邪馬台国の水軍(6):忽那水軍
- tootake
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第779話 #書写山・円教寺 #スサノオ #冠神社
忽那水軍(くつなすいぐん)は、中世の瀬戸内海西部において活躍した海上勢力で、伊予国(現在の愛媛県)忽那諸島を拠点とした忽那氏によって組織されました。その歴史は、藤原道長の後裔・親賢が忽那島に配流された11世紀頃に始まるとされます。このブログの趣旨である邪馬台国とはかなり時代がずれていることは承知の上で話を進めます。
忽那水軍の目立った活躍を書いてみます。
・蒙古襲来への対応~忽那久重やその子・重義は蒙古襲来に際して活躍し、近海の制海権を掌握しました。
・南北朝時代の活躍
忽那重清は北朝方に、弟の忽那義範は南朝方に属し、忽那氏は二派に分かれて戦いました。義範は忽那島の神浦城を拠点に、後醍醐天皇の皇子・懐良親王を3年間保護し、河野氏や武田氏の攻撃を退けました。
・熊野水軍との連携~熊野水軍と連携し、瀬戸内海での宮方の策源地として忽那島が機能しました。
・忽那氏の神社~ 冠神社(かんむりじんじゃ)*には、南北朝期に忽那義範が懐良親王を守った忠節を称える「忽那義範公表忠碑」が現存し、地域の信仰と史跡として大切にされています。忽那諸島内には小規模な氏子社や浜辺の祠が点在し、領主としての忽那氏が奉納や管理を行った痕跡が見られます。
・忽那氏は干拓や港湾整備をすすめる一方で、海上安全や豊漁豊穣を祈る祭礼を神社を拠点に定着させ、領民統合の儀礼装置として機能させました。元旦祭・海開き・収穫感謝祭などの年中行事は、神事を通じて領地支配の正統性を示す役割も担っていました。
{参考文献}松山市公式観光情報サイト「忽那義範公表忠碑(冠神社)」
松山市公式サイト「忽那家文書(百三十三通)」
*冠神社は兵庫県姫路市刀出(〒671-2241)に鎮座しています。
主祭神は乾良之宇宙能神(アキグイノウシノカミ)です。この神については、全く資料がないのですが、名前「宇宙」を「ウシ」と読ませていることから、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と思われます。
牛→角はスサノオ(津田の王)のキーワードです。~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、
そしてこの冠神社のすぐ近くに、有名な書写山・円教寺がありあます。
西国三十三番の27番札所です。
書写山・円教寺は、康保3年(966年)に性空によって書写山の山上に創建されたと伝えられます。仏説において書写山とは、釈迦如来によって霊鷲山の一握の土で作られたと伝えられています。「書写山(書寫山)」の字が当てられたのは、その山がまさに霊鷲山を「書き写した」ように似ることによるといわれています。また、山上の僧が一心に経典を書写する姿に、山麓の人たちが崇敬をもって称したとも伝えられています。
当地は、もともと素盞嗚命(スサノオ)が山頂に降り立ち一宿したという故事により、「素盞ノ杣」といわれており、性空入山以前よりこの地に祠が祀られていたといわれる。山号の由来はこの「素盞(すさ)」からのものといわれています。
この地は姫路市と合併する以前は飾磨郡曽左村と呼ばれていました、この「曽左(そさ)」も素盞に由来するといいます。
つまり、書写山・円教寺もウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と関係のある地なのです。忽那氏の神社である 冠神社(かんむりじんじゃ)がこの曽左(素戔)にあるのも忽那氏がウツシコオと関係があるからだと思います。
室町時代に河野氏が衰退すると、忽那氏もその配下として力を失い、天正15年(1587年)に小早川氏によって滅ぼされました。 豊臣秀吉の四国征伐の際にも忽那島は攻略を受け、忽那氏は完全に没落してしまいました。
関連項目:第778話:邪馬台国の水軍(5):小千御子
:第777話:邪馬台国の水軍(4):彦狭島命と建借間命
:第776話:邪馬台国の水軍(3):因支氏と讃留霊王
:第775話:邪馬台国の水軍(2):津守氏
:第774話:邪馬台国の水軍(1):阿万氏
:第773話:阿万(あま)氏と西都原伊古墳群
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<蛇足の追記>
このブログを書き続けるうちに、西国三十三番と重なる場所が増えてきました。
第一番 青岸渡寺→第543話:熊野の神々は、、、
第二番 金剛宝寺(紀三井寺)→名草(和歌山市)第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)
第三番 粉河寺→第768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡
第八番 長谷寺→第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮
第十番 三室戸寺→三室戸寺~宇治(莵道)
第十八番 六角堂(頂法寺)→第519話:六角堂と平安京
第二十四番 中山寺→第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市
第三十番 宝厳寺(竹生島)→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖
番外 元慶寺(山科)→第720話:毘沙門堂~京都市山科
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
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