遣隋使の嘘:アメノタラシヒコは、、
- tootake
- 1月4日
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更新日:1月5日
第917話
古事記、日本書紀の作者にとって隋書は、危険な文書です。なぜ危険かというと、隋書には記紀に書いてないことが書いてあるからです。
隋書のどの部分が日本書紀にとって“危険”だったのかを、検索結果の学術論文に基づいて整理すると、危険性は「内容そのもの」よりも「その内容が示す政治的意味」にありました。つまり、日本書紀の編纂者が隋書を十分に理解したうえで、意図的に削除・改変した箇所こそ“危険”だった部分です。
隋書では、倭王は多利思比孤(タリシヒコ)となっていますが、日本書紀では、推古天皇(女性)が天皇となっています。
倭王の実名はアメノタラシヒコです阿毎・多利思比孤
姓:阿毎、字:多利思比孤、号:阿輩雞彌(おおきみ=大王)
阿毎は「天」「大海」で、タラシヒコは「足彦」「帯彦」です。
第773話第773話:阿万(あま)氏と西都原伊古墳群
なお推古天皇はこのブログでは台与(豊)です。
~第587話:推古天皇(第33代)は台与!
第571話:hidemaru3375.com/post/孝安天皇(第6代) では。足彦(たらし彦)はウツシコオ(内色許男命)・台与のことです。~世襲足媛(よそたらしひめ)、気長足姫(おきながたらしひめ=神功皇后)は台与です。と書いています。
孝安天皇の和風諡号は、日本書紀では日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)、古事記では大倭帯日子国押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)です。
※隋書のいう倭王:多利思比孤とは、ウツシコオのことではないのでしょうか。
隋書倭国伝の多くは、608年に倭国へ派遣された裴世清の旅行記に基づくと考えられています。これは、隋の外交官が実際に倭国を訪れた際の記録であり、以下の情報は比較的信頼性が高いと評価されています。しかし、隋書:倭国伝には、倭の風俗・生活様態が未開的で民度の低い社会のように書かれています。そして、裴世清は難波津に上陸し倭国王と対面したとされていますが、邪靡堆=邪馬台、百済・新羅の東南、東西五月行・南北三月行
など、九州王権を示唆する記述が多くみられ、裴世清は、難波津には行っていないのではないかとも疑われています。
隋書は、 隋滅亡後、唐が「五朝の歴史」を整える必要に迫られた作成されたものです。
隋書は隋の時代(581–618)を扱う正史ですが、実際に編纂が始まったのは 隋が滅んだ後、唐の時代 です。唐の太宗(李世民)は、国家統治の基盤として歴代王朝の歴史を整備することを重視していました。 そのため、梁・陳・北斉・北周・隋の五つの王朝の歴史書をまとめて編纂する という大事業が始まります。
第781話:日出処天子の嘘では、日出處天子致書日沒處天子無恙云云という文言の実物資料が残らず、日本書紀の編纂期に編者が独自に挿入した可能性が高いと考えられています。
大多数の日本史学者は、この有名な書簡冒頭句を『日本書紀』編者による創作と判断しています。と書きました。
608年に倭国へ派遣された裴世清の隋書倭国伝は、実は魏志倭人伝の焼き直しであるというのが私の考えです。魏志倭人伝を書いたとされる張政(ちょう せい)も実は、九州辺りに居ただけで、邪馬台国の本拠地には、行っていないという説もあります。
三国志の有力な史学者である渡邉義浩氏は、三国志の「魏書」の一部である魏志倭人伝は著者である陳寿が実際に半島や日本(倭)の現地を訪問して書いたのではなく、あくまで現地を訪問した人々からの報告に基づいていると述べておられます。~魏志倭人伝 - Wikipedia
次回に続く→隋使派の嘘(2)裴世清と張政
関連項目:第350話:遣隋使とウツシコオ
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




聖徳太子の四天王:小野妹子
長柄船瀬という大阪湾の東端の港でもあり、当地方は住吉大社の領有地と考えられています。
「長屋王家木簡」の”若翁”について - 日本古代史ノート
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
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