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松尾大社~秦氏はカモ族

更新日:1月15日

第200話


山背国愛宕郡(京都市左京区、北区)の鴨川上流域を本拠地とした賀茂(鴨)氏と関係が深かったと書きました。が、実際はそれ以上で鴨氏と秦氏は同一の一族だと言っても良いくらいです。秦氏が建てたとされる松尾大社には、次のような伝説があります。


初め秦氏の女子、葛野河に出で、衣裳を澣濯す。時に一矢あり。上より流下す。女子これを取りて還り来、戸上に刺し置く。ここに女子、夫なくして妊む。既にして男児を生む。(中略)戸上の矢は松尾大明神これなり。(中略)而して鴨氏人は秦氏の聟なり。所引「秦氏本系帳」


このような神婚譚は、大神神社や賀茂別雷神社・賀茂御祖神社でも伝わっており、山城国風土記に書かれている、賀茂建角身命の子の玉依日売が川上から流れてきた丹塗矢(ここでは乙訓郡の火雷神)により妊娠して賀茂別雷命を産んだという、賀茂県主氏の伝承と同じです

「而して鴨氏人は秦氏の聟なり。」の「聟」とは婿のことです。鴨氏と秦氏は親戚になっていたのです。塗り矢伝説~邪馬台国異聞11 (hidemaru3375.com)


松尾(まつのお)大社の祭神は、大山咋神と中津島姫命(なかつしまひめのみこと)で 中津島姫命は市杵島姫命の別名です。ちなみに大山祇(大山咋神)と市杵島姫命は親子です。大山祇~邪馬台国異聞8 (hidemaru3375.com)

大山咋神と市杵島姫命はすでに何回か述べたように、大和朝廷(邪馬台国)の水運を司るカモ族の守り神です。


中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社です。

酒の神とされているのは、同じ秦氏が創建した大酒神社、大避神社おおさけじんじゃ)の酒との連想でしょう。


ところで、淀川、木津川、桂川が合流する地点にある天王山の頂上近くにある神社は、自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)、通称酒解神社(さかとけじんじゃ)という神社でやはり「酒」が付いています。京都府乙訓郡大山崎町にある神社。祭神は、大山祇神を主祭神とし、素盞嗚尊を相殿に祀っています。素戔嗚は天王と呼ばれており、天王山も素戔嗚に関係があると思われます。そして「酒」が付いていることと、大山祇を祀っていることから、カモ族=秦氏との関係があるはずです。大避神社(おおさけ神社)の「避ける」という字は昔は門構えの中にあり、以前は大闢神社だったのです。『闢』という字は「びゃく」と発音し大闢=だいびゃく=ダビデを表しています。中国語でも大闢はダビデを意味します。この大避神社は、秦氏が開設した神社なのです。


そして、天王は難波の天王寺を連想します。天王寺も秦氏が建立に関わっている可能性があります。なぜなら聖徳太子は、4世紀頃に秦国から百済を経由して日本列島の倭国へ帰化した有力氏族である秦氏の儕輩とされています。秦氏は、聖徳太子信仰の担い手になっていったとされています。四天王寺の舞楽が秦河勝の子孫が掌ったといわれている伝承もあります。


四天王寺の「四」とは

聖徳太子は四天王寺に「四箇院」(しかいん)を設置しました。四箇院とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つで、敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は現代の薬草園および薬局・病院に近く、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための今日でいう社会福祉施設です。


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。


松尾大社に供えられた酒樽


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