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厩戸皇子と駅路

  • tootake
  • 13 時間前
  • 読了時間: 7分

更新日:4 時間前

第1101話


駅路(えきろ)とは、古代律令制において定められた駅使が通行する官道のことです。七道駅路ともよばれ、宿駅・駅馬が整備されたていました。国が発給した駅鈴を携行する駅使のみが駅馬を用いることができました。


駅路は、近畿と大宰府及び五畿七道の国府とを結ぶ迅速な情報伝達を目的とする道路網で、国家の命令・地方国司の報告・緊急事態の文書連絡は、駅使がこの道を用いて駅馬を乗り継ぎ文書を運んだのです。都から放射状に道路が整備され、五畿七道を跨いだ国府間を連絡する道も整備されていました。


古代律令時代の駅路は七道駅路ともよばれ、古代日本の領域を覆うように巡らされた駅路の道路網を指し、畿内にある都(平城京、のちに平安京)を中心として樹状に、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の七道の地域のすべての国々に伸びていました。


駅路には、平均して30里ごとに駅家(うまや)が置かれ、駅制とよばれる古代道路におけるシステムによって運用されていました。隠岐国、西海道・南海道など海路を経由する駅路の駅には船も設置されており、や大きな川沿いの駅には駅船も置かれていました。


駅路ではの宿泊・休憩だけでなく、駅馬(はゆま)の乗り継ぎ、食事・給湯・馬具・秣などの補給、駅鈴による通行資格の確認が行われていました。


駅路は一朝一夕に完成したものではなく、近畿(邪馬台国)と地方を結ぶ道路は大化以前から存在したと思われています。台与がいた邪馬台国の時代にも、駅路の元となるようなシステムがあったと思います。邪馬台国に馬がいたかどうかについては、第492話:邪馬台国には馬がいた!~生駒で検討しました。


この駅路をチマタと関連付ける説があります。


チマタとは、ちまたは「道(ち)股(また)」の意味、道の分かれる場所・いわゆる辻(十字路)や町中の道、物事の境目、分かれ目などを指すします。古代伝承にある民間信仰の神、八衢比売神(やちまたひめのかみ)・八衢比古神(やちまたひこのかみ)の両神は、道俣神として古事記に登場しています。「やちまた」とは袴(褌)つまり今で言うズボン(パンツ)のことです。ズボンが右足と左足に分かれることから、八衢比古(やちまたひこ)は道の分岐で行方をしめす道案内の神とされたのです。伊弉冉尊の褲(はかま)から道俣が生まれてたとされています。衢(ちまた)は一般的に四つ辻や分かれ道、あるいは道そのものを意味する言葉です。八衢は八つ、もしくは多数に別れる道を司る神と解釈されます。

もともとは道(ち)の股(また)から来ています。現在でも使う”チマタのウサワ”の”巷”もこれが語源で、人の集まり、世間という意味で使われています。八衢比古は道案内の神である猿田彦=道祖神=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王のことです。


第1091話:麗美嬢子:みやぬし・やかわえ姫~宇治市木幡で書いた麗美嬢子:みやぬし・やかわえ姫についても、「道の衢(ちまた)」として論じる研究者もおられます。

日本書紀には、応神天皇(ホムタワケ)は木幡で宮主矢河枝比売(みやぬしやかわえひめ)との出会ったことが書かれています。宇治・木幡も琵琶に通じる瀬田川と伏見から山城、丹波に向かう分岐点です。駅路があったのかもしれません。


新川登亀男氏は、「聖徳太子の歴史学」20頁では、次のように述べられておられます。


懐風藻(かいふうそう)は、現存する最古の日本漢詩集ですが、その序文に「百済入朝して、龍編を馬厩(ばきゅう)を啓(ひら)きと記してあります。

これは百済から来た使者が、中国の典籍を馬厩で教えたという意味です。


厩は教育の場でもあったのです。

外来産や外征の馬を飼う外厩(がいきゅう)は周辺諸国との間で政治文化上、象徴的な意味を持っていました。これは、百済や新羅が中国に送った馬と人間がその才能を発揮することで中国への貢献が期待され、同時に中国でその才能が発揮され、両国の政治文化を共有していくという相互関係が企画されていたのです。今日でいう国際交流センターです。

その相互交渉の境界(ちまた)的な場として、「厩」の存在が象徴的に意識されていたのです。


高句麗の壁画古墳には、厩に密着する子供たちが描かれています。

高句麗ではそのぞれの「ちまた:街」に「大屋」を造り、ここで未成年の「子弟」典籍を学習し、あわせて武芸(射:弓)を訓練する慣わしがありました。


百済王が馬2匹を阿知吉師(あちのおみ)につけて貢上したとあります。

阿直岐(あちき)がつれてきた馬はで飼うことになったが、同時に菟道稚郎子(ウジノワキノイラッコ)に経典を教えたとされています。

第127話:邪馬台国異聞2~馬と呉服では、「軽の坂上の厩」を枚方市牧野(マキノ)であるとしました。牧野には「坂」573-1146という地名があります。

1026話:軽は台与~軽の酒折池・軽井沢では、古事記伝は「美豆」を「みづみづしき意」として地名の「軽」に関わる神名としています。

美豆は京都府京都市伏見区淀美豆町のことです。そして「美豆」は台与のことです。「美豆」は地名の「軽」に関わる神名ということは、「美豆」=「軽」=台与ということです。


菟道稚郎子(ウジノワキノイラッコ)=聖徳太子(聡耳皇子とよとみみ)は台与()です。~第342話:聖徳太子は菟道稚郎子 第905話:上宮記・薬師如来光背銘:聖徳太子の嘘


そして第689話:阿智氏・阿直岐は、、、では阿智氏は、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米・台与の一族のこととしています。


ちまた:街」は、交通の要衝であるとともに、文化の要衝でもあったのです。


厩戸皇子(聖徳太子)の「厩戸:うまやど」は「駅路」に置かれた馬小屋=厩戸(うまやど)であったのです。

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<蛇足の追記>

10世紀末期に始まった藤原氏の摂関政治による地方政治の混乱と中央集権体制の弱体化によって、律令体制が崩壊するとともに駅路は使われなくなり、また駅路自体が人里から遠く離れたところを通っていたことから生活道路として利用されることもなかったため、しだいに山野に埋もれ廃れていきました。。


関連項目:第129話:菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)

    :第130話:王仁(わに)~邪馬台国異聞5

   

これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>







 
 
 

1件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
13時間前
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