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邪馬台国の水軍(5):小千御子

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:12 分前

第778話 #彦狭嶋命 #台与 #邪馬台国


小千御子は、彦狭嶋命(孝霊天皇皇子)の子で、母は、伊豫國人の女で、和気媛命とされています。和気媛命の和気(ワケ)は元は、因支氏であることは、第776話:因支氏と讃留霊王では因支氏と讃留霊王で述べました。因支氏は讃岐国(香川県)に拠点を置いた一族です。開化天皇の御代に、彦狭嶋命は、土佐で賊徒が蜂起した為、伊豫國へ赴いたようです。

この時に18歳の小千御子もついて行ったとされています。~出典:小千御子


小千御子(おちのみこ)の「おち」は越智氏の「おち」の名前の由来となった人物です。

この小千御子も台与ではないかと思い、第776話:邪馬台国の水軍(3):因支氏と讃留霊王で書いた武殻王(たけかいこのおう)と小千御子(おちのみこ)の比較をAIにお願いしました。


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小千御子と武殻王との直接的な血縁関係は確認されていませんが、両者とも古代日本の地方征討伝承に登場する皇族・武人であり、共通する文脈があります。以下にその関係性や比較的な視点を整理してみます。

項目

武殻王

小千御子

出自

景行天皇の皇子、日本武尊の子とされる

彦狭嶋命の第三子、伊予国の豪族系譜に属す

活動地域

九州・讃岐など西国

伊予国(現在の愛媛県)

主な伝承

海賊・悪魚退治、熊襲征伐

土佐の賊徒討伐、西南鎮護の任務

神格化

一部地域で神として祀られる(例:讃留霊王伝説)

大濱八幡宮にて応神天皇と合殿で祀られる


古代皇族神話の北部四国展開

  1. 海をまたぐ皇族伝承

    • 讃留霊王は瀬戸内海北岸の播磨で海難を救い、海上守護神へ。

    • 小千御子は四国南岸の土佐で陸戦伝承を帯びながら、瀬戸内海側でも祀られ、北部四国と本州沿岸を往来する海上ネットワークと結びつく。

  2. 英雄 → 神格化の共通軌跡

    • 両者とも実在性は薄いものの、地域社会の安全保障ニーズ(漁業・交易/戦乱・治安維持)を背景に英雄伝承が固定化し、神社祭祀として定着した。

  3. 地域間シンクロニシティ

    • 海上交通要衝に並行して設置された両神社は、船団による通行儀礼や漁民による奉納品に共通点を持ち、北部四国の沿岸文化や氏族アイデンティティの核となった。


      =============================


・小千・河野・井門家の系図によると、小千家から河野家が分家しています。

河野氏(かわのし)は、伊予(愛媛県)の有力豪族です。一時的に河野家の兵力は、瀬戸内最大規模の水軍となり、河野水軍とも呼ばれました。


河野系譜によると、上記の別のエピソードが書かれています。


孝霊天皇の第三皇子が鎮護国家のために伊予の地に来られ、伊予郡神崎庄に住んだ皇子が彦狭島皇子で、伊予皇子と号した。母の皇后は磯城県主大目の女細姫命です。やがて、皇子と当地の海童女(わたつみのひめ)和気姫との間に三つ子が生まれ、これを棚なし小舟で流すと、一の御子は伊豆の浦に着いて諸山大明神になり、二の御子は備前の児島に着き、三宅氏(児島氏)の祖となります。そして、三の御子が当国和気郡三津の浦に着いた。この御子は天性がすぐれていたので、その名が京師にも知られ、7歳にして帝都に上り34年の間天恩に浴したが、その後は旧国・伊予の国司に任ぜられ、小千郡の地に住んだ。この三の御子が小千御子です。~西条歴史発掘 ~『予章記』の小千神話


・彦狭嶋命は孝霊天皇の子とされています。孝霊天皇の子としては、倭迹迹稚屋姫命(ヤマトトモモソ姫)、彦狭島命などもおり、これらはすべて台与のことです。


香川県東かがわ市に水主神社(みぬしじんじゃ)があり、倭迹々日百襲姫命を祀っています。社伝ではヤマトトモモソ姫は7歳のとき倭国大乱を逃れるため、大和国黒田の盧戸を出立し、居を讃岐国水主に定めたのち成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆を成したとされています。~第405話:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??


ヤマトトモモソ姫も小千御子も共に四国(讃岐・伊予)に来たとされています。しかもその時の7歳という年齢まで同じです。小千御子も台与の事と思ってもよいようです。

そもそも愛媛県の「愛媛」とは、可愛い台与(姫)のことだと思います。


    :第775話:邪馬台国の水軍(2):津守氏

    :第774話:邪馬台国の水軍(1):阿万氏

    :第773話:阿万(あま)氏と西都原伊古墳群

    


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




  小千御子のイメージ 千与千寻之小千_Max的滑板-站酷ZCOOL

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3 Comments

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tootake
20時間前
Rated 5 out of 5 stars.

思えば、伊勢と三輪の神、思えば、伊勢と三輪の神、一体分身のおん事。今さら何と岩倉や。その関の戸の夜も明け、かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残、なるならん、覚むるや名残、なるならん。


能曲「三輪」では、三輪の神が、女性の姿になって現れます。岩倉は、天の岩戸の事と思われます。この能曲はかなり古いもので、雑能の四番に入っています。

天の岩戸~伊勢の神と三輪の神2

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tootake
1日前
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tootake
1日前
Rated 5 out of 5 stars.

<台与シリーズ>

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