丸岡と継体天皇~福井県坂井市
- tootake
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第904話
國神神社(くにがみじんじゃ)は、福井県坂井市丸岡町にあります。丸岡城の近くです。
國神(くにがみ)神社は、男大迹王(おほどのきみ:後の継体天皇)と倭媛(やまとひめ)の皇子である椀子皇子(まるこのおうじ)を祭神として祀っています。社伝では、椀子皇子が武烈天皇8年に、磨留古乎加(まるこのおか:丸岡城がある丘)に降誕され、その胞衣(えな)を埋めて神明社としたのが創建と伝えられていて、磨留古乎加という地名は皇子の名前と丸岡の地名の由来となっています。
このブログでは、男大迹王(継体天皇)は台与としています。
*胞衣にくるまれてしたのは、瓊瓊杵尊(ニニギ~台与)です。
~第436話:瓊瓊杵尊:ニニギは台与
日本書紀によれば、近江国高島郡三尾に住んでいた彦主人王*(ひこうしおう)は、越の坂名井(さかない)から振媛(ふりひめ)を妻として迎え、振媛は、後の継体天皇である男大迹王(おおどおう)を生みましたが、まもなくして彦主人王がなくなったため、幼い男大迹王を連れて故郷の高向(たかむく)に帰り、養育したと記されています。
高向神社も丸岡町(福井県坂井市丸岡町高田1丁目)にあります。祭神は、応神天皇、振媛命です。この地は「高向の宮跡」と呼ばれる史跡で、武内宿禰六世の孫高向氏が統治した高向の郷で、継体天皇の母・振媛命が、継体天皇を育てた宮の跡とされています。
継体天皇の母親である振媛は、上宮記*逸文に、布利比弥(振媛)の系譜には、石衝別命の系図になっています。石衝別命は羽咋君・三尾君の祖とされています。
石衝別命については、第451話:磐衝別命と健磐龍命で、台与としています。
*上宮記は、聖徳太子の伝記のようなものですが、聖徳太子、の系図は記紀の系図の埋まらない部分を埋めるため、あとから創作されたものです。
継体天皇の出自についても、その系譜は定まったものでなく、時代の設定によって変化し、応神自身も実在が疑わしい人物であることから、そもそも継体天皇が本当に遠い傍系の王族なのかも極めて疑わしいという説もあります。~上宮記 - Wikipedia
上宮記の、まとまった逸文は継体天皇と聖徳太子関連の系譜で占められるのも奇妙です。
このブログでは、聖徳太子=継体天皇=台与としているので、上宮記は、聖徳太子と継体天皇が台与であることを隠すために書かれたものだと思います。
丸岡町の高向このあたりが継体天皇ゆかりの「高向の宮跡」 であろうと推定されています。このあたりは、昔、荒泥沼であったところを九頭龍川の水口を切り開いて干拓し、坂井平野をつく られたされており、椀子皇子は、湿地帯であった坂中井平野の治水開拓を進めたことにより国土開発の守護神として崇められています。
このブログでは、台与とウツシコオは、日本各地で治水工事を行ってきたとしています。
椀子皇子=台与とすれば、話が通じます。
第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2 第879話:穴太衆と邪馬台国
九頭竜川も八岐大蛇(ヤマタノオロチ=淀川)と同様、しばしば洪水を起こしています。
九頭竜川も八岐大蛇です。
なお、第385話:継体天皇の父はウツシコオ継体天皇の父は汗斯王(彦主人王)とされています。彦主人王はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
磨留古乎加が丸岡の地名の由来とされていますが、丸岡という地名が古代からあったからこそ、台与に椀子皇子(まるこのおうじ)という名前を当てはめたのです。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

丸岡は筆者の本籍地です。筆者は、継体天皇が即位したといわれる枚方市楠葉にも住んでいました。



<台与シリーズ>
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