淀屋と三島溝咋耳
- tootake
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第878話
日本の歴史で、大規模な土木工事を行った人物を調べてみました。
日本の古代史で大規模な土木工事を行ったのは、秦氏です。
秦氏の行った土木工事については、
第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2
第344話:聖徳太子伝説~堀江と茨田堤
第806話:五社水路と三島溝咋耳
第807話:邪馬台国と栗隈大溝(くりくまのおおうなで)などで書いています。
近畿には、淀屋、安井道頓、金剛組、穴太衆など大規模な土木工事を行った人達がいます。
これらの人物は、秦氏、三島溝咋耳の技術を受け継いだ人たちではないでしょう。
三島溝咋耳(みしまみぞくいみみ)の「溝咋」とは文字通り「溝を掘削するという意味です。今回は、淀屋です。前回は:道頓堀と三島溝咋耳 前々回は:太田 道灌と三島溝咋耳
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淀屋(よどや)は、京阪電車の終点(始発)駅の淀屋橋の淀屋で、中之島で繁栄を極めた豪商です。総資産は約20億両(換算すると約200兆円)とも言われています。全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展することにも大きく寄与しました。
米市以外にも様々な事業を手掛け莫大な財産を築くが、その財力が武家社会にも影響することとなったため、幕府より闕所(財産没収)処分にされました。しかし、闕所処分に先立ち伯耆国久米郡倉吉の地に暖簾分けした店を開き、後の世代に再び元の大坂の地で再興し、幕末では討幕運動に身を投じ、ほとんどの財産を自ら朝廷に献上して幕を閉じました。
初代の岡本三郎右衛門常安は、豊臣秀吉の伏見城の造営や淀川の堤防改修において工事の采配を振り、高い土木工事技術を発揮しています。伏見城大手門の造営の際には、工事現場周辺に散在する巨石撤去を他の業者の1/10の価格で引き受け、掘った穴に滑り落として埋める、という周囲の意表を突く方法で解決した事を豊臣秀吉が目を付けた事が豪商となる第一歩であったとされています。
淀屋の初代:岡本三郎右衛門常安は、山城国岡本荘の武家の出身でしたが、織田信長に討たれた後に商人を目指すようになります。苗字を出身地の岡本*から採ったされています。
その後、大坂の十三人町(大阪市中央区北浜)に移り、「淀屋」と称し材木商を営み淀川堤防工事を請け負った後、大阪の十三人町(現・中央区北浜)に移り中之島を開拓し、後に「淀屋橋」「常安町」など地名に名を残します。
*出身地の岡本については、山城国八幡(京都府八幡市)辺りとされていますが、八幡市には岡本という地名はありません。
京阪枚方市駅のある辺りが岡本町という地名ですので、淀屋の初代:岡本三郎右衛門常安の出身地は、私が邪馬台国とする枚方ではないかと勝手に思っています。
淀屋五代目・辰五郎の墓が八幡市にあることや、淀屋一族が八幡に屋敷を構えたという記録があります。枚方は淀川水運の要衝であり、淀屋の事業(材木・米市場)と間接的な関わりはあった可能性があります。
このブログでは、三島溝咋耳が淀川の水運を担ってきたことは、何度も述べています。
~第25話:カモ族は水運業者 第137話:南方刀美神(タケミナカタ)~三島の溝杭3代目
淀屋の初代:岡本三郎右衛門常安も三島溝咋耳の末裔であった可能性はあります。
枚方市に残る「淀屋関連の墓碑」淀屋一族に関わる墓碑や伝承が残っており、特に五代目辰五郎の墓や八幡市神應寺との関係が枚方周辺に伝わっています。枚方市の郷土資料や昔話の中では、淀屋の活動が淀川水運や地域の繁栄と結びつけられて語られています。
枚方市史年報では市内の中・近世石造物の調査が行われており、淀屋直接の墓碑は確認されていませんが、淀川舟運や経済活動に関わる石碑・供養碑が地域に残っています。
淀屋は大阪中之島を拠点に米市場を開設し、淀川舟運を通じて枚方宿や楠葉などの地域と密接に関わりました。枚方は「くらわんか舟」で知られる宿場町であり、淀屋の米取引や流通網の影響を受けたと考えられます。
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<追記>
・岡本は山城国内の荘園名で、特に岡本荘として史料に登場します。
・枚方市の岡本町は「おかほんまち」で「おかもとちょう」とは読みません。
出身地の岡本については、山城国八幡(京都府八幡市)に比定されており、この八幡市はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、ウツシコメ(卑弥呼)の名前の由来となった内里(〒614-8102)があります。~第72話:卑弥呼は萬幡豊秋津師比売命!!
岡本が枚方市であっても八幡市であって大きな差はありません。どちらも私が邪馬台国とする地です。
淀屋の初代:岡本三郎右衛門常安は前回:前回は:道頓堀と三島溝咋耳の成安 道頓とは、逆に大坂の陣では徳川方を支持しています。大坂冬の陣では茶臼山の陣屋を家康・秀忠に提供し、徳川方の兵には食料も提供しています。その功績が家康に認められ、大坂夏の陣が終わった後には戦の後始末を願い出、亡くなった兵の供養と大量の武具を処分した事でも利益を得ています。
八幡神應寺との深い関わりを持ち、淀屋の墓所も八幡に残っています。
八幡神應寺は男山八幡の神宮寺です。八幡神應寺は応神天皇の霊を祀るために創建ものです。応神天皇は台与です。~第581話:応神天皇(第15代)は台与
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




ここまで知らなかった!なにわ大坂をつくった100人=足跡を訪ねて=|関西・大阪21世紀協会
天王寺屋 五兵衛(てんのうじや ごへえ、元和9年7月12日〈1623年8月8日〉 - 元禄7年12月1日〈1695年1月15日〉)は、江戸時代の商人である。姓名は大眉 光重(おおまゆ みつしげ)。
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
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