扶桑国は投馬国(丹波・但馬)
- tootake
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第1013話 ~扶桑国は丹波国桑田郡
扶桑(ふそう)は、古代中国の伝説で東の海の果て、太陽が昇る場所にあるとされる巨大な神木のことで、転じて日本の異称として使われ、平安時代以降は日本を指す雅称となりました。 太陽信仰(日の出)の聖地であることから、中国東方に位置する日本が「扶桑国」と呼ばれていました。
梁書*に諸夷海南東夷西北諸戎には、「扶桑国については昔から未聞である。普通年間(西暦520~27)に或る道人(*下記)がそこから来たと称し中国南朝に着いたが、その言は当地を知悉したものだったので、ここに併せて記録する」と記されています。
梁書には、倭国の記事がまずあり、これに続けて、倭国東北七千余里の文身国、さらにその東五千余里の大漢国の記事があり、そのあとに扶桑国の記事が続き、そこでは、「扶桑在大漢国東二万余里、地在中国之東」と記されています。*梁書(りょうしょ)は、中国南朝の梁(502年から557年)の歴史を記した歴史書です。
この記事の解釈としては、直列式に「中国属領としての帯方郡→倭国→文身国→大漢国→扶桑国」と進むと考えられて、この場合、扶桑国は倭国から三万里以上もの遠方となります。同書の距離表示「里」の解釈(長里か短里か)ともあいまって、扶桑国の所在地が関東とか東北とかあるいは遠く海外(メキシコ、樺太(サハリン)、鬱陵島など)とする説もあります。しかし、中国南朝から短里で二万余里の地にある扶桑国として、これは近畿の地にあったとする説もあります。~いき一郎著『扶桑国は関西にあった』を読む 宝賀寿男 wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/husou.htm
宝賀寿男氏は、「近畿地方に五世紀後半ごろ扶桑国と号した国があったことは認めてよいのではなかろうか。」と述べられています。
梁書では、扶桑国王が「乙礽」とされています。この「乙礽」について「いっき、おけ」と読んで、記紀の顕宗天皇(弘計・ヲケ)はではないかという説があります。
顕宗が兄の仁賢天皇とともに、「オケ・ヲケ」と呼ばれたことは記紀等に見え、古事記では「意、袁」と表記され、「乙」の乙は、弟と同義であるので、「乙」=「袁」とみて全く問題はありません。
オケとヲケは台与であることは、すでに述べています。
第972話:億計(オケ)と弘計(ヲケ)
第973話:オケとヲケ(2):水主神社
第974話:オケとヲケ(3):丹波
第975話:オケとヲケ(4):楠葉(大阪府枚方市)
第976話:オケとヲケ(5)は日十大王
第977話:オケとヲケ(6):志染の石室
第978話:オケとヲケ(7):入れ墨と久米氏・隼人舞
扶桑国は丹波国桑田郡のことではないでしょうか。
桑田郡(くわだぐん)は、1879年まで京都府(丹波国)にあった郡です。
京都市右京区の一部(京北各町)左京区の一部(広河原各町)
亀岡市の大部分(東本梅町各町を除く)南丹市の一部(美山町各町・八木町神吉)
大阪府高槻市の一部(田能・出灰・中畑・二料・杉生)大阪府豊能郡豊能町の一部(牧・寺田)
・三国遺事では、多婆那国(丹波)は、竜城国で倭国からの東北一千里のところにあると書かれています。~第999話:脱解王の神話(1):多婆那国
・第1006話:丹波国の人々:丹波と邪馬台国(5)では、次期天皇候補の倭彦王の住んでいた場所が丹波国の桑田郡でした。敏達天皇の子に桑田皇女(くわたのひめみこ)なる人物がいます。など桑田郡には、様々な重要な人物がいたとされていることを書きました。
<扶桑在大漢国東二万余里、地在中国之東>
・多婆那国(丹波)は、竜城国で倭国からの東北一千里のところにあると書かれています。
・魏志倭人伝では「南、投馬国に至る。水行二十日なり。官は弥弥(ミミ)と曰ひ、副は弥弥那利と曰ふ。五万余戸ばかり。」とあります。海部氏(安曇・海人族)の勢力圏であったとミミやミのつく地名は山陰から若狭地方にかけて数多く残り、丹後半島においては久美浜湾を一大拠点として丹後海人族の中核にいたと考えられています。このブログでは陸耳御笠(くがみみ)は何度も登場しています。クガは京都市伏見区久我(クガ)あたりの地名です。陸耳御笠は、丹波県主=由碁理(ゆごり)=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。~第1007話:かぐや姫:丹波と邪馬台国(6)
このブログでは丹波(但馬)は、投馬国としてきました。
~第19話:投馬国は但馬、但馬は丹波、丹波は出雲
そして丹波では日本で最大級の遺跡が見つかっています。
竹野川中流域に位置するこの地域には、奈具岡遺跡(京都府弥栄町黒部奈具)をはじめ、奈具岡北1号墳、奈具遺跡、奈具谷遺跡、奈具墳墓群、奈具谷4号墳・5号墳など多くの遺跡、墳墓、古墳が見つかっています。奈具岡遺跡では、弥生時代中期にあたる約2000年前の玉作り工房跡が発見され、水晶の原石、玉製品の生産工程における各段階を示す未製品や、加工に使われた工具などが多数出土しています。生産された水晶玉は、小玉・そろばん玉・なつめ玉・管玉で、ここでは原石から製品まで一貫した玉作りが行われており、国内でも有数の規模と年代を誇っています。水晶玉とともに中国や朝鮮半島から入ってきたと考えられる鉄製工具類なども大量に見つかっており、これは、九州北部よりも先に鉄加工の技術が伝来していた可能性を示すものとして注目されています。これらの出土物は、奈具岡遺跡出土品として国指定重要文化財に指定されています。
~第508話:桑田皇女と奈具遺跡
これらのことにより、扶桑国は丹波国桑田村であると思われます。
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<追記>
扶桑国から来た或る道人というのは、僧:慧深です。
慧深は、南朝・斉の永元元年(499)に荊州に居たとされています。僧慧深の供述に基づく記事は、荒唐無稽な内容も多いことから、明治~昭和戦前の東洋史の大家・白鳥庫吉が慧深を大詐欺師と断罪し、その供述中の扶桑国を架空とし、それ以降、わが国学界の大勢にあっては切捨てないし無視という立場が踏襲されてきました。
しかし、扶桑国王が「乙礽」=オケであると述べていることは、重要です。慧深の生きていた時代には、まだ、「乙礽」=オケ=台与という認識があったものと思われます。
<丹波と邪馬台国>
第1002話:丹波と邪馬台国~兎原
第1003話:天一位 大原神社:丹波と邪馬台国(2)
第1004話:鍬山神社:丹波と邪馬台国(3)
第1005話:出雲大神宮:丹波と邪馬台国(4)
第1006話:丹波国の人々:丹波と邪馬台国(5)
第1007話:かぐや姫:丹波と邪馬台国(6)
第1008話:日子坐王命:丹波と邪馬台国(7)
第1009話:与謝野:丹波と邪馬台国(8)
第1010話:大虫神社:丹波と邪馬台国(9)
第1011話:邪馬台国と丹波(10):阿知江岩部神社
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




多遅摩比ひ 那な 良ら 岐き には多遅麻毛も 理り ・多遅摩比多訶・清日子の三人の子がおり、 清日子が當たぎ 摩まの 咩め 斐ひ を娶って生んだ妹いも 菅すが 竈かま 由ゆ 良ら 度ど 美み を、多遅摩比多訶が娶って葛城高たか 額ぬか 比売命を生 んだ。また、渡来したヒボコが娶った前まえ 津つ 見み は多遅摩俣また 尾を の女(娘)であり、日本人である。ち なみに「多遅摩」は但馬(兵庫県北部)のことである。~横組.indd
田道間守 - Wikipedia
古代への誘い:扶桑国の謎を紐解く
今回は、古代中国の史書にも登場する神秘的な国、「扶桑国(ふそうこく)」について、そしてそれがなんと、私たちの身近な「丹波(たんば)・但馬(たじま)」といった地域と深く関わっているかもしれない、というお話なんです。
「扶桑」って、なんだか響きだけでワクワクしませんか?
「扶桑」というのは、もともと古代中国の伝説で、東の海の果て、太陽が昇る場所にあるとされる巨大な神木のこと。それが転じて、日本という国の、ちょっと雅(みやび)な呼び方として使われるようになったんですね。太陽信仰、つまり日の出を崇める聖地だからこそ、中国から見て東に位置する日本が「扶桑国」と呼ばれていた、というのは、なんだかロマンチックで、すごく腑に落ちませんか?
「扶桑国」と聞いて、私はまず、その響きから壮大な古代の風景を思い描いてしまいました。伝説の木、太陽が昇る場所… 日本がそう呼ばれていたなんて、なんだか誇らしい気持ちになりますね。このブログでも、地名を手がかりに過去を辿るのが好きなんですが、「扶桑」という言葉自体が、そのまま古代への扉を開けてくれるような気がします。
中国の歴史書「梁書」にも記されている「扶桑国」
この「扶桑国」、ただの伝説や雅称だけではないんです。なんと、中国の南朝・梁の歴史を記した「梁書」(西暦502年~557年)にも、その記述があるといいます。そこには、昔は知られていなかった「扶桑国」に、ある時期、道士がやってきて、その地のことを詳しく語った、と記されているようです。さらに、「梁書」の記述を辿っていくと、「中国属領としての帯方郡→倭国→文身国→大漢国→扶桑国」というように、中国から見て東へ東へと進んでいく国の並びが見えてくるんです。これは、扶桑国が倭国から遥か東、数万里も離れた場所に位置していた可能性を示唆しているんですよ。
そして、今回のブログ記事の核心に迫るのが、この「扶桑国」が「投馬国(とうまのくに)」、つまり「丹波・但馬」地域と関係があるのではないか、という仮説です。中国の記述で「扶桑国」とされる場所が、実は日本の、あの丹波・但馬地域ではないか、と。古代史のロマンが詰まったこのテーマ、私自身、記事を読みながら「まさか!」という驚きと、「そういう見方もアリかも!」という興奮でいっぱいになりました。邪馬台国を探求する上で、こうした新たな視点や、歴史の断片を繋ぎ合わせる作業は、本当にたまらない魅力ですよね。
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
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