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葛井寺・誉田八幡宮~藤井寺市・羽曳野市

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 6分

第714話 #行基 #応神天皇陵 #邪馬台国


葛井寺は、大阪府藤井寺市藤井寺にあります。西国三十三所第5番札所です。開山したのは、行基であると伝わっています。行基は、このブログで、予期せず登場しています。台与の行く先々で行基があらわれるのです。


藤井寺市の隣接する羽曳野市には、誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)があります。

誉田八幡宮の社伝によると、欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としており、最古の八幡宮を称しています。九州にある宇佐八幡宮よりもずっと古い八幡宮なのです。この地は応神天皇陵(誉田御廟山古墳)がある地で、応神天皇が幼少の頃に居住していたところとされ、応神天皇にとって特別なゆかりのある地であるとされています。奈良時代には行基によって神宮寺である長野山護国寺が境内に創建されています。

ここでもまた行基が登場します。そして応神天皇は台与です。第581話:応神天皇(第15代)は台与


このブログでは、観音信仰と台与というシリーズ記事を書いていたのですが、台与の関与する地にはかならずと言ってよいほど、行基が登場するのです。

*行基は毎回のこのブログに登場しています。第634話:観音信仰と台与(7)~慈愍山観音寺(千葉野崎観音(第630話)嵐山(第629話)の宝輪寺の堂塔を建てたのも行基です。行基は、台与(豊)と同じように大阪南部に多くの農業用のため池をつくりました。~大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)

・龍厳寺~神奈川県川崎市多摩区堰 行基創建とも慈覚大師創建とも伝えられている。阿弥陀堂の阿弥陀如来は行基作とされています。行基は大阪府の南河内で溜池を数多くつくるなど土木工事の達人です。~観音菩薩と台与(9)~高浜神社・常光円満寺:吹田 この辺りに行基が登場するということは、多摩川が頻繁に氾濫したからです。


台与と行基が登場する場所は、たいてい大きな川の近くです。この付近の重要な川は、

大和川、石川です。河内地方は、4世紀後半には日本と朝鮮半島と関係の緊張が高まるにつれて、瀬戸内交通の重要性が加わり、河川の整備・開発が進んだと考えられます。「野崎参りは船で行く」といわれるようにこの辺りに住んでいる人は、昭和の半ばごろまで船で大阪湾に行き来していたそうです。川には、水をせき止める堰が何か所もあり水位の調整により船で帰りも楽に航行できたのです。このシステムを作ったのが、台与と行基ではないでしょうか。【今昔さんぽ】「一家に一艘舟がある」水路が巡らされた大阪の水郷「御領」保存会のおじさまから飛び出す驚きの思い出話〈カンテレNEWS〉


*野崎観音も縁起は古く、天平勝宝年間(749年~757年)に行基が本尊の十一面観音像を自刻し、安置したのを開基とします。~第630話:観音菩薩と台与(3)~寂光寺:野崎観音:江口の君


葛井寺は、そもそもは葛井連の氏寺であったとされています。

葛井連の前身である白猪氏は百済辰孫王の後裔である王辰爾の甥である胆津を祖としており、日本書紀によれば、吉備国の白猪屯倉の田部の丁を定めた功績により白猪氏(しらいうじ)の姓を賜ったとされています。白猪氏は、日本書紀によると、欽明天皇、天皇が樟勾宮に行幸した際に、蘇我大臣稲目宿禰は勅を受けて、王辰爾を派遣し、船の賦(みつぎ)を数え、記録させた。この時、王辰爾を船の司とし、船の氏姓を授け、船氏(船)の祖先であるとされています。船という氏名は、さきほどの河川による水運システムを連想させます。ちなみに、船氏の本拠地は河内国丹比郡野中郷(藤井寺市野中及び羽曳野市野々上)と推定され、野中寺(やちゅうじ)は氏寺とされています。

*河内国丹比郡は、第618話:大阪と邪馬台国:丹比(たじひ)で書いたように、反正天皇(=台与)の宮があった場所です。


そして羽曳野市にある応神天皇陵(誉田山古墳:こんだやまこふん)は、古くから応神天皇の陵墓であるとされていますが、このブログでは応神天皇は台与としています。~第581話:応神天皇(第15代)は台与そして、台与の墓は、箸墓古墳であるとしています。調査結果から、被葬者は、倭の五王のうちの「讃」であるともされています。関連項目:hidemaru3375.com/post/倭の五王と辛亥の変・乙巳の変 箸墓古墳は大市(マシタ姫)の墓



※このブログを書いているうちに、台与の足跡をたどっているうちに、西国三十三番と重なる場所が増えてきました。

第一番 青岸渡寺→第543話:熊野の神々は、、、    

第二番  金剛宝寺(紀三井寺)→名草(和歌山市)第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)

第八番  長谷寺→第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮

第十八番  六角堂(頂法寺)→第519話:六角堂と平安京

第二十四番 中山寺→第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市

第三十番   宝厳寺(竹生島)→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖

第三十四番 長命寺→第709話:hidemaru3375.com/post/長命寺:武内宿祢と聖徳太子


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>


   




 
 
 

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tootake
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tootake
1日前
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<台与シリーズ>

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