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オケとヲケ(2):水主神社

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 4分

更新日:4 時間前

第973話


前回:億計(オケ)と弘計(ヲケ)では、オケとヲケの二人は播磨国に行く前に、て丹波国与謝郡(京都府与謝郡)に隠れ住んでいたことが分かりました。


そして、二人は、丹波国与謝郡(京都府与謝郡)から、山城(山代)の苅羽井にやってきます。


古事記:安康天皇の条には次のようにかいてあります。


ここに市辺王の王子等、意祁王・袁祁王*、二柱この乱れを聞きて逃げ去りたまひき。かれ、山代の苅羽井に到りて御粮食す時、面黥ける老人*来て、、、、、

      *意祁王=オケ、袁祁王=ヲケ

この苅羽井(かりばい)というのは、綴喜郡樺井(かばい)のことです。

京都府城陽市水主宮馬場にある水主神社境内に樺井月神社があり、社伝では、樺井月神社は、元々は綴喜郡樺井(田辺市大住)にあったが木津川の氾濫に遭い、寛文十二年(1672)水主神社境内に遷宮したと伝わっています。

  

海部氏の系図である勘注系図では、孝霊天皇の時代に丹波国丹波郷にて宰(宰相)として奉仕していた彦天火明命*一族(海部氏)=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)一家は、その後、山城国久世郡水主村に移ったとされています。山城国久世郡水主村の現在の地名は、京都府城陽市水主宮馬場です。


・水主村は、巨椋池のあるところ=ヤマト(邪馬台国)です。参照:第284話:邪馬台国は巨椋池

彦天火明命は台与です。第420話(火明命は台与):hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日

・面黥ける老人とありますが、面黥とあることから、この人物は隼人であるとする説があります。


古事記では、「火照命」が「隼人の阿多君が祖」とされ、弟の火遠理命と争うが、日本書紀では、火闌降命が「隼人等の始祖」(九段本書)、「吾田君小橋等が本祖」(十段本書)とされています。新撰姓氏録でも、阿多隼人・大角隼人が、火闌降命を祖としています。

このブログでは、隼人一族は、台与、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米の一族としています。


樺井月神社は、元々は綴喜郡樺井にありました。綴喜郡樺井は、田辺市大住です。

大住は大隅で隼人の居住地です。~隼人4)大隅隼人は京都府京田辺市


前回で書いたように、オケとヲケの二人の皇子を山中を抜けて山城の苅羽井(京都府木津川市山城町綺田)に連れてきたのは、日下部連使主の子である吾田彦です。


・日下部連使主=吾田彦がスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米ですであることは、前回書きました。

・樺井月神社の祭神は月読命です。月読命は台与です。


   さらに続く→オケとヲケ(3):丹波


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

4件のコメント

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tootake
9時間前
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tootake
1日前
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かれ、玖須婆の河を逃げ渡りて針間国に到り、その国人、名は志自牟の家に入りて身を隠して馬甘・牛甘に役はえたまひき。


そこで503年説では、「日十大王」を、このオケ・ヲケ兄弟を指す「をし大王」と解釈する。

 「日十」の「日」は「日」ではなく、横に長い「曰十」とした場合は「をそ」と読む。そこで仁賢の諱(いみな)が「おおし」「おおす」なので、弟の顕宗の名を「をし」と推定し、「をし大王」を顕宗大王にあてるという理屈。

 「日十」とした場合は、「ヒソ」と読み、「ヒソ大王」を仁賢大王にあてることになる。

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ゲスト
1日前
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狩場明神については従来この地一帯の土豪の首領だという説があった。興味深いのは、その土豪とは坂上(さかのうえ)氏、首領とは犬甘(いぬかいの)蔵吉人のことで、犬甘蔵吉人を犬飼蔵人と読み、坂上氏の先祖である阿智使主(あちのおみ)のあとに蔵人の名が見えるところから、坂上氏の人だという推定である。『紀伊続風土記』には「犬甘蔵吉は阿智使主の後蔵人と見ゆえたる人にて応神天皇廿年阿智使主と共に帰化せしむを同廿二年の事当社へ寄せるたまへるなるへし」という。

 坂上氏といえば、桓武・平城・嵯峨の三天皇政権の軍人のトップとして蝦夷を征伐し「薬子の乱」を鎮圧した征夷大将軍坂上田村麻呂を思い出すが、坂上氏は紀伊国伊都郡から紀ノ川北方の今の橋本市一帯を本拠とし、丹生都比売神社には(氏子長者として)財政や神馬の管理などで信助を惜しまなかったといわれている。ちなみに、空海と坂上田村麻呂は同じく嵯峨天皇のブレーンであった。

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ゲスト
1日前
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