邪馬台国の水軍(3):因支氏と讃留霊王
- tootake
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第776話 #円珍 #武国凝別皇子
因支氏(いなぎ・うじ)は古代日本の氏族で、特に讃岐国(香川県)に拠点を置いた一族です。日本三代実録や先代旧事本紀などの史料に登場し、後に「和気公(わけのきみ)」と改姓したことで知られています。祖先は景行天皇の皇子の武国凝別皇子(たけくにこりわけのみこ)です。日本書紀では伊予国の御村別の祖とされています。
因支氏は水軍との関係ないと思われるのですが、讃岐国といえば、第489話:武殻王(タケカイコオウ)あるいは讃留霊王(サルレオ)という記事をかきました。
武殻王(タケカイコオウ)は、景行天皇の皇子の日本武尊(ヤマトタケル)の子とされる人物で、讃岐国に赴任し、讃留霊王(サルレオ)と呼ばれました。讃留霊王とは讃岐に留まった王という意味の尊称で、武殻王の別称です。
武殻王(=讃留霊王)は、景行天皇の命で瀬戸内海の「悪魚(海賊)」を退治したという伝承があります。瀬戸内海の「悪魚(海賊)」を退治したということは、海上の兵力を持っていたということです。武殻王(讃留霊王)は、讃岐の地を治めた功績から讃留霊王として尊崇され、香川県綾歌郡飯山町には讃留霊王神社があり、建貝児王を祭神としています。
武殻王(讃留霊王)と因支氏との接点の可能性をAI(GTP-4)に書いてもらいました。
武殻王(讃留霊王) | 因支氏(和気公) | |
拠点 | 讃岐国綾歌郡 | 讃岐国那珂郡・多度郡 |
祖先 | 日本武尊(景行天皇の子) | 武国凝別命(景行天皇の子) |
功績 | 悪魚退治・農業振興 | 地方開拓・宗教活動(円珍) |
改姓 | なし(神格化) | 和気公(866年) |
両者とも讃岐国に深く関わり、開拓・治水・農業振興などの伝承を持つ点で共通性があります。※讃岐国多度郡には稲毛(いなき)という地名があり、因支(いみき)の地名の由来と思われます。毛は食物ですので稲毛は農業が栄えた場所ということでしょう。
武殻王が讃岐綾君の祖とされる一方、因支氏は讃岐国の豪族として朝廷に仕え、円珍の登場によって宗教的影響力を持ちました。
考察:象徴的・文化的な連関
武殻王の伝承には「養蚕」や「絹織物」との関係が示唆されており、讃岐綾君が朝廷に絹を納めた部族とされます。
これらの要素から、武殻王の伝承が因支氏の氏族形成や土地の神格化に影響を与えた可能性も考えられます。
「殻」「卵」「貝児」はいずれも蚕(かいこ)=養蚕文化を象徴する語であり、讃岐綾君(絹織物を朝廷に納める部族)の祖とされる点と一致します。
讃岐に留まったことから「讃留霊王」と呼ばれ、農業振興や治水などの功績が伝えられています。
武国凝別皇子=讃留霊王は、台与だと思います。
香川県丸亀市飯山町にある讃留霊王にある碑では讃留霊王は女性としています。
武殻王は武卵王、建貝児王(タケカイコオウ)とも書きます。香川県讃岐地方に讃留霊王伝説として数々の古文書に記されています。殻も卵も「カイコ」のことです。カイコ=養蚕は秦氏=台与の専売特許です。台与は秦氏です。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏
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円珍(智証大師)
平安時代の高僧で、因支氏(和気公)の後裔とされています。
円珍俗姓系図は海部氏系図と並ぶ最古の系図として国宝に指定されており、景行天皇から円珍まで約18代の系譜が記されています。前回書いた津守氏も系図に登場しています。ですから、因支氏も水軍だったと言えます。
一般には三井寺(みいでら)として知られる園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある天台寺門宗の総本山の寺院で西国三十三番の第14番札所です。近江八景の一つである「三井の晩鐘」でも知られています。当寺は7世紀に大友氏の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学僧円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興されました。大友氏については、第761話:天武天皇は台与(2):大友皇子と東漢氏を参照のこと。
円珍は、国那珂郡*(香川県善通寺市)に生まれました。俗名は和気広雄。母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたります。なお弘法大師の祖先はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。~第318話:空海のルーツは内色許男命!
*那賀郡は、因支氏(いみきうじ)の拠点地で第768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡で書いたように、長髄彦の名前の由来となった地名です。
園城寺(三井寺)に保管されている円珍俗姓系図には景行天皇から円珍まで約18代の系譜が記されています。因支氏は866年に「和気公」に改姓しました。
円珍俗姓系図に記載されているほとんどの人物には、別(ワケ)がついています。

↑円珍俗姓系図 - 鄙乃里より引用
因支氏一族のほとんどに別(ワケ)が付いているため、和気(ワケ)という氏名になったと思われます。このブログでは「ワケ」は台与の名としています。~第710話:ワケ王朝は、のれん分け
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
関連項目:第392話:村上水軍と越智氏
:第775話:邪馬台国の水軍(2):津守氏
:第774話:邪馬台国の水軍(1):阿万氏
:第773話:阿万(あま)氏と西都原伊古墳群
:第772話:安満遺跡は高天原?

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