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ツキヨミの正体(2):壱岐・対馬

  • tootake
  • 2025年12月16日
  • 読了時間: 7分

第898話


前回:月読命(ツクヨミ)の正体(1):秦氏では、「月神(ツキヨミ)は、通説では元々壱岐国の式内社である月読神社から分祠されたものであるとされています。山城国風土記:逸文によれば、月読尊が保食神のもとを訪れた際、その地にあった桂の木に憑りついたといい、「桂」の地名はこれに始まるという説話が記されている。」と書きました。桂は京都府の地名(京都市西京区桂上野)です。~:第338話:hidemaru3375.com/post/月読命(ツクヨミノミコト)-京都市西京区桂


北條勝貴(上智大学文学部史学科教授)は、「壱岐・対馬の日神・月神が密接な関係にあることは明らかで、木嶋社が元来対馬氏によって奉祀されていたのか、それとも尾張氏*系の氏族によって奉祀されていたのかは不明であるが、日神を奉祀する木島坐天照御魂神社は、

日月の両信仰が、ある時期に玄界灘から畿内地方へともに移植され、両社もそれらと軌を一にして創建されたものではないか」とされておられます。

*尾張氏の祖は台与です。~第409話:尾張氏と草薙剣

木島坐天照御魂神社第499話:木嶋坐天照御魂神社と日神の託宣


壱岐島(長崎県壱岐市)にある月讀神社の山城への勧請には、中央政権と朝鮮半島との関係において対馬・壱岐の重要視が背景にあるとされ、壱岐・対馬の氏族が卜部として中央の祭祀に携わるようになった時期を併せ考えると、月読神社の実際の創建は6世紀中頃から後半と推測されています。史実としては、大宝元年(701年)に「葛野郡月読神」ほか諸神の神稲を中臣氏に給するという記事が初見で、その後、斉衡3年(856年)に松尾山麓*に遷座とあります。*松尾山麓には、秦氏の松尾大社があります。第200話:松尾大社~秦氏はカモ族


月読神社の禰宜は、松室氏(まつむろし)が担っています。松室氏は、押見宿禰を祖とするといわれ、壱岐氏(いきうじ、壱岐県主のち壱岐直)の後裔とされています。この壱岐氏について、新撰姓氏録では壱伎直条に「天児屋命九世孫の雷大臣*の後」として、中臣氏(天児屋命後裔)系であるとする記載があります。*雷大臣命の雷はイカズチ=イカで中臣の烏賊津*と同一人物です。*中臣烏賊津~中臣氏~中臣烏賊津 


日本書紀:顕宗天皇3年2月条の月読神社の創建伝承では、高皇産霊*(タカミムスビ)を祖とする「月神」は壱岐県主(いきのあがたぬし)に奉斎されたとあります。また先代旧事本紀では、「天月神命」の神名で壱岐県主祖と見え、これらから、当社祭神の神格は海人の壱岐氏(いきうじ)によって祀られた月神(海の干満を司る神)と推定されています。また別の神格として、壱岐氏が卜部*を輩出したことから亀卜の神とする説もあります。

*第500話:卜部(うらべ)と中臣氏では、卜部氏と中臣氏の関係について書きました。


日本書紀:顕宗天皇では対馬下県直が奉斎した「日神」の記載があり、アマテラスとは異なる太陽信仰を出自とする神とされています。同条では、月神と同様にこの日神も高皇産霊*を祖とすると記されています。*高皇産霊はウツシコオです。~第246話:高御産巣日神(高木神)


上記により、月読(ツキヨミ)は、壱岐・対馬との関係が深いことが分かります。

そして、壱岐・対馬は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王と関係が深いことが分かります。


前回:月読命(ツクヨミ)の正体(1):秦氏では、木嶋坐天照御魂神社と秦氏との関係を書きました。このブログを書き進めるにつれて、当時最先端の文化技術を持っていた秦氏こそが海神族=安曇族でそのリーダーがウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが分かってきました。

・琉球神道記・鹿嶋明神事には、「筑前の鹿の嶋*の明神、和州貸すが(=春日)明神、此、鹿嶋、同磯良(=安曇)の変化也」とあります。和州貸すが明神とは、和州=大和、貸すが=春日です。磯良は安曇一族の祖です。八幡愚童訓では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしています。鹿の嶋は志賀島です。第365話:君が代(2):君はウツシコオ


・対馬もその安曇族=秦氏の拠点地だったのです。亀朴(きぼく)、太占(ふとまに)といった儀式も当時は、最先端の技術だったと思われます。亀朴や太占を行っていた人達は、少なくとも文字の読み書きは達者だったほずです。

ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王をリーダーとする一族は、近畿に入り、三島(茨木市)、ヤマト:高槻市、枚方市、交野市に拠点を移します。そこが邪馬台国です。~第430話:倭(やまと)は高槻市、葛城は交野市


壱岐氏=安曇族=卜部氏=中臣氏=ウツシコオ・台与の一族です。


以上に事により、壱岐・対馬は秦氏(ウツシコオ、台与)の拠点地の一つであったことは、間違いないと思われます。

※魏志倭人伝では、「始めて一海を度ること千余里にして対海国(対馬)に至る。その大官は卑狗と曰ひ、副は卑奴母離と曰ふ。」とあります。

対海国(=対馬)のトップは、卑狗です。卑狗とは「彦」でウツシコオのことです。


すでに、このブログでは、第749話:出羽三山(2)~月山・月(調)と兎を書いた時点で、ツクヨミは台与だとしています。ツクヨミの月は調(つき)です。税金として国に治める(調)→調(つき)→月という連想です。日本で税を定めたのは崇神天皇です。崇神天皇は台与です。~第575話: 崇神天皇(第10代)は志理都比古

台与は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王の子(または孫)です。


※秦氏~養蚕→秦織物→税金(調:ちょう)=調(つき)→月→月読ということです。

※ウツシコオ・台与の一族=秦氏=邪馬台国です。


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<追記>

・日本書紀によれば、顕宗天皇(第23代)3年に任那への使者の阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に月神から神託があり、社地を求められた。朝廷はこの月神に対して山背国(山城国)葛野郡の「歌荒樔田(うたあらすだ)」の地を奉り、その祠を壱岐県主祖の押見宿禰が奉斎したといいます。日本書紀、新撰姓氏録によると、阿閉は阿倍で阿閉事代は事代主のことです。阿部氏の祖は大彦(=台与)です。~阿部(安部)氏~岸辺(吹田市)

 事代主もウツシコオです。~275話:事代主もウツシコオ

・松尾大社の大祭に、神輿ではなく唐櫃を出します。この唐櫃は、当社に御船社があることから、船の意味だと推定されます。月神が船に乗って渡御する事を示しており、松尾大社の月か見が元々海人(安曇族)に信仰されていた事の名残だと考えられています。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 
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