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片野物部~岡山県津山

  • tootake
  • 12 時間前
  • 読了時間: 6分

更新日:6 時間前

皆さんは、大阪府交野市に【倉治(くらじ)】という地名があるのをご存知でしょうか?


この地名は、古事記にも登場する『高倉下(たかくらじ)』、すなわち『大彦(おおひこ)』、『台与(とよ)』といった、古代の重要な人物と関係があると言われています。


さらに、同じく交野市内には【私市(きさいち)】という地名もあります。この『私市』は、かつて『甘野(あまの)』と呼ばれていた時期もあり、これが『アマ・アメ』といった古代の呼称の起源ではないか、と私は考えているんです。つまり、この交野市が、台与一族の本拠地、ひいては古代日本の中心地の一つだった可能性を示唆しているのかもしれません!


興味深いのは、饒速日(ニギハヤヒ)の降臨地としても交野市が挙げられていることです。もしかしたら、あの饒速日も、この地、そして台与(第33代推古天皇とも言われていますね!)と深い関わりがあったのではないでしょうか。交野ヶ原の伝説や、星の降る町といったロマンあふれる伝承も、この地の古代史の深さを物語っているようです。


私が提唱する説では、かつての河内国交野郡(現在の交野市、枚方市、寝屋川市あたり)が、邪馬台国であった可能性が高いと考えています。倭(やまと)が高槻市、葛城が交野市、といった地域区分も、この説を裏付ける要素となりうるのです。古代の豪族、片野物部の本拠地がこの地にあったという事実は、単なる偶然ではないと感じています。


岡山県津山にも広がる片野物部

そして、この片野物部の一族は、岡山県にも存在したとされています。具体的には、岡山県津山市一宮(美作国苫東郡)にある中山神社が、その本拠地の一つとされるのです。このように、近畿と中国地方にまたがる広範囲に影響力を持っていた彼らの存在は、古代史の理解をさらに深めてくれます。


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第986話


大阪市交野市は、邪馬台国の台与一族の本拠地です。

大阪府交野市には、倉治という地名があり、は高倉下(たかくらじ)=大彦=台与の

に私市(きさいち)という地名があります。

この地方は地は肥えて作物豊かな野であったので「甘野」といわれ、後に天野(あまの)となりました。古事記・日本書紀に出てくるアマ・アメはこの交野市私市(天野)が起源です。~第587話:推古天皇(第33代)は台与!

饒速日(ニギハヤヒ)が天下ったのもこの交野市です。ニギハヤヒは台与です。



片野物部の本拠地は、この大阪府交野市です。かつての河内国交野郡は、現在の交野市、枚方市、寝屋川市で、私が邪馬台国とする地です。


この片野物部が、岡山県にもいたとされています。


岡山県津山市一宮(美作国苫東郡)に中山神社があります。この中山神社には肩野物部乙丸(伽多野部乙丸)という人物の伝承があります。「伽多野」は、片野=交野のことです。


美作国が備前国から分立した和銅六年(713)に創立されたといわれています。

この中山神社が祀られていた場所には元々は大已貴命が祀られています。

大已貴命はオオナムチ=大穴持ち=台与であることは、何度もこのブログで書いてきました。


中山神社は鏡作尊を祭神とし、瓊々杵尊、大己貴命を祀っています。中山神社は長良嶽の磐座の上に建っており、猿神が祭られています。

・瓊々杵尊も台与です。~第436話:瓊瓊杵尊:ニニギは台与


更に、中山神社が鎮座していた場所に祀られていた神の伝承は、備前国津高郡の多自枯鴨神社にも伝わっています。


多自枯鴨神社は、岡山市北区建部町田地子に鎮座しています。

中山神社の鎮座地で祀られていた大已貴命は多自枯鴨神社として津高郡でも祀られるようになったとされています。


多自枯鴨神社は、吉備津彦大神社の創建とも関連が深いと考えられています。祭神である鴨(かも)氏ゆかりの神様が祀られていることから、古くは鴨氏の勢力圏との関連も推測されます。社伝によれば、吉備津彦大神がこの地を治めた際に、鴨氏の祖神を勧請したとも言われています。

鴨氏スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、台与の一族です。

第894話:二つの三嶋鴨神社



※肩野(交野)物部乙丸は交野から、岡山県の津山にやってきたと思われます。肩野物部乙丸=台与=肩野物部乙丸(伽多野部乙丸)=吉備津彦大神であると考えると話が通じます。

第239話吉備津彦~アタ姫を切った男では、吉備津彦は五十猛神と書きました。

五十猛(イタケル)は台与です。~第517話:hidemaru3375.com/post/五十猛のグロは大歳-台与(豊)


そして、多自枯鴨神社の多自枯は、苫田郡司は蝮臣(タジヒ)であるということです。

日本書紀:天安元年二月紀に「美作国苫田郡司蝮臣全継を正六位上に叙す」とあります。

苫田郡から勧請された多自枯鴨神とはタジヒ=タジ氏の氏神である鴨神と解釈ができます。


タジヒは、大阪府松原市にある地名です。~第618話:大阪と邪馬台国:丹比(たじひ)

丹比(たじひ)には、第18代反正天皇(はんぜいてんのう)のゆかりの地でもあります。


次回は、タジヒ(蝮臣)と反正天皇について掘り下げる予定です。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

2件のコメント

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tootake
1時間前
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異称倭国伝(用語・解説)

米原長者伝説

 むかしむかし菊鹿の里に米原長者が住んでいました。自分の五千町歩の田植えを一日で終ることが何よりの自慢でした。ところがある年のこと、まだ田植えが終らないうちに日は西のほうに傾きました。そこで長者は、持っていた金の扇で太陽をあおいで返しましたが、それでも田植えは終らずに、とうとう日は沈んでしまいました。怒った長者は、西の日岡山に油をまいて火をつけて、昼のように明るくして、やっと田植えを終らせました。その晩のこと、山の残り火が長者の屋敷に飛び火して、何もかも焼けて、長者も死んでしまいました。それから、日岡山の頂には大きな草木が生えないということです。


脱解王 昔氏始祖伝説 – 古代史俯瞰 by tokyoblog

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tootake
12時間前
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<台与シリーズ>

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