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河内馬飼 荒籠は、、、

  • tootake
  • 3 日前
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更新日:2 日前

第1110話


河内馬飼 荒籠(かわちのうまかいの あらこ)は、継体天皇の友人(知人)です。


暴君であった武烈天皇が崩御し、男女の子供もなかったため跡継ぎ途絶えたました。継体天皇(男大迹王:おおどおう)を新しい大王(天皇)として迎え入れようとします・しかし、継体天皇は心中、臣や連たち群臣のことを疑っており、新しい大王に即位することをすぐには承知しませんでした。しかし、大和政権の群臣の中に、男大迹王の知人である河内馬飼:荒籠がおり、荒籠は密かに王に使者をおくり、朝廷の大臣・大連らが男大迹王を大和へ迎え入れる本意を詳細に王に説明させたといいます。使者は2日3晩かけて王を説得し、そのかいあって、王は大和へ向けて出発したといいます。継体天皇は、荒籠に対し、「おまえがいなかったら、私は世間の笑いものにされていたことだろう。貴賤ではなく、その子心を重んじることが大切だ、というのは荒籠のような人を指していうのだろう」と感心し、践祚してから荒籠を厚く寵遇するようになった、と日本書紀に書かれています。


日本書紀の履中天皇の条に、「河内飼部」という人物が登場しており、その記述によると、履中天皇の淡路島への狩猟の折、河内飼部らが天皇のともをして馬の轡をとったが、彼のめさきには入れ墨がはいっており、伊弉諾神が神託で彼の目さきの傷を血のにおいがすると告げたため、以後、その風習はなくなったという。 この風習からも、河内馬飼首が大和政権への服属のあかしとして馬の献上をしていたことが窺われるとされています。

河内馬飼首は、倭馬飼首とともに、ともに馬飼造の指揮のもとで、河内や大和の特定ので馬の管理にあたった氏族と思われています。)大阪府枚方市には野という駅があります。継体天皇が即位した樟葉駅の隣の駅です。)


馬飼いは、天皇家などに育てた馬を献上するだけでなく、天皇や豪族が馬に乗る際には従者として彼らに従い、そばに仕えることで様々な情報を得ることができました。豪華な馬具で飾り立てた馬は権力の象徴でもあり、馬は軍事に用いられたので、馬飼いは軍事にも長けていました。このように天皇や豪族のそばに仕えて彼らの信頼を得、さらに騎馬の技術を活かして軍事でも活躍することで、馬飼いたちは政治的にも重要な動きをするようになり、継体天皇にもその情報力が高く評価されたとされています。しかし、、、


この河内馬飼 荒籠は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米です。河内馬飼 荒籠は文字通り河内の豪族(権力者)です。河内の豪族(権力者)と言えば、ニギハヤヒとナガスネヒコです。

このブログでは、饒速日(ニギハヤヒ)は台与としています。


台与には常に寄り添う人物が付いています。神武天皇(=台与)にはヤタガラス(=ウツシコオ)、応神天皇(=台与)には、武内宿祢(=ウツシコオ)、タケミカズチ(=台与)には、フツヌシ(ウツシコオ)、ヤマトタケル(=台与)には、白髪の老人(=ウツシコオ)、聖徳太子(=台与)には、蘇我馬子(=ウツシコオ)、アメノウズメ(=台与)には猿田彦(=ウツシコオ)


継体天皇と河内馬飼 荒籠の関係は、台与とウツシコオ(内色許男命)の関係です

傍証として継体天皇の出自について書かれている文書は、上宮記一伝です。

「上宮」とは、厩戸皇子(聖徳太子)のことです。

上宮記一伝は、聖徳太子の伝記とする説、上宮王家に伝来した史書とする説などがあって一定していません。この上宮記一伝の、まとまった逸文は聖徳太子の系譜が書いてあるのはあ当然として、継体天皇の系譜で占められているのです。もちろん創作で事実ではありません。第905話:上宮記・薬師如来光背銘:聖徳太子の嘘 第906話:伊予湯岡碑:聖徳太子の嘘(2)


このブログでは、前回:聖徳太子と物部守屋は表裏一体でも書いたように、聖徳太子は台与としています。上宮記一伝に継体天皇のことが書かれている理由は、継体天皇=聖徳太子=台与であるからとしか考えられません。


継体天皇の在位時に起こった有名な事件と言えば磐井の乱です。

第427話:hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与では、豊後国風土記、豊西記、日田神社蒐集録等の資料などによると磐井は鳥羽宿禰(石井源太夫 乎止與命)と名を変えて尾張氏の始祖になったと書きました。磐井は台与(豊)です。

乎止與(おとよ)命は、命とも表記されます。


※年代の矛盾について

日本の四世紀、つまり邪馬台国の時代以後の資料はすっぽりと抜け落ちています。古事記、日本書紀の書いてあることは桓武天皇の時代至るまでの歴代天皇の記事は、まったく信用できません。資料が無かったのか、それとも書きたくなかったのどちらかです。

すっぽりと抜け落ちている部分に台与とウツシコオの事績を当てはめたのです。


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<蛇足の追記>

磐井の乱の鎮圧に向かった人物が、第1060話:太遣馬宿禰:毛馬(大阪市都島区)

第1061話:枚方・白肩・白方・平潟 で書いた、近江臣毛野です。

日本書紀では、は磐井が毛野に対して「かつて同じ飯を食った仲間がなぜ命令するのか」と詰問した旨を伝えており、は両者が面識ある関係だったことを示す記述があります。

磐井=台与で、毛野=ウツシコオだとすれば、顔見知りなのは当然です。


奈良県の長谷寺の近くに、桜井市出雲にある十二柱神社は、武烈天皇泊瀬列城宮跡といわれています。武烈天皇も台与です。~第797話:桜井市(奈良県)は出雲!!

武烈天皇が暴君として描かれるのは、継体天皇を正当化するためだと学者たちは言っています。


継体天皇が即位したのは、私が邪馬台国とする枚方市樟葉です。枚方市は台与の本拠地です。疫病さえ起らなければ、奈良県になど移住する必要はなかったのです。


継体天皇や饒速日(ニギハヤヒ)は、老年の男性です。台与はく美しい女性です。

継体天皇や饒速日(ニギハヤヒ)の容貌は、台与の裏返しと創作されたのです。


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




 
 
 

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<台与シリーズ>

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