小野妹子 国書紛失事件
- tootake
- 5 日前
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第921話 多利思比孤(タリシヒコ)5
日本書紀によれば、小野妹子(隋での名は蘇因高)は、推古天皇15年(607年)に通訳の鞍作福利らと共に大唐(当時の隋)に派遣されます。と呼称された妹子は、推古天皇16年(608年)4月に隋の使臣裴世清を伴って帰国しますが、隋の皇帝煬帝からの返書を経由地の百済において紛失したと報告します。その罪は流刑に相当するものであったが、推古天皇によって恩赦され罪に問われませんでした。こののち妹子は冠位:大徳にまで昇進しています。この視点は、実は近年の歴史学でも重要な論点になっています。
日本書紀では、小野妹子は隋の返書を持ち帰った。しかし「紛失した」と報告した
理由は書かれていない。返書の内容も残っていない。
つまり、返書の実物は存在しない。にもかかわらず、日本書紀は「返書は確かにあった」と前提して叙述を進めます。
この小野妹子の国書紛失事件は、隋書では、倭王は多利思比孤(タリシヒコ)となっていますが、日本書紀では、推古天皇(女性)が天皇となっている件と関係があると思われます。
これは、大和王権の外交的威信を高めるための叙述戦略と見ることができます。
日本書紀では推古天皇が裴清に会っており、小野妹子が隋の煬帝から授かった書を百済で掠め取られたとする。国書を掠め取られることは絶対にないので、国書紛失話は「推古天皇と裴清の面会は事実だが、その証拠は残っていない」と、虚偽を真実だと申し立てる論法です。「証拠の欠如を、逆に“事実の証拠”として利用する」という典型的な権威構築の手法です。
推古天皇は隋の皇帝と対等に外交した。その証拠(返書)は紛失したが、事実である
だから大和王権は国際的に認められていたという「物語」を成立させるための装置として、「紛失」は非常に便利な設定です。
歴史学では、証拠がない事柄を肯定する叙述は、最も慎重に扱うべき領域です。
特に以下の点が問題視されます。
(A)紛失の理由が書かれていない。~重大な外交文書の紛失なのに、説明がない。
(B)妹子が処罰されていない。~本当に紛失したなら重罪のはず。
(C)隋書には返書紛失の記述がない。~中国側史料は沈黙している。
(D)返書の内容が“政治的に不都合だった”可能性つまり隋の国書の内容が冊封的・侮蔑的内容であったなら、隠蔽の動機が生まれます。これらを総合すると、「紛失」は事実ではなく、政治的な虚構である可能性が高いというのが多くの研究者の立場です。
学界で最も支持されるのは次の推測です。
1)返書は実際には存在した
2)内容は日本にとって不都合だった→(冊封的・侮蔑的・叱責的)
3)大和政権が意図的に隠蔽した
4)日本書紀はそれを「紛失」と表現した
隋書の出した国書のあて先は、倭王は多利思比孤(タリシヒコ)であったはずで、推古天皇ではないことはあきらかです。つまり隋の国書が日本に残っていれば、多利思比孤の名が残り、推古天皇(実在しない)が消えてしまうわけです。
そもそも、第1回目の遣隋使の派遣(開皇二十年:600年)は、日本書紀に記載がないのです。そして隋書も疑わしいのです。第917話:遣隋使の嘘:アメノタラシヒコは、、で書いたように、倭国へ派遣された裴世清の隋書倭国伝は、実は魏志倭人伝の焼き直しであるというのが私の考えです。
多利思比孤はウツシコオで、推古天皇は台与です。
~第587話:推古天皇(第33代)は台与!
多利思比孤(タリシヒコ)4:秦王国は大阪 (hidemaru3375.com)
多利思比孤(タリシヒコ)3:東夷伝と用明天皇
多利思比孤(タリシヒコ)2:隋使派の嘘(2)裴世清と張政
多利思比孤(タリシヒコ)1:遣隋使の嘘:アメノタラシヒコは、、
関連項目:第565話:聖徳太子の四天王:小野妹子
これまでの記事はこちらです。
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記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
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アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




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