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 甲斐の磯部

  • tootake
  • 14 時間前
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第1015話


前回:甲斐国と邪馬台国では、彦坐命=狭穂彦命=台与で、塩見足尼=台与の父のスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米としました。


この彦坐王系統の諸氏族が海神族系の磯城県主*の初期分流に出ており、本来は「磯部・石部」を氏とすることが分かってきたという文献があります。~宝賀寿男:甲斐国造の系譜と一族


宝賀寿男氏は両毛地方の毛野氏検討などの過程で、「東国各地における磯部の分布を追いかけるうち、甲信地方における磯部の存在につきあたった。」と述べられておられます。


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信濃の磯部は、埴科郡に磯部郷が和名抄にあげられており、それが北陸の磯部・石部から両毛のそれにつながる結節地点ともなっている。磯部・石部の地名や神社は甲斐にはなく、毛野の移動経路からもはずれているので、甲斐についてはあまり気に留めていなかった。ところが、太田亮博士の『姓氏家系大辞典』にはイソベの第34項に甲斐の磯部について触れ、甲斐三宮の国玉大明神(玉諸神社。甲府市国玉町)の旧社家(祠官家)が磯部氏だと記して、次のように記述する。

 「寺社由緒書抄に文政九戌年九月磯部出雲正冬花押とあり。当国磯部氏は佐々木氏流なりと伝ふ。信濃にも磯部氏あり。……」と。

 これに限らず、甲斐の磯部氏は社家として近世まで永く続いて「磯部文書」を遺し、東大史料編纂所には磯部正佐(山梨県西山梨郡国里村)原蔵の謄写本がある。この磯部氏で最も著名なのが、武田信玄・勝頼親子に仕え長篠合戦で奮戦空しく討死した磯部竜淵斎(名は正清)である。武田信虎の時代から甲斐武田氏のもとで働き、弓馬の達人として知られて、各地に出陣した。信玄の時代には、天文十五年(一五四六)頃の「八月十二日付け」で竜淵斎宛に信玄自らが信濃出陣中の諸将の様子を伝えて、意見を問うている。玉諸神社の西側、大橋の森の傍らに深き淵があって「竜の淵」と呼ばれたが、磯部家四五代当主「竜淵斎」はこの淵の名に由来するという。


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日本書紀や続日本紀などに見える有馬君、朝倉君、井上君、物部君、石上部君、磯部君、檜前部君等を上毛野氏と同族であるとする説があります。続日本紀:天平神護元年11月条に、「上野国甘楽郡人の中衛・物部蜷淵ら5人が、同2年5月条によれば、上野国甘楽郡人の外大初位下・礒部牛麻呂ら4人がそれぞれ物部公を賜わっています。


第985話:下総と忌部氏~千葉県では、総国(両毛)がウツシコオの国であることを述べました。


(中村修氏の「海部と磯部」、『海民と古代国家形成史論』所収)より引用

伊勢を中心に磯部の繁衍(はんえん)があり、その意味でイソベはイセベではないかとも言われたが(太田亮博士など)、伊勢の地名起源が「磯」にあったとしても、その逆はおそらくなかろう。というのは、伊勢・志摩在住の磯部については、大きく二流あって、一つは磯城県主*から出た三輪君氏の支流が伊勢に行って石辺君や宇治土公磯部氏となり、もう一つは彦坐王後裔から出た丹波国造家の支流一派(同じ海神族系の尾張氏族の支流とする系図には仮冒がある)が雄略朝に保食神を奉じて丹後から伊勢山田原に移遷し、度会神主などの一族となったものである。これらが伊勢中心に中世・近世まで広く見られたし、磯部のほうが先にあったとみられるからである。磯部は石部に通じ、これらの分布地は海岸部に限らず、山間地にもかなり多い事情もある。


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磯部の「磯」は、「磯城:しき」の「磯」です。磯城は大阪府枚方のことです。

そして「磯:イソ」は、「五十:イソ」です。五十の付く記紀の中の人物は、台与(豊)です。五十鈴姫(ホトタタライスケ依姫)は台与のことです。~第76話:とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中

他にも五十のつく人物はすべて台与のことです。

五十瓊敷皇子(印色入日子命)~日置氏と製鉄と台与(豊)~枚方市招堤

・五十狭芹彦命(いさぜりひこ‐の‐みこと)は日本書紀で、孝霊天皇の皇子。吉備津彦命(桃太郎)

・五十迹手(いそとて:イタテ)、イツツヒコ(五十彦:彦五十瀬)~倭人と韓人 イツツヒコ・イソタケル・イタテ


*磯城県主は、ウツシコオのことです。欠史八代の妃のほとんど、シキ(師木は磯城に同じ)の出身です。これは、欠史八代の天皇は台与だからです。~第320話:欠史八代はヤマト=三島


「三輪君氏の支流が伊勢に行って石辺君や宇治土公磯部氏となり、もう一つは彦坐王後裔から出た丹波国造家の支流一派(同じ海神族系の尾張氏族の支流)が雄略朝に保食神を奉じて丹後から伊勢山田原に移遷し、度会神主などの一族となった、、」

とありますが、三輪君氏も彦坐王後裔もウツシコオ・台与だからです。三輪=大神神社の祭神である大物主は台与です。~第653話:大神神社(16)~大物主は台与!!

丹波国造家については、第1007話:かぐや姫:丹波と邪馬台国(6)

で書いたように丹波の大縣主:由碁理は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米です。


宝賀寿男は、『古代氏族系譜集成』を編纂していたなか、系統の判別が難解など諸課題があったうち、処理に困惑した点の一つが甲斐国造の祖系の判断であった。と述べられておられてます。甲斐国造もウツシコオ・台与であったすれば、甲斐国造の祖系は容易に理解出来ます。第757話:甲斐国と甲斐田(枚方)では、甲斐国と枚方市にある甲斐田との関係を書きました。


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<蛇足の追記>

福井県坂井市丸岡にも磯部という地名があります。〒910-0365

丸岡は継体天皇が育った地とされています。継体天皇は台与です。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

3件のコメント

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tootake
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tootake
13時間前
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<これまでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが判明した人物>


第374話:牛鹿臣はウツシコオ!   第371話:彦狭島命~吉備児島

第372話:建日方別:彦狭嶋命  第369話:神武西征~健磐龍命

第365話:君が代(2):君はウツシコオ   第363話:彦はすべて、ウツシコオ

第324話:武内宿禰はウツシコオ!!  第325話:天之日矛はウツシコオ

第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口  第327話:于道朱君の衝撃~新羅

第328話:沙至比跪(サチヒコ)  第329話:アメノヒボコはウツシコオ

第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬)  第331話:朱智神社~迦邇米雷王

第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?

第380話:猿田彦は異国人     第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰

第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛! 

第336話:大屋彦~根の国は和歌山  第337話:阿多賀田須命~宗像氏

第338話:月読命(ツクヨミ)      第349話:天児屋命はウツシコオ!!

第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考    第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命

第318話:空海のルーツは内色許男命!   第319話:和知津美命はワタツミ!!

第320話:欠史八代はヤマト=三島    第230話:三嶋溝抗命たち(複数)

第231話:神八井耳命は三毛入野    第232話:内色許男命は武埴安彦命!

第274話:八咫烏もウツシコオ   第275話:事代主もウツシコオ?

第279話:開化天皇          第280話:建角身命もウツシコオ

第263話:中臣氏~中臣烏賊津      第256話:ウガヤフキアエズのミコト

第244話:大津神社と建南方富命  第245話:豊御気主命は三毛入野!

第246話:高御産巣日神(高木神)  第247話:今迦毛大御神と天若日子

第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子  第251話:猿田彦は塩土老翁神

第252話:迦毛大御神は崇神天皇!  第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!

第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命

第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命  第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥

第395話:天日鷲命は、、、  第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇


hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過程

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tootake
14時間前
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「磯部」という名前に隠された古代の糸口

このブログ記事を読んで、私は「磯部」という地名や氏族名に、古代の想像以上に深い繋がりがあることを知りました。特に、彦坐命(ひこ い ます みこと)を狭穂彦命(さほひこみこと)や台与(とよ)と同一視し、塩見足尼(しおみ の すくね)を台与の父でありスサノオ(津田の王)、ウツシコオ(内色許男命)、難升米(なのすくね)とも結びつけるという説には、思わず引き込まれてしまいました。宝賀寿男氏の研究によると、この彦坐王系統の氏族が、海神族系の「磯城県主」の初期分流に関わっており、本来「磯部・石部」を氏としていたことが分かってきたそうです。

「昔は私も、甲斐の国に「磯部」という地名や神社があまりないから、この一族は関係ないのかな?なんて思っていたんです。でも、太田亮博士の『姓氏家系大辞典』を紐解くと、甲斐の国玉大明神(現在の玉諸神社)の旧社家が「磯部氏」だったという記述があって。なんともロマンがありますよね。」

邪馬台国との繋がりは?

信濃(今の長野県)の埴科郡には「磯部郷」という地名が和名抄にも記されています。これが、北陸や両毛(群馬県あたり)の「磯部・石部」と繋がる重要な地点だったというんです。つまり、この「磯部」という名前が、古代の有力氏族や交易ルートをたどる鍵になっているのかもしれません。邪馬台国がどこにあったのか、その謎を解くカギが、意外な場所にあるのかもしれないと思うと、ワクワクしませんか?

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