ヤマトタケルの足跡を訪ねて(8) ~古峯神社
- tootake
- 5月30日
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更新日:5月31日
第698話 #天狗
古峯神社は、栃木県鹿沼市草久(くさぎゅう)にあります。祭神は、日本武尊(ヤマトタケル)です。祭神は日本武尊。天狗が祭神の使いとされ、「天狗の社」としても知られています。神仏習合の時代には日光修験の道場であり、火伏や豊作・村内安全の神として庶民の崇敬を集めるなど、古峯信仰(ふるみねしんこう)の中心となっています]。
神社が鎮座する大芦川源流一帯は古峯ヶ原(こぶがはら)と呼ばれ、「こみねさん」「こぶがはらさま」とも呼称されています。
また世界遺産でもある日光山との深い繋がりもあります。天平神護二年(766年)に日光開山を成し遂げた奈良時代の僧侶・勝道上人はその偉業を成し遂げる前にこの古峯ヶ原に籠り修行をしたとされています。日光山開山の祖である勝道上人は、古峯ヶ原深山巴の宿で3年間の修行ののちに天応2年(782年)に男体山に登ったとされ、これにより「日光発祥の地」とも呼ばれるといいます。
第424話:hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山では次のように書いています。日光は、東照宮などで有名です。この日光という地名の由来についてはいろいろな説があります。観音菩薩の浄土(かんのんぼさつのじょうど)を補陀洛山(ふだらくさん)といいますが、その補陀洛山からフタラ山(二荒山)の名がついたという説が一般的ですが、男体山(なんたいさん)、女峰山(にょほうさん)に男女の二神が現れたのでフタアラワレの山になったという説も有ります。日光の地名は820年(弘仁11年)、弘法大師(空海)がこの地を訪れた際に、二荒山:ふたらさんの「二荒」を「にこう」と音読みしたことに由来するといわれています。「にこう」の読みに対して「日光」の字が当てられ、現在に至っています。ウツシコオと台与親子は、二人で下野国河内郡(栃木県)を平定したのでしょう。これが男女の二神が現れたのでフタアラワレの山になったという説の元です。
そして天狗は、祭神の使いとされ、崇敬者に災難が降りかかった際には飛翔して災難を取り除くとされています。天狗は御祭神の日本武尊の使いともされています。
天狗は古事記、日本書紀などに登場し、天孫降臨の際に案内役を務めた猿田彦であるともされています。猿田彦は、背が高く長い鼻を持つ容姿の描写から、一般に天狗のイメージと混同され、同一視されています。
「一柱の神有りて天八達之衢あまのやちまたに居り。其の鼻の長さ七咫ななあた、背そびらの長たけ七尺(ななさか)あまり。まさに七尋(ななひろ)と言うべし。また口尻(くちわき)明り光れり。眼は八咫鏡の如くして然てりかがやけること赤酸醬(あかかがち:ほおずき)に似たり」。これが猿田彦が登場する場面です。
第380話:猿田彦は異国人(あたしくにのひと)では、次のように書いています。
猿田彦は、異俗(あたしくにのひと)のことだったようです。猿田彦が、白人系、もしくはペルシャ系の血脈を持つのであったなら、彼らの一族(呉の勝)がアタ(異俗)と呼ばれるのは当然です。
天狗は御祭神の日本武尊の使いということは、日本武尊(ヤマトタケル)=台与で天狗=猿田彦=ウツシコオですから、いつもの台与とウツシコオのコンビとなります。
台与とウツシコオのコンビが、栃木県鹿沼市草久の地に来たのは、大芦川の治水による稲作の推進であったと思われます。
関連項目:第88話~異俗(あたしくにのひと):猿田彦
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<蛇足の追記>
・天狗とは、文字通り「天の狗(=犬)」のことです。天狗という語は中国において凶事を知らせる流星を意味するものだったのです。
・第379話:宇佐神宮・北辰の神・豊日別宮では、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)と流星の関係について述べました。第110話:星の降る町~速玉は饒速日
・日本では、役小角より行われていた山岳信仰と習合し、魔界の一種として天狗道が、一部に想定されて解釈されました。役の行者(役 小角)もスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。
~第475話:役の行者(役 小角)と韓国広足
・牛若丸(源義経)が、天狗に剣術を習ったとされる鞍馬寺は、貴船神社の近くです。
貴船神社は、鴨川の源流とされ地で、ウツシコオの拠点があったと思われます。
貴船神社で祀られている高龗神(たかおかみのかみ)、石長比売(磐長姫)は台与です。
<ヤマトタケル=台与の足跡をたどる>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
祭礼で猿田彦の役に扮する際は、天狗の面をかぶったいでたちで現れるのが通例です。

下野神社沿革史が載せる神社の縁起によれば、建久年間(1190年 - 1199年)に那須郡のある村で雀による稲への害が著しかった際、村の老人の夢に白衣の翁が現れ、古峯の大神に祈請せよと告げた。村の代表者が参詣して神符を持ち帰るとたちまち災いは消滅した、と伝えており、霊験あらたかな神とされた。どこかで聞いたような話です。
下野神社沿革史に載せる社伝によれば、藤原隼人という人物が京都より当地に移って邸内に日本武尊を祀ったのが神社の創建とされています。これもどこかで聞いた話です。藤原隼人も台与でしょう。~第683話:善光寺~本田善光は台与
その後、昭和15年(1940)に「岸部村」は、吹田(すいた)町、千里(せんり)村、豊津(とよつ)村との合併によって吹田市となり( 『郷土吹田の歴史』p197)
このように、「建部」という名称はヤマトタケルの功績や影響を反映したものですが、彼自身の名前ではなく、彼に由来する軍事氏族や地名として使われています。
金山彦尊は、イザナミの病と死によって生まれた神々(『古事記』に基づく
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
◎hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過程