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坂上田村麻呂:田村神社

  • tootake
  • 4 時間前
  • 読了時間: 6分

第837話


台与の東北での事績を調べているうちに、東北地方には坂上田村麻呂を祀る神社がいくつもあることに気づきました。坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の公卿、武官です。4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度にわたり征夷大将軍を勤めて征夷に功績を残した。第834話:アテルイと枚方(邪馬台国)でも登場しています。


坂上田村麻呂を祭神とする神社は各地に複数存在します。代表的なのは滋賀県甲賀市の「田村神社」で、他にも東北地方を中心に各地に田村神社があります。


田村神社は滋賀県甲賀市土山町にあります。近江国(滋賀県)と伊勢国(三重県)の国境にあり、古来には都より伊勢へと参宮する交通の要衝でした。 言い伝えによると、「鈴鹿峠に悪鬼が出没して旅人を悩ましており、桓武天皇は坂上田村麻呂公に勅命を出してこれを平定させた」とあります。 そのため、交通の障害を取り除いて土地を安定させた坂上田村麻呂公の御遺徳を仰ぎ、弘仁3(812)年の正月、 嵯峨天皇は勅令を出して坂上田村麻呂公をこの土山の地に祀られることとなりました。祭神は、坂上田村麻呂公、嵯峨天皇そして倭姫命(やまとひめのみこと)です。倭姫命は、垂仁天皇の第四皇女で、天照大神を伊勢の地に祀ったとされ、斎宮の伝説上の起源とされる人物です


鈴鹿峠は東海道の難所で、古来より山賊や鬼神の存在が恐れられていた。

坂上田村麻呂が嵯峨天皇の勅命を受けて鈴鹿峠の鬼(大嶽丸)を退治したという伝説があり、これが田村神社(滋賀県甲賀市)の創建由来となっています。


田村神社は現在も「厄除け」「交通安全」の神として信仰され、地域の年中行事(厄除祭など)に組み込まれています。そして、各地にある田村神社は東海道の要衝や東北地方など、田村麻呂の伝承が残る地域に多く分布しており、地域の守護神として根付いています。


つまり、各地にある田村神社は道の神、地域の守護神として坂上田村麻呂を祀って一のです。このブログでは、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王や台与は道の神であるとしています。


・第442話:双体道祖神では、「双体の道祖神は猿田彦とアメノウズメとされていますが、実は八衢比古(やちまたひこ)と八衢比売(やちまたひめ)という男女だそうです。辻の神として道俣が祀られ、やがて村や道の守り神とされ、中世になって道祖神となりました。」としています。八衢比古と八衢比売は台与とウツシコオのコンビです。

・第536話:塞ノ神と佐比の岡とおくどさんでは、「塞ノ神(さい)の神:障(さ)への神となり、外から侵入して来る邪霊を防ぎ止める神、峠・坂・辻・村境など、境界に祭られた神になっていきます。行路の安全をつかさどり、中国の「道祖」と結びつけて信仰されるようになり、塞ノ神は、道の神になります。

現在でも、塞ノ神のことをよく道祖神と表記します。台与(豊)が塞ノ神(佐比の神)だからこそ、製鉄の神、道の神、竈の神となっていったのです。」と書きました。


坂上田村麻呂の伝承は、鈴鹿峠を中心に「鬼退治」や「鈴鹿御前」との物語を通じて、地域の信仰・祭祀・地名・神社の由緒に深く組み込まれています。特に鈴鹿御前は善悪両面を持つ存在として多様に解釈され、田村麻呂との関係性が地域ごとに異なる形で語られています。鈴鹿峠(甲賀市)での、鬼退治は、奥州・信濃など:悪路王・高丸などの討伐となっています。田村麻呂の役割:鬼神退治者・峠の守護神:征夷大将軍・寺社建立者です。


そして実は、鈴鹿峠の伝説は、坂上田村麻丸という架空の人物の架空の物語なのです。

坂上田村麻呂の生前に起こった薬子の変の史実が、伝説を交えた幻想的な虚構性とが錯綜しながら展開され物語が創出されました。この物語が次第に京都での伝説へと融合すると、立烏帽子とももに鈴鹿山の大嶽丸を討伐する御伽草子が誕生しました。


鈴鹿峠の神格化と坂上田村麻呂の武勇伝が融合し、峠の守護神として信仰されるようになったのです。江戸期には「東海道名所図会」にも鬼退治の場面が描かれ、庶民の旅路の安全祈願と結びついていきました。


東北地方にある坂上田村麻呂を祭神とする田村神社の伝説は、本当は台与の伝説だったというのが、私の考えです。ヤマトタケルシリーズや第835話:アテルイ(2):角塚古墳で書いたように、台与は東北にも赴いていたようです。そのことが、坂上田村麻呂が征夷大将軍を勤めて東北に赴いた姿と重なり、伝承として混同されていったようです。


その論証として讃岐国一之宮である田村神社(香川県高松市一宮町)の祭神は倭迹迹日百襲姫命、五十狹芹彦命、猿田彦大神、天隠山命、天五田根命の5柱です。このうち猿田彦以外はすべて台与です。猿田彦はウツシコオです。

天隠山命 (高倉下命)=天五田根命 (天村雲命)=台与です。


次回に続く(予定)


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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1件のコメント

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tootake
4時間前
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<台与シリーズ>

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