top of page

卑弥呼の使者(1)~都市牛利

  • tootake
  • 32false13 GMT+0000 (Coordinated Universal Time)
  • 読了時間: 5分

更新日:9時間

第677話 #難升米 #梨迹臣命 #石塚山古墳


都市牛利(つしごり?)は、魏志倭人伝に登場します。

「都市」を市場を監督する官名と見て「牛利」のみを人名とする説もあります。


景初2年(西暦238年)6月、卑弥呼は帯方郡大夫難升米と次使の都市牛利を遣わし、太守の劉夏皇帝への拝謁を願い出ます。次席使者として洛陽へ向かった都市牛利は、難升米とともに生口や班布などを献上したとされています。

12月に皇帝は詔書を発し、遠い土地から海を越えて倭人が朝貢に来た事を悦び、卑弥呼を親魏倭王と為し、金印紫綬を仮授します。皇帝は難升米と牛利の旅の労苦をねぎらい、難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉と為して銀印と青綬を授けました。

その後も難升米は正始8年(247年)に隣国との戦争を仲介するという名の元、魏の使者から黄幢と詔書を受け取るなど魏との外交に従事していますが、都市牛利の動向に関しては記されていません。


このブログでは、難升米はウツシコオとしています。

では、難升米は梨迹臣命(なしとみのみこと)としています。梨迹臣命は藤原氏(中臣連)の祖であり、天児屋命と同一人物と思われます。天児屋命もウツシコオです。


そして、都市牛利の墓として、福岡県京都郡苅田町にある石塚古墳だとされるのは、「邪馬台国発見史」の著者である赤城毅彦氏です。 

その根拠として都市牛利は難升米の次使つまり副官であるため交通に熟達し、海外事情にも明るいはずで、中国大陸、朝鮮半島と数百年の交流の伝統を有する九州の人物だと思われるためとされています。


石塚山古墳(いしづかやまこふん)は、福岡県京都郡苅田*町富久町にあります。

卑弥呼の墓とも目される九州で最古といわれるの前方後円墳です。周防灘に面した岬の突端に築かれています。海上交通の拠点地です。*苅田という地名は大阪市住吉区にあります。住吉はウツシコオ、台与の重要拠点の一つです。第619話:大阪と邪馬台国:苅田(かりた)住吉区

福岡県の苅田町は、北九州市と行橋市の間に位置する地にあります。hidemaru3375.com/post/鉱物資源と邪馬台国(10)-宇佐八幡宮で書いたように、九州は豊国(台与の国)です。九州の苅田・行橋は瀬戸内海からの玄関です。そして朝鮮半島、中国大陸への出発地でもあります。鉄製品の原料を輸入する拠点地でもあったとも思われます。


石塚山古墳の出土遺物は舶載三角縁神獣鏡6種7面、素環頭大刀、銅鏃などですが、注目すべきは、出土した鏡は京都府椿井大塚山古墳などの出土鏡と同笵であることです。椿井大塚山古墳はこのブログでは何度も登場し、難升米の墓であるとしています。

同笵とは同じ鋳型で造られたという意味です。つまり椿井大塚山古墳が難升米の墓であるならば、石塚山古墳は難升米の副官である都市牛利の墓である可能性が高いわけです。


都巿牛利は古事記に登場する丹波の大県主:由碁理(ゆごり)であるとする説があります。→都巿牛利は何者か?

都巿牛利(つしごり)と由碁理(ゆごり)の「ごり」と音が通じるからです。


古事記にも登場する丹波の大県主は、勘注系図では建諸隅命を別名:丹波縣主由碁理命としています。開化天皇の妃となった竹野媛の父とも言われます。

このブログでは、建諸隅命は丹波縣主=碁理(ゆごり)=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王としています。~第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬)でも書いたようにウツシコオです。


私も、都市牛利はウツシコオではないかと疑ったことがあります。このブログでは、牛(角)は、ウツシコオのキーワードとしているからです。~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と

それにウツシコオ(内色許男命)は、このブログで書いてきたように、呉の勝の子孫で、熊野の水軍のリーダーです。そして空海の直接の祖先でもあります。天才的な知能の持ち主だったと思われます。~第318話:空海のルーツは内色許男命!

海外の事情にも詳しく、語学、航海術に関してはウツシコオに勝る人物はいないでしょう。

都市牛利=ウツシコオ(内色許男命)としたいところですが、椿井大塚山古墳はウツシコオの墓でほぼ確定です。それに魏志倭人伝には、別人として記載しているのですから、都市牛利はウツシコオではないことは明らかです。


・都市牛利はウツシコオの弟だとい説もあります。

都市牛利の名前は本来「牟利(むり)」であり、転記する際に生じた誤記によって「牛利」にされたという説もあります。



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 
bottom of page