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山崎橋と邪馬台国

  • tootake
  • 2025年6月28日
  • 読了時間: 5分

更新日:2025年7月13日

第727話 #邪馬台国 #巨椋池 #行基


若山神社は、大阪府三島郡島本町大字広瀬にあります。祭神は、素戔嗚尊(スサノオ)「です。社伝によると701年(大宝元年)に行基が文武天皇の勅命を受けて勧請したものとされています。宮寺として勝幡寺も創建されていました。古来より貴人の崇敬が厚く、後鳥羽上皇に勅使を遣わされることや楠木正成が桜井で子息の正行に別れを告げた際に、重臣を代わりとして参拝させたとの言い伝えもあります。元来は、西八王子社、牛頭天王社とも称していましたが、明治時代に入って神仏分離令により、この地域の字名をもって若山神社に改められました。


前号でも書いたように、このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。


なぜ行基が、この地に神社を創建したかというと、山崎橋の建設に関係していると思います。山崎橋は、行基が神亀2年(725年)に架けたと伝えられています。

山崎橋は、山城国山崎(京都府乙訓郡大山崎町)と橋本(八幡市橋本)で淀川に架かっていた橋です。日本三古橋の筆頭として、山崎太郎と呼ばれていました。日本三古橋の残りの2つは、瀬田の唐橋(勢多次郎)と宇治橋(宇治三郎)です。


この地は、男山や桂川、宇治川、木津川の三川合流地点で私が、邪馬台国とする地です。

山崎は水運の拠点として、また物資の集散地として、周辺地域を結ぶ重要な役割を果たしていました。第242話:淀津遺構で述べた淀津遺構と山崎津は、邪馬台国周辺の水運と物流において密接に関連していたと言えます。当時淀川は広大な河内湖と繋がっており、さらに瀬戸内海へ通じる航路の大動脈で、「淀・山崎」は邪馬台国と海とをつなぐ出入り口でもありました。


八幡市は、内色許男命(ウツシコヲノミコト)の拠点地です。ウツシコオの名前のにある「内」は「八幡市内里」のことです。

菟道稚郎子(うじのわきのいらっこ)の菟道=宇治もこの近くです。

菟道稚郎子は台与です。菟道稚郎子は聖徳太子で、聖徳太子は台与です。~第342話:聖徳太子は菟道稚郎子


この辺りはかつて広大な巨椋池があった場所です。邪馬台国(ミマキ国)はこの巨椋池、河内湖を最大限に活用した水運国家だったのです。


<これまでに、この付近の事を書いた記事>

・諏訪大社と関係があると思われる鶏冠井(かいで)町は、京都府の向日市にあります。

向日神社(むこうじんじゃ:京都府向日市向日町北山)にあり、祭神は大歳神です。大歳=饒速日は台与です

第243話:山崎津と玖賀耳之御笠

第471話:秦大津父と平原広沢

・第284話:邪馬台国は巨椋池

第338話:月読命(ツクヨミ)  上野村(京都市西京区桂上野)


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若山神社には聖徳太子の七歳像が安置されています。髪と短く両肩から背面に垂らして、衣内で拱手し胸前で組む姿をしており、他の聖徳太子像には例のない姿をしています。島本町では最古級の神像として非常に貴重とされ町指定文化財の指定を受け、現在は大阪市立美術館に寄託されています。なぜ、若山神社には聖徳太子の像がこの地にあるのかといえば、聖徳太子は、菟道稚郎子=台与だからです。~第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?!


山崎橋が洪水で流されてから後は1962年まで渡船が運行されていました。

京滋バイパスのルート選定に当たっては「山崎橋の復活は町の悲願」として誘致活動が行われ、日本一複雑と言われる山崎ジャンクションができました。古代も現代もこの地は交通の重要拠点なのです。今回は、この地に若山神社を建てた行基よりも、この地を邪馬台国の拠点地を置いたウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王の方を称賛します。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



 
 
 
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