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オケとヲケ(7):入れ墨と久米氏・隼人舞

  • tootake
  • 5 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:3 日前


皆様、いかがお過ごしでしょうか。古代史のロマンを追いかける日々、また一つ、胸躍る発見がありました。


古代の謎を解き明かす:入れ墨と伝承の交差点


先日、私のブログ「地名から読み解く邪馬台国」で、古(いにしえ)の物語「オケとヲケ」にまつわる興味深い記事を執筆しました。今回のテーマは、なんと「入れ墨」と「久米氏」そして「隼人舞」…。歴史の断片が、まるでパズルのように繋がっていく様子に、私自身、改めて興奮を抑えきれませんでした。


『日本書紀』によれば、皇子であるオケとヲケが山中を抜けて「山城の苅羽井(かばた)」という場所に着いたとき、顔に「入れ墨」をした男が現れたといいます。そして、その男は彼らの乾飯を奪い去った、と。この「入れ墨」という記述、当時の歴史書としては非常に珍しく、私の探求心を深く刺激しました。


「古事記」の記述から

『古事記』の安康天皇の条を見ても、同じような記述があるんです。市辺王の王子であるオケ王と袁祁王(ヲケ王)が、ある混乱を聞きつけて逃げ去る途中、山代の苅羽井(かばい)で食事をしていたら、「面黥(めんげい)ける老人」が現れた、と。この「面黥ける老人」、つまり顔に刺青をした人物こそ、私が以前の記事で触れた「隼人」ではないかと考えています。さらに、『田辺市大住』という地名に「久米氏」が住んでいた痕跡があること、そして「大住」が「貴人の住む所」という意味を持つことにも、深く思いを巡らせています。


繋がる歴史の糸

この「入れ墨」が、単なる装飾ではなく、特定の氏族や民族のアイデンティティ、あるいは何らかの役割を示す印であった可能性。そして、それが「久米氏」や「隼人」といった、古代史において重要な位置を占める人々に関連しているという事実は、まさに歴史のロマンそのものだと感じませんか?


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第978話


吾田彦はオケとヲケの二人の皇子を急がせ山中を抜けて山城の苅羽井(京都府木津川市山城町綺田:かばた)に着き乾飯を食していると顔に入れ墨をした男が現れ食している乾飯を寄こせと言って三人の乾飯を奪った。と日本書紀に書いてあります。


この入れ墨(刺青)をした男は、隼人とであると、第973話:オケとヲケ(2):水主神社で書きました。


古事記:安康天皇の条では、次のように書いています。


市辺王の王子等、意祁王(オケ)・袁祁王(ヲケ)、二柱この乱れを聞きて逃げ去りたまひき。かれ、山代の苅羽井に到りて御粮食す時、面黥ける老人*来て、、


山代の苅羽井(かりばい)というのは、綴喜郡樺井(かばい)のことです。

京都府城陽市水主宮馬場にある水主神社境内に樺井月神社があり、社伝では、樺井月神社は、元々は綴喜郡樺井(田辺市大住)にあったとされています。

田辺市大住に、隼人に住んでいたこと様々な文献に記されています。


大住とは「貴人の住む所」という意味です。

そして入れ墨(面黥)をしているのは、久米氏です。


古事記では、大久米命は、神武天皇の皇后;伊須気余理比売(イスケヨリ姫=五十鈴姫)に歌で呼びかけ、天皇との媒介をつとめています。またその中で歌われた旋頭歌では、「黥(さ)ける利目(とめ)」とあり、目のまわりに入れ墨をしていたとされています。


久米氏は、天孫・天皇の警護、戦闘にまつわる職務に従事しているとされています。

神武天皇東征説話に見える来目歌、戦闘歌舞の代表といえる久米舞は、久米氏・久米部の性格を考える上で重要です。


隼人も隼人舞という伝統を持っています。隼人舞(はやとまい)は、皇室にゆかりのある宮中の儀式用の風俗歌舞で、大嘗祭などで南九州の大隅(=大住)・薩摩に居住した隼人が演じた風俗歌舞です。


そして、入れ墨した男は「わしは山城の猪甘*(朝廷の豚を飼う部民)だ。」

と言っています。猪甘は、第626話:大阪と邪馬台国:猪飼野 で書いたように、猪を飼うのは労働者の体力を維持するためです。猪甘(猪飼)は台与(秦氏)の指導により働く労働者=土蜘蛛のためです。~第800話:大八島国と土蜘蛛


これらのことにより、「入れ墨をした男」は、隼人(大隅隼人)であり、土蜘蛛だったことが分かるのです。


※雅楽の始祖は神八井耳命とされています。神八井耳命は、台与です。第537話:神八耳命は台与(豊)


オケとヲケは、赤石郡(明石:兵庫県)縮見屯倉首のある家で行われた宴会で、乞われて見事な舞を舞ったことから、天皇の子であることが知れます。オケとヲケは雅楽=久米舞=隼人舞をマスターしていたのです。オケとヲケは台与です。


<関連項目>



<オケとヲケ>


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




 
 
 

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tootake
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tootake
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