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立木神社・香取神宮・春日大社

  • tootake
  • 3 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:1 日前

第875話 #タケミカヅチ#台与


立木神社(たちきじんじゃ)は、滋賀県草津市草津にあります。

祭神は、タケミカヅチです。このブログでは、タケミカヅチは台与()としています。


タケミカヅチは、古事記では建御雷之男神、建御雷神、別名に建布都神(たけふつのかみ)、布都神(とよふつ)と記され、日本書紀では武甕槌神、武甕雷神と表記されます。『先代旧事本紀』では建甕槌之男神、武甕雷男神、建雷命などとも表記される。


・雷(イカヅチ)は、タケ・ミカヅチのミカヅチのごろ合わせです。

・建布都神、布都神のフツは太です。太は太秦(うずまさ)のウズ=宇治=内(うち)

であることはすでに書いています。太は台与、ウツシコオのことです。


立木神社は、草津市役所・保健所の近くにあり、栗東市に勤務する現役の薬剤師である私は、業務に必要な書類を提出するために何度も訪れています。

この地は、東海道の東海道の草津宿で交通の要所で、東海道に面する立木神社は、江戸時代に大宿として栄えた草津宿の歴史絵巻物にもその姿が描かれ、古くから由諸ある神社として親しまれてきました。


社伝によると称徳天皇の時代である神護景雲元年(767年)、武甕槌命が常陸国(茨城県)の鹿島神宮より白鹿に乗って春日大社(奈良県)への勧請の旅の途中、当地に到着した際に、武甕槌命は持っていた柿の鞭を地面に刺して「この木が生え付くならば吾永く大和国三笠の山(現・春日大社)に鎮まらん」と言うと、柿の木が生成した。それを見た里人はこの木を崇めて社殿を建立し、武甕槌命を祀り、社名を立木神社と称したのが始まりとされています。つまり春日阿知社とこの立木神社は兄弟の間柄です、春日大社の創建は神護慶雲2年(768年)となっており、よりも一年早いのです。


神護景雲元年(767年)に、武甕槌命がいた筈がないのですが、この立木神社の社伝を信じるなら、武甕槌命を祀る神社の中は、常陸国(茨城県)の鹿島神宮が一番古いということになります。しかし、大阪には枚岡神社があります。枚岡神社もタケミカヅチを祀っています。枚岡神社の社伝では、神武天皇即位前3年、神武東征に際し天種子命*が勅命によって天児屋根命・比売神の2神を東方山上の神津嶽(かみつだけ)に奉斎したことに始まるとされています。*天種子命はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。


枚岡神社の地名は、東大阪市出雲井町で、和妙抄ではこの地は河内国河内郡郡の浦郷に比定され、隣郡の河内国讃良郡(さららぐん)には枚岡郷があり、同地を枚岡神社の始源地とする説もあります。讃良郡は大阪府寝屋川市です。正確には四条畷市の全域、大東市の大部分、寝屋川市の一部:萱島(かやしま)、秦町、豊野町、太秦桜が丘、太秦高塚町などで、第588話:持統天皇(第41代で、鸕野讚良皇女(持統天皇=台与)の育った所としています。


茨城県の鹿島神宮の創建については、鹿島神宮の由緒:鹿島宮社例伝記(鎌倉時代)や古文書(応永32年:1425年の目安)では神武天皇元年に初めて宮柱を建てたといい、神宮側ではこの神武天皇元年を創建年としています。枚岡神社の創建は神武天皇即位前3年ですので、枚岡神社の方が古いことになります。常陸国風土記にも鹿島神宮の由緒が記載されており、「香島の天の大神」が高天原より香島の宮に降臨したとしています。

このブログでは、高天原は高天原は交野市としています。~第588話:持統天皇(第41代)~高天原は交野市


以上を纏めますと古い順に、枚岡神社>鹿島神宮>立木神社>春日大社ということになります。


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<蛇足の追記>

征夷大将軍・坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)将軍が、東北鎮圧に際して、当社にて道中安全と厄除開運を祈願され大般若経一部を寄進しましたそうです。

坂上田村麻呂と台与の関係は、これまで何度か述べています。


坂上田村麻呂についても、第840話:坂上田村麻呂:田村神社 第841話:https://www.hidemaru3375.com/post/坂上田村麻呂(2)

でも書いており、各地にある坂上田村麻呂を祭神とする田村神社の伝説は、本当は台与の伝説だったというのが、私の考えですが、大般若経一部を寄進した坂上田村麿は、実在の人物か伝説の田村丸のどちらなのでしょう。


鹿島神宮では、景行天皇の代には、中臣臣狭山命が天の大神の神託により舟3隻を奉献したといい、これが御船祭(式年大祭)の起源であるとされています。風土記に見える舟の奉献は実際には倭建命(ヤマトタケル)の東征にあたって献上したものと見る説もあります。

景行天皇もヤマトタケルも台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与 第578話:景行天皇(第12代)と神夏磯姫


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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2件のコメント

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tootake
3日前
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【橿原市四条町】古代の朝廷直轄地「倭の六県」のひとつ「高市県」の守護神を祀る高市御県神社 高市総理とは関係ありません。

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tootake
3日前
5つ星のうち5と評価されています。

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