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邪馬壱国に至る 水行十日、陸行一月

  • tootake
  • 2 日前
  • 読了時間: 7分

更新日:2 日前

第1102話


邪馬台国関連の本・ブログでは、必ずこの一節が登場します。

南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所なり。水行十日、陸行一月なり。


このブログでは、千回を超えても、一度も水行、陸行について書いていません。

そこで、魏志倭人伝を書いた張政はどのような船で来て、何日かかったかを調べてみました。


中国では大型船は、紀元前3世紀にはありました。漢代には大型化し、魏志倭人伝の三国時代には外洋航行が可能なレベルに到達していました。

帆柱を複数持つ船で、水密隔壁(bulkhead)を持ち、ジャンクの特徴である竜骨のない平底構造の船です。三国時代(3世紀)=卑弥呼がいたころ、赤壁の戦いに曹操は「連環船」という呉の大型軍船を使っています。

魏の大型船では、航海日数は朝鮮半島 → 北九州:距離:約170〜190km 帆船の平均速度:4〜6ノット(7〜11km/h)約15〜25時間(1日前後)で来られます・

風待ち・潮待ちを含めても 2〜3日

帯方郡(ソウル付近)→北九州では、距離:400〜450km 帆船の速度:同上

約40〜60時間(2〜3日)寄港・天候待ちを含めても 3〜5日です。

つまり魏の使節は「数日〜1週間以内」に邪馬台国に到達できました。

これは、魏志倭人伝の「行程が長すぎる」問題(陸行・水行の謎)を再検討する上で非常に重要なポイントです。


このころの日本側には帆船がなかったと思われているようです。

卑弥呼の時代の日本では、帆の考古資料が存在しない、埴輪・線刻画にも帆が描かれない

船は丸木舟+舷側板の準構造船が主流で 日本側は櫂船で中国、朝鮮に行ったと思われています。


第117話:小説 邪馬台国前史~船では、「中国では弥生時代後期には確実に帆船(ジャンク船)がありました。播磨国風土記には、こんな記述があります。「太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた。」と書いています。

つまり呉の勝は韓=中国大陸からの移住者で、帆船(ジャンク)に乗って和歌山県の名草にたどり着いたと思われます。

第924話:秦氏の研究では、呉の勝=安曇族=卜部氏=中臣氏=物部氏=秦氏=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ・台与の一族=邪馬台国としています。


神武東征で、手置帆負命なる人物が名草の彦佐知命と並んで登場しています。手置「帆」と名前に帆が入っています。彦狭知命の父の手置帆負神とされており、名前に帆がついていることから船乗りであったことが想像できます。彦狭知命(ひこさち)も船の操作にも長けていたほずです。~第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)


このブログでは、台与とスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米は、日本各地を訪れています。

南は鹿児島から、北は久慈、金華山なども行っています。

第476話:金華山と百済王敬福


台与とスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米は陸路ではなく、船で行ったのでしょう。前回:厩戸皇子と駅路で書いたような駅路(街道)はまだ整備されていなかったからです。


ちなみ、江戸時代に船で大阪から江戸に行くのに、平均で4日~7日です。

樽廻船が 大阪から江戸まで航行する平均日数は「約5日」 です。 さらに、最速は約3日で到着した記録があります。


菱垣廻船は大坂〜江戸間を平均30日ほどで結んだとありますが、菱垣廻船は大量輸送を担う大型船で、以下の要因で日数が伸びました。

・風待ち・潮待ち(外洋航行は風向き依存)

・港・補給(紀伊半島沖、伊豆沖での停泊)

・海難回避のための保守的な航行

・荷主の集荷方式(満船になるまで出帆しない)

早着を競う「新綿番船」では、 通常100時間(約4日)→最速50時間(約2日強)という記録もあります。


なお船を使わず徒歩で行った場合、元禄年間(1688–1704)の大坂―江戸間の所要日数は 平均32日、早くて10日 とされています。大阪の商人は、12~15日で行ったようです。


江戸へ行くのに船で10日で、歩いて一か月かかったというのが当時の常識です。

いいかえると、大坂から江戸まで、水行十日、陸行一月ということです。


院政期の上皇方が京都から熊野へ向かった熊野御幸(熊野詣)は、片道で約10〜12日、往復で約20日以上かかりました。 これは複数の一次史料(『為房卿記』『中右記』)および城南宮の記録に基づく確実な数字です。


邪馬台国の時代でも、歩くより船で行った方がかなり速かったと思われます。


難升米(彦狭知命)は、魏に何度も行ったと思われます。(記録にあるのは:238年のみ)


彦狭知命(ひこさち=ウツシコオ)は阿曇氏(安曇氏)だと思われるのです。

経津主大神を祀る香取神宮のカトリは「楫取 = かじ(舵)取り」という古名から、古くは航行を掌る神として祀られたという見方もあります。経津主大神は彦狭知命(ひこさち)です。~第589話:彦狭知(ヒコサチ)の物語(1)~経津主神  

饒速日(ニギハヤヒ=台与)が河内に天下っと時の物部防衛隊の中には、船長跡部首人、梶取(船の舵)阿刀造もいます。~第89話:物部防衛隊


難升米(彦狭知命)=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)が大型船を持っていたとしても不思議はありません。


ウツシコオと台代は、鹿児島、久慈、金華山へも船でいったのです。


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<蛇足の追記>

魏志倭人伝を書いたとされる張政と台与(豊=女王)とは、仲が良かったようなのです。魏志倭人伝には次のよう書いてあります。


卑弥呼死後に男の王が立つが国がまとまらず、お互いに衝突して殺し合って、その死者は千余人にのぼった。そこで卑弥呼の宗女であった台与が十三才で女王に立てられるとやっと国がまとまった。張政は激を以って台与に告諭して、台与は倭の大夫の率善中郎将の掖邪狗(えきやく)等、二十人を派遣して張政を魏に帰還させた。


一説では、黄幢を渡した時、魏の崩壊の前後であるため、台与の使者が贈った品々を晋王に献上させて張政自身の保身を図ったと考えられるとされています。

台与は張政に船の作り方を教えてもらったのかもしれません。

応神天皇(=台与)は「枯野」という船は高速船を持っていたことが、記紀に書かれています。「枯野」は「軽野」であったともいいます。「軽」は台与のことです。



関連項目:第128話:邪馬台国異聞3~縫合船



これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




 
 
 

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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秀丸 遠嶽
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<これまでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが判明した人物>


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