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太田市と遺跡 ~呉の勝

tootake

更新日:2024年5月12日

第48話


日本に太田という地名がいくつもあります。全国の太田にお住まいの方、近くに古墳か遺跡がありませんか?


関東なら群馬県太田市古墳群、東京都にも大田区宝来山古墳がありますね。東京都大田区田園調布


茨木市三島にも太田があります。東奈良遺跡の近くです。そういえば、ウマシマジ終焉の地にある物部神社も太田です。島根県大田市川合町


播磨国風土記には、こんな記述があります。

「太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」  呉は、です。


紀伊の国(和歌山)の太田黒田遺跡は、天照大御神(アマテラス)が、岩戸に隠れたときに、鏡造造りの祖 石凝姥命(イシコリドメ)が天の香具山の金をとって鏡を鋳造したとされています。これが、紀伊の国の日前神(ヒノクマノカミ)であると日本書紀に書かれています。


黒田遺跡?どこかで聞いたことがあります。そうです、私がスサノオと決めつけた孝霊天皇の宮は黒田です。鏡造神社も田原本町にあります。もちろん祭神はイシコリドメです。   

熊野大社の主祭神は、伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなご かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)です。

長い御神名ですが、スサノオノミコトの別名とされ、熊野大神=スサノオノミコトとされています。紀伊続風土記 附録巻の十七「神社考定の部 下 牟婁郡」では「その家都御子神と申すは素戔嗚尊の御事」とあり、スサノオノミコトだとされます。熊野大社では八咫烏(三島の溝杭、事代主)も祀っています。神武東征のとき八咫烏が突然出現したのも熊野でした。


今回は、図らずも孝霊天皇=スサノオ説を支持してしまいました。

そして、纏向遺跡のある奈良県の桜井も太田です。




<邪馬台国の新常識>



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


 
 
 

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tootake
11 oct 2023
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