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道頓堀と三島溝咋耳

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 6分

第877話


日本の歴史で、大規模な土木工事を行った人物を調べてみました。

日本の古代史で大規模な土木工事を行ったのは、秦氏です。

秦氏の行った土木工事については、

第807話:邪馬台国と栗隈大溝(くりくまのおおうなで)などで書いています。


近畿には、淀屋、安井道頓、金剛組、穴太衆など大規模な土木工事を行った人達がいます。

これらの人物は、秦氏、三島溝咋耳の技術を受け継いだ人たちではないでしょう。

三島溝咋耳(みしまみぞくいみみ)の「溝咋」とは文字通り「溝を掘削するという意味です。今回は、安井道頓です。前回は:太田 道灌と三島溝咋耳


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大阪南の道頓堀で有名な安井道頓は、成安氏出身とする説が有力となっており、成安 道頓(なりやす どうとん)と呼ぶのが正しいそうです。安土桃山時代から江戸時代初めにかけての人物で、道頓堀の開削者として知られています。

道頓は豊臣秀頼と親しく、佐渡の金山の下奉行に任じられていたといいます。


慶長17年(1612年)、平野の住人である平野藤次(藤次郎)や安井治兵衛、河内国渋川郡5]久宝寺(大阪府八尾市)の住人・安井九兵衛定吉(道卜)と共に、公儀より申し請けて後の道頓堀の開削を開始します。道頓堀の掘削は、豊臣秀吉の頃に道頓が命じられたもので、安井治兵衛や平野藤次、道頓の弟の長左衛門を組下として行ったともいわれています。末吉家文書や安井家文書によると、堀の掘削は道頓らの私費で行われたといいます。


成安 道頓は、摂津国住吉郡平野庄(大阪市平野区)の成安氏出身で、成安氏は坂上田村麻呂の子・広野麻呂の末裔という平野の七名家の1つです。


坂上氏族の平野氏は、坂上田村麻呂の軍事的威信を背景に摂津平野荘を開発領地とした氏族であり、後に自治都市「平野」の宗家となりました。

坂上田村麻呂の坂上氏族は、摂津平野荘を拠点とする平野氏を生み、その後、摂津源氏*系や桓武平氏系の平野氏とも婚族関係を結びました。これにより、平野氏は坂上氏族の血統を基盤にしつつ、他系統とも結びついた複合的氏族ネットワークとなり、大阪・河内地域の歴史に大きな影響を与えました。 *摂津源氏については、第875話:立木神社・香取神宮・春日大社でも書きました。ということは、道頓堀を掘った成安 道頓も摂津源氏の一族であるといえます。


また、平岡連(ひらおかのむらじ)は、中臣氏の一族から分かれた氏族で、河内国枚岡の地を拠点とし、枚岡神社の創建に深く関わった氏族です。


第832話:卜部季武~頼光四天王(3)で書いたように卜部季武(うらべ の すえたけ)卜部は中臣氏と同族です。中臣連姓を負う以前はト部(占部)姓を負っており、本来は河内の平岡連が本宗的な存在であったことも考えられています。


坂上田村麻呂の坂上氏族も平野氏と婚族となったとされています。

坂上田村麻呂の流れを汲む坂上氏(広野系)が摂津国住吉郡平野荘に根を下ろし、そこから平野氏が派生しました。 坂上田村麻呂の次男・坂上広野の子孫が摂津国住吉郡平野荘を領し、「平野殿」と呼ばれるようになりました。ここから派生した一族が「平野氏」と称されます。 つまり、平野氏は坂上氏族の分流であり、田村麻呂の血統を背景にしています。

枚岡神社を「氏社」としたことで、後に藤原氏が春日大社を建立する際の原点となり、平岡連の祭祀活動は日本古代祭祀史の重要な一環と位置づけられます。



<まとめ>

・成安 道頓は、平野の住人で平野連であった。

・平野連は、卜部氏=中臣氏であった。

・中臣氏は、ウツシコオ(内色許男命)を祖としている。

第263話:中臣氏~中臣烏賊津  第349話:天児屋命はウツシコオ!

<結論>

成安 道頓は中臣氏の一族で、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=三島溝咋耳の末裔であるといえます。三島溝咋耳=ウツシコオ=難升米=秦氏の高度な土木工事技術を成安 道頓も受け継いでいたと思われます。

<付記>

坂上田村麻呂も中臣氏=ウツシコオに連なる一族の末裔であったことになりす。

第875話:立木神社・香取神宮・春日大社では、「各地にある坂上田村麻呂を祭神とする田村神社の伝説は、本当は台与の伝説だったというのが、私の考えですが、大般若経一部を寄進した坂上田村麿は、実在の人物か伝説の田村丸のどちらなのでしょう。」などと書いてしまいましたが、坂上田村麿が平野氏の一族(=中臣氏)であるなら、滋賀県草津の立木神社に大般若経一部を寄進したというのは十分にありえることで史実だと思います。


※慶長19年(1614年)、大坂冬の陣に際して道頓は大坂城に籠城します。道頓は道頓堀の芦原付近を守り、慶長20年(1615年)5月7日に戦死しました。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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<これまでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが判明した人物>


第374話:牛鹿臣はウツシコオ!   第371話:彦狭島命~吉備児島

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