磯歯津道(しはつみち):住道
- tootake
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更新日:1 日前
第1098話
磯歯津道(しはつみち)は、雄略天皇の時代に整備されたとされる古代の国際街道です。大阪市住吉区の住吉津(すみのえのつ)に到着した外国使節を飛鳥の都へ案内するために造られた道で、現在の長居公園通におおむね重なるとされています。
長居公園通にほぼ沿っていた街道で、住吉区の浜口町付近に上陸した外国使節がこの街道を東進し、奈良に向かったものと考えられています。
日本書紀の雄略天皇紀には、「雄略8年に青(アオ)*と博徳(ハカトコ)が呉国に出使し、呉の使いと共に機織の技術者を連れて住吉の津に上陸した。そして呉の来朝者のため道を造って磯歯津路を開通させて、これを呉坂(クレサカ)と名づけた。」と記載されています。
「しはつ」は磯果、磯歯津、四極等と万葉集にも出てくる地名です。
当時の中国の王朝から渡来した人々は住吉津に上陸した後、磯歯津路を通り、旧大和川を利用し、水路・陸路をたどって奈良に向かったと考えられます。
この磯歯津路から眺められる、現在の住吉区から東住吉区にかけての丘を四極(しはつ)山とよび、万葉集にも詠まれています。
大阪市東住吉区住道矢田に中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじや)があります。祭神は、中臣須牟地神、住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長帯比売命)です。
須牟地とは、古代に住吉と大和の都を往来した磯歯津路 のところどころにあった中継点(休憩所)のことです。各所に外国使節に酒肴などを提供する迎賓施設が神社として残ったとされています。須牟地神社は他に須牟地曽根(そね)神社(堺市北区蔵前町)、神須牟地神社(かみすむぢじんじゃ:大阪市住吉区長居西)があります。
須牟地(すむち)は住道(すむじ)とも表記されく。住吉の道の神という意味だと思われます。
住吉大社神代記の「子神(末社)」を列記した箇所に、「赤留比売神(中臣須牟地神、草野神)」との記載があり、中臣須牟地神の正体は赤留比売神であるということになります。
赤留比売神は台与です。
~第623話:大阪と邪馬台国:姫島~大阪市西淀川区 第183話: 阿加流比売神は下照姫
考古学の研究によると、中臣須牟地神社のある大阪市東住吉区住道矢田は、畿内での弥生式農耕文化の発祥地で、弥生式文化時代全体にわたる広大な住居地であったようです。
ここに発達した農耕文化は、紀元前後には畿内全体に広がり、三世紀ごろには日本全体に影響したといわれます。
祟神天皇はここにわが国最古の依網(ヨサミ)池を作られ、埀仁天皇は最大の狭山(サヤマ)池をつくられて、年々豊作が続き、やがて朝廷のいきおいは朝鮮半島にまで及びました。応仁天皇の御代に、大陸の人達が、本国の戦乱をさけて平和な我が国に新しい大陸文化を伝えました。
この記事の中に登場した雄略天皇、祟神天皇、応神天皇は台与です。
第522話:雄略天皇は台与(豊) 第581話:応神天皇(第15代)は台与
第1094話:崇神天皇と租庸調
*青(アオ)とは、身狭 青(むさ の あお)のことで、姓は村主(すぐり)。
身狭氏は、新撰姓氏録に「牟佐村主」とあり、「呉ノ孫権ノ男ノ高ヨリ出ヅルナリ」とあり、呉国からの渡来人とされています。
ということは、身狭 青は呉の勝(すぐり)です。呉の勝については、このブログで何度も書いています。
呉の勝=安曇族=卜部氏=中臣氏=物部氏=秦氏=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ・台与の一族=邪馬台国です。
~第924話:秦氏の研究、第1041話:勝氏:出雲と台与(9)
中臣須牟地神の中臣についても、第500話:第500話:卜部(うらべ)と中臣氏
、第787話:第787話:中臣鎌足は、、、などでウツシコオとの関係を述べました。
次回に続く→身狭青は土師氏~磯歯津道(2)
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<蛇足の追記>
磯歯(しはつ)は地名語として複数の解釈があり、
・「磯(海辺)+歯(突起・岬)」の地形語
・万葉語の「四極(しはつ)」など古称の音写
・「始発/始発路」の語義転用、のいずれか、あるいは複合的由来と考えられます。
始発は語の当て字的解釈で、街道機能(住吉津から飛鳥へ向かう起点)を説明する説明力がありますが語源学的裏付けは弱めです。
反正天皇(はんぜいてんのう)は、日本書紀での名は瑞歯別天皇で、「歯」が付いているので、「反正天皇は磯歯津道からの連想で創作された人物」では、と考えてしまいます。
大阪府大東市の「住道」は「すみのどう」と読みます。住道(すみのどう)は私の父親が最後に勤務していた所なので、私にとって懐かしい地です。
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




こんにちは。いつもブログを読んでいただきありがとうございます。最近、大阪の街を歩いていると、ふと千年以上前の風景に思いを馳せることがあります。今回は、そんな古代の国際街道「磯歯津道(しはつみち)」について深掘りしてみました。
雄略天皇の時代、住吉津に上陸した外国使節を飛鳥の都へ案内するために整備されたのが、この磯歯津道です。現在の長居公園通のあたりが、当時の最先端のルートだったなんて、なんだかワクワクしませんか?
日本書紀にも記されたこの道は、呉国から来た技術者たちも通ったはず。住之江から大和川の水路、そして陸路へと続く当時の旅路を想像すると、古代のロマンが胸にこみ上げてきます。
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
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