後120年頃に日向から大阪へ来た」
これも記紀の年代とは一致しません。
●記紀の神武東遷は「日向 → 豊国 → 筑紫 → 安芸 → 吉備 → 難波 → 生駒 → 橿原」
しかし、記紀は年代を示さない。 「紀元後120年頃」という具体的年代は、
記紀の記述
中国史書(『後漢書』倭伝)
考古学の編年 のいずれにも存在しません。
◆3. では、どこからこの年代が出てきたのか?
これは、近代以降の一部の民間研究で
神武天皇=日向の実在王
倭国=日向起源説
倭国の大和移動=2世紀頃(卑弥呼時代) を結びつけた結果生じた「仮説的年代」です。
つまり、 卑弥呼の時代(2〜3世紀)に日向勢力が大和へ進出した → これを神武東遷と同一視する という構造です。
学界では支持されていませんが、 「日向勢力の大和進出」というモチーフ自体は、記紀の神武東遷と重なるため、民間伝承で混同が起きやすい。
●① 神武東遷は「日向勢力の大和進出」を象徴化した神話
これは多くの研究者が支持する立場。
●② 実年代は弥生後期〜古墳前期(紀元前1世紀〜紀元後3世紀)
考古学的に王権形成が始まるのはこの時期。
●③ 日向(南九州)と大和は、海上交通で強く結びついていた
日向灘 → 豊後水道 → 瀬戸内海 → 難波 という航路は弥生時代から存在。
●④ 大和政権の形成には「九州系勢力」が関与した可能性が高い
これは考古学(北部九州系土器・祭祀具の流入)でも裏付けられる。
あなたが提示した記述は、 「日向起源の王権が大和へ移動した」という神武東遷の神話的構造を、卑弥呼時代の年代に当てはめた民間説 と考えるのが妥当です。
しかし、重要なのは次の点です:
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、
◎hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過程