top of page

アテルイと枚方(邪馬台国)

  • tootake
  • 2 日前
  • 読了時間: 7分

更新日:20 時間前

第834話


アテルイ(阿弖流為)は、奈良時代末期から平安時代初期の古代東北の人物です。

8世紀末から9世紀初頭に陸奥国胆沢(岩手県奥州市)で活動した蝦夷(えみし)の族長とされています。


史実にはじめて名前がみえるのは、古代日本の律令国家(朝廷)による延暦八年の征夷のうち巣伏の戦いにおいて、紀古佐美率いる官軍(朝廷軍)の記録中で、その後延暦二十年の征夷が終結した翌年胆沢城造営中の坂上田村麻呂の下に盤具母禮(いわぐのきみ・もれ)とともに降伏しました。坂上田村麻呂へ並び従い平安京へ向かい、公卿会議で田村麻呂が陸奥へと返すよう申し出たことに対して公卿達が反対したため河内国杜山(椙山、植山とも)で母禮とともに処刑されました。


この河内国杜山というのが、大阪府枚方市の京阪牧野駅周辺であるとされています。大阪府枚方市の京阪牧野駅周辺(宇山という地名があります)は私のいう御牧国(ミマキ国)=邪馬台国の中心地です。~第1話:邪馬台国はミマキ国 ~枚方


第172回:片埜神社~地球幾何学3 で書いた片埜(かたの)神社のすぐ横の公園に、阿弖流為(アテルイ)の墓があります。周辺一帯は牧野阪遺跡と呼ばれています。


アテルイの姓は「大墓公」です。

「大墓公」を「たものきみ」と読む説が有力でしたが、「たも」に「大墓」の文字を当てるのは不自然であるとして、「大墓」を文字通り「大きな墓」の意味であると解釈することで、岩手県奥州市胆沢南都田にある角塚古墳の被葬者一族の系譜を引くものであると律令国家に認定されたことから大墓公の姓が与えられたのではないかとの推測から、「大墓公」を和語で「おおつかのきみ」「おおはかのきみ」などと読むとする説もあります。


アテルイの姓については、朝廷から与えられた「公」の姓が付されていることから、大墓公の姓は降服後に律令国家から賜与されたものとする見解があります。しかし河内国椙山(枚方)で斬られたことからみても、律令国家が帰服した人物にわざわざ姓を与えたとは考えにくく、国家に従った蝦夷族長が離反した際に姓を剥奪された例もいくつかみられるため、大墓公の姓は朝廷軍と戦う延暦8年より以前に律令国家から賜与されていたものと考えるのが妥当であるとの見解もあります。いずれにせよ大墓公一族が、かつては律令国家との間にかなり良好な政治的関係であったとの指摘もあります。


アテルイは、古代日本の律令国家から「水陸万頃にして、蝦虜、生を存す」、「賊奴の奥区なり」と呼ばれた衣川以北の北上川流域平野部となる磐井郡・江刺郡・胆沢郡一帯(岩手県南部)に勢力を持っていたと考えられている胆沢の蝦夷の族長です。


<アテルイに関する疑問>

昭和28年(1953年)に岩手県水沢市(奥州市)の常盤(ときわ)遺跡で籾(もみ)の痕(あと)が付いた弥生土器が発見されました。また、昭和33年(1958年)には青森県南津軽郡の垂柳(たれやなぎ)遺跡でも弥生時代の水田跡が発掘されています。これらは東北北部でも水田稲作が行われたことを示しています。この時代、アイヌ系の人々は狩猟採集生活をしていたとされており、これら水田稲作の担い手とは考えられません。


そして岩手県胆沢(いさわ)町(現奥州市)に角塚(つのづか)古墳という前方後円墳があります。日本最北の前方後円墳であり、国の史跡に指定されている。全長45メートル、高さ4メートル余りの小ぶりの古墳で、出土した埴輪などから5世紀後半の築造と推定されています。胆沢は、蝦夷と畿内勢力との38年戦争の際、蝦夷の指導者アテルイ(阿弖流為)が根拠地としたところです。


・アテルイ(阿弖流為)が生まれる300年ほど前に前方後円墳が造られていたことになります。前方後円墳は畿内の朝廷が支配する地域で築造されたものであり、胆沢も5世紀後半には畿内勢力の影響下にあったことを示しています。


・巣伏の戦い~延暦八年の征夷がおこると、朝廷軍は延暦8年3月9日(789年4月8日)に多賀城から進軍を始め、延暦8年3月28日(789年4月22日)に「陸道」を進軍する2、3万人ほどの軍勢が衣川に軍営を置いたとされています。アテルイは朝廷軍2、3万に対抗する軍勢を持っていたことになります。


・アテルイの死後、胆沢や周辺地域でアテルイと母禮が殺されたことに報復する弔い合戦などの反乱が発生した形跡は一切ありません。


・アテルイを斬ったとされる坂上田村麻呂は、百済王俊哲の副将でした。

第476話金華山と百済王敬福では、百済王敬福はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)としました。*敬福は俊哲の父または叔父にあたる可能性が高いとされています。当時、陸奥守であった百済王敬福が世上、坂上田村麻呂の蝦夷経営の偉功を称し、また事実この大事業も田村麻呂によって一応、成功したとすべきではあるが、はじめ田村麻呂は鎮守将軍百済王俊哲の副将だった者で、幕僚であり、坂上田村麻呂としては、先任者たる百済王祖廟(百済王神社:枚方市中宮西之町)があり、これに隣して百済寺阯があり、この辺一帯は敬福以来、百済王氏の本居であった)に蝦夷経路の次第を報告し、その後廟議のままに心ならずも二酋を百済王廟に近いここ枚方市宇山(牧野)に斬ったともいわれています。


アテルイを斬るように命令したのは、桓武天皇です。桓武天皇は、この枚方市牧野駅周辺に何度も訪れています。桓武天皇は日本で初めて郊天祭祀を交野ヶ原で行っています。この交野ヶ原というのが、牧野駅周辺なのです。~第559話:杉ヶ本神社~郊祀とポケモン

阿弖流為(アテルイ)の墓がある片埜(かたの)神社のすぐ横の公園にも、ポケモンGOのバトル場があり、私は毎日のようにそこに座り込んで、バトルをしています。


アテルイと枚方市(邪馬台国)は多くの関連があることがわかりました。

アテルイ(阿弖流為)は、蝦夷(エミシ)あるいはアイヌ民族ではなく、台与の部下であった集団(土蜘蛛)の末裔の大和朝廷に対する反乱ではなかったのでしょうか。

第824話:穴太寺と穴太衆=土蜘蛛では、「穴太衆とは、台与(秦氏)の土木事業を請け負う工事人だったと思います。穴太衆は穴=鉱山の掘削もやって土蜘蛛ではないでしょうか。」としました。


もう少し時代が下がる関東で平将門が乱を起こします。


     次回に続く(予定)


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



ree

 
 
 

3件のコメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
tootake
2日前
5つ星のうち5と評価されています。
  • Google検索で "佐用姫 site:hidemaru3375.com" のように絞り込み

  • Wayback Machine

編集済み
いいね!

tootake
2日前
いいね!

tootake
2日前
5つ星のうち5と評価されています。

<これまでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが判明した人物>


第374話:牛鹿臣はウツシコオ!   第371話:彦狭島命~吉備児島

第372話:建日方別:彦狭嶋命  第369話:神武西征~健磐龍命

第365話:君が代(2):君はウツシコオ   第363話:彦はすべて、ウツシコオ

第324話:武内宿禰はウツシコオ!!  第325話:天之日矛はウツシコオ

第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口  第327話:于道朱君の衝撃~新羅

第328話:沙至比跪(サチヒコ)  第329話:アメノヒボコはウツシコオ

第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬)  第331話:朱智神社~迦邇米雷王

第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?

第380話:猿田彦は異国人     第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰

第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛! 

第336話:大屋彦~根の国は和歌山  第337話:阿多賀田須命~宗像氏

第338話:月読命(ツクヨミ)      第349話:天児屋命はウツシコオ!!

第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考    第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命

第318話:空海のルーツは内色許男命!   第319話:和知津美命はワタツミ!!

第320話:欠史八代はヤマト=三島    第230話:三嶋溝抗命たち(複数)

第231話:神八井耳命は三毛入野    第232話:内色許男命は武埴安彦命!

第274話:八咫烏もウツシコオ   第275話:事代主もウツシコオ?

第279話:開化天皇          第280話:建角身命もウツシコオ

第263話:中臣氏~中臣烏賊津      第256話:ウガヤフキアエズのミコト

第244話:大津神社と建南方富命  第245話:豊御気主命は三毛入野!

第246話:高御産巣日神(高木神)  第247話:今迦毛大御神と天若日子

第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子  第251話:猿田彦は塩土老翁神

第252話:迦毛大御神は崇神天皇!  第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!

第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命

第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命  第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥

第395話:天日鷲命は、、、  第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇


hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過程

いいね!
bottom of page