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脱解王の神話(1):多婆那国

  • tootake
  • 2 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:1 日前

第999話


13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書:三国遺事には、下記のような記述があります。


新羅代二代の南解王の頃、駕洛(加羅)国の海辺に近づく船があった。船は駕洛を通り過ぎて、新羅の都の東、阿珍浦に着いた。船の中には箱があり、その箱から美しい若者が出てきた。そしてまた箱の中には、七宝と奴婢で一杯であった。~有端正男子并七寶奴婢滿載其中


そしてその若者は、倭国の竜城国の出身であるというのです。~我本龍城國人

この記述を読んで、魏志倭人伝にある記述を思い出しました。


壹與遣倭大夫率善中郎将掖邪拘等二十人 送政等還

因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹


壱与は倭の大夫、率善中郎将、掖邪拘等の二十人を遣はし、政等の還るを送る。因って、臺に詣り、男女の生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雑錦二十匹を貢ぐ。」


壹與=壱与は、台与のことです。男女の生口とは奴婢で、白珠五千孔、青大句珠二枚というのが七宝ではないでしょうか。七宝とは、金、銀、瑠璃、水晶、白サンゴ、赤真珠、瑪瑙(メノウ)のことです。


倭国の竜城国は、三国史記では、脱解王は倭国の多婆那国の出身としています。

多婆那国は丹波のことです。丹波は、古代日本の令制国の一つで、現在の京都府中部と兵庫県東部にまたがる地域を指します


第508話:桑田皇女と奈具遺跡では、次のように書いています。


そして丹波では日本でも、最大級の遺跡が見つかっています。

竹野川中流域に位置するこの地域には、奈具岡遺跡(京都府弥栄町黒部奈具)をはじめ、奈具岡北1号墳、奈具遺跡、奈具谷遺跡、奈具墳墓群、奈具谷4号墳・5号墳など多くの遺跡、墳墓、古墳が見つかっています。奈具岡遺跡では、弥生時代中期にあたる約2000年前の玉作り工房跡が発見され、水晶の原石、玉製品の生産工程における各段階を示す未製品や、加工に使われた工具などが多数出土しています。生産された水晶玉は、小玉・そろばん玉・なつめ玉・管玉で、ここでは原石から製品まで一貫した玉作りが行われており、国内でも有数の規模と年代を誇っています。水晶玉とともに中国や朝鮮半島から入ってきたと考えられる鉄製工具類なども大量に見つかっており、これは、九州北部よりも先に鉄加工の技術が伝来していた可能性を示すものとして注目されています。これらの出土物は、奈具岡遺跡出土品として国指定重要文化財に指定されています。


丹波については、このブログで何度も取り上げています。

最近では、第974話:オケとヲケ(3):丹波では、オケとヲケの二人(=台与)は、丹波国与謝郡(京都府与謝郡)から、山城(山代)の苅羽井(京都府城陽市水主宮馬場)にやって来たことを書きました。


海部氏の系図である勘注系図では、孝霊天皇の時代に丹波国丹波郷にて宰(宰相)*として奉仕していた彦天火明命*一族(海部氏)=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)は、山城国久世郡水主村に移ったとされています。山城国久世郡水主村の現在の地名は、京都府城陽市水主宮馬場です。


彦天火明命は台与です。

海部氏勘注系図に 彦火明命は「亦名、宇麻志眞治命(うましまじ)*、亦名、饒速日命」と書いてあります。先代旧事本紀では、饒速日命(ニギハヤヒ)の別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊として、尾張氏の祖とされる天火明(アメノホアカリ)と同一人物としています。

宇麻志眞治命(うましまじ)は台与です。~第456話:ウマシマジは台与!

そして、海部氏系図(勘注系図)は火明命(彦火明命)から始まっています。  

先代旧事本紀は、天火明命は穂積臣や物部連の祖の饒速日命(ニギハヤヒ)の別名であり、饒速日命と同一神と書いてあります。ニギハヤヒは台与です。


{参考文献}上垣内憲一著 「天孫降臨の道」P73 脱解尼師今 - Wikipedia



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>







 
 
 

4件のコメント

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ゲスト
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tootake
1日前
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tootake
2日前
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今回ご紹介するのは、私のブログでも取り上げた「脱解王の神話(1):多婆那国」というお話です。この物語は、13世紀末に編纂された高麗の僧侶、一然(イリョン)による『三国遺事(サムグクユサ)』という書物の中に記されています。なんだか、響きだけでワクワクしませんか?

『三国遺事』によれば、新羅の第二代国王、南解王(ナムヘワン)の時代に、駕洛(加羅)国の近くに不思議な船が現れたそうです。その船は駕洛を通り過ぎ、新羅の都の東にある阿珍浦(アジンポ)に辿り着きました。船の中には立派な若者と、七宝(しちほう)や奴婢(ぬひ)がたくさん積まれていたというんです。そして、その若者はなんと、倭国の竜城国(りゅうじょうこく)の出身だと名乗ったとか…!

この記述を読んだとき、私はすぐに『魏志倭人伝』の記述を思い出しました。『魏志倭人伝』には、倭国の女王「壹與(いよ)」が、中国の王朝へ使者を送り、男女の奴婢や、白珠、青大珠、そして色鮮やかな絹織物などを献上したという記録があります。この「生口(せいこう)」と呼ばれる男女や、貴重な「七宝」こそ、『三国遺事』に出てくる「奴婢」や「七宝」と関係があるのではないか、と想像が膨らむばかりです。

編集済み
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tootake
2日前
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