第362話~栗東市は交通の拠点
伊勢遺跡は滋賀県にあるびわ湖に面した野洲川の下流域の栗東市・守山市にあります。
伊勢遺跡は、滋賀県守山市伊勢町から阿村町にかけて発見された弥生時代後期の約30ヘクタールに及ぶ大規模な遺跡で、弥生後期としては国内最大級です。
伊勢というの守山市にある地名です。すでに伊勢津彦はタケミナカタ という記事で伊勢はイソ(磯、五十)すなわちワタツミ一族=呉の勝であることは述べています。
伊勢津彦=建御名方神(タケミナカタ)=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
大型建物群として、中央部に二重柵方形区画の中に整然と並ぶ建物群(政治・祭祀施設か)、その東に楼観が認められているほか、方形区画を取り囲むように円周状に並ぶ独立棟持柱付建物群(祭殿と思われます)、北側に竪穴建物(首長居館)が発掘されています。これまでの調査において検出された大型建物は計13棟を数え、その様相からは近江南部地域における政治・祭祀の中心地であったと想定されており、魏志倭人伝に見える「クニ(國)」の1つになるとして注目される遺跡です。
この遺跡をもとに邪馬台国近江説を唱える研究者もいます。天安河原は、八百万の神々が集まり話し合いをした伝説の場所とされていますが、野洲川はこそが天の安河(やすのかわ)
だと私は思います。
伊勢遺跡の特徴として、このような大規模な遺跡であるにも関わらず、大勢の人たちが日常的に生活していたような痕跡が見当たりません。大型建物群や周辺の溝からは生活遺物が出てこないのです。その当時の墓地も見つかっていません。このような事実からも、この場所が特殊な位置づけの遺跡であることが推定されます。
私は、この伊勢遺跡は、邪馬台国(大和朝廷)の離宮だったと思います。普段は、枚方市・交野市で政治を行っていますが、時にはこの離宮で儀式(政治)を行っていたのだと思います。邪馬台国近江説をとなえる後藤聡一氏は東京生まれのなので近畿のことが良く分からないと思いますが、滋賀県の栗東市は、私が邪馬台国の重要拠点とする巨椋池に非常に近いのです。
私は、大阪府枚方市に住んでいますが、毎日、仕事で栗東に通っているのです。京治バイパス乗れば巨椋からは30分で栗東に着きます。古代に京治バイパスなどないと思われるでしょうが、それがあるのです。栗東から野洲川で琵琶湖に出て瀬田川を下っていくと歩かずとも、ウツシコオ(内色許男命)の名前の由来となった内里に出ます。瀬田川は途中から、木津川となり、これまでこのブログで述べて来た京田辺市の天王、大住(大隅)、や銭司、恭仁京、椿井大塚山古墳 などを通過し、京都府八幡市から巨椋池、淀川(河内湖)へと続いています。邪馬台国は巨椋池 です。京都府宇治市伊勢田町若林というところに伊勢田神社があります。ここは巨椋池の湖畔です。
なお栗東、古代より交通の要衝で、日本発の高速道路である名神高速は、栗東IC - 尼崎IC (71.7 km) は、1963年(昭和38年)して開通したのです。名神高速は栗東から三車線になります。
関連項目:全ての道は三島に通じる。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
瀬田川~よく見ていただくの京治バイパスと並行して流れていることが分かると思います。
三島はウチです。
日本書紀 の 注釈 書 で ある「 釈日本紀」 の 中 には、 伊予 国 の 大山祇神( お おやま つみ の かみ) の 説明 が あり ます。
宇知郡 御 島 坐 神 御名 大 山積 神 一名和多志大神也 是 神 者 所 顕 難波 高津宮 御宇 天皇 御世 此 神 自 百済 国 度 来 坐 而 津 国 御 島 坐 云々 謂 御 島 者 津 国 御 島 名 也
ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子