金立山・徐福・吉野ヶ里遺跡
- tootake
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更新日:1 日前
第685話
先日、NHKの百低山で金立山を放送していました。
金立山は背振山地南端の尾根で、佐賀市郊外の金立町の背後に位置する山です。秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬草を求めて日本へ来た徐福の伝説を残す山として知られ、このときに徐福が見つけたのが「クロフキ(カンアオイ)」の花で、クロフキは不老不死のなまりと言われる。また、山麓には西隈、銚子塚などの古墳群をはじめ、葉隠で有名な山本常朝の乗訓碑もあり、史跡や伝説がつまって山です。
山頂には金立神社があり、保食神の親神である若御魂(わかみたま)の神(稚彦霊神)を祀っています。祭神は徐福以外は神代時代の創世の神であることから考えても、旧藩時代に神社から提出されている「金立神社由緒記」中に本神社は神武の朝、振興時の御創設云々とあるようにその起源はかなり古いようです。また、由緒記によると、金立大権現、即ち徐福だけが祭神として扱ってあるようです。民間の口碑も「金立さんは秦の徐福」と伝わっており、かたく信じられています。
金立神社の中宮は、もと金立参道七曲り入口の東側山腹にあって、猿田彦大神、白鬚大明神を祭り祭日には田楽を奉納する例になっていました。明治初年廃社となって、現在、敷石や燈籠の台石などが残っているだけでその後、昭和28年3月参道の分岐点に新殿を築造、祭神は上宮本社の神々となっています。
そして金立山の麓には、邪馬台国ではないかと騒がれている吉野ヶ里遺跡があります。
この遺跡は、古墳時代の始まりとともに、吉野ヶ里遺跡の濠は大量の土器が捨てられ、埋め尽くされてしまい、集落はほぼ消滅して離散してしまっています。このようなことは、近畿地方や各地の環濠集落も同じような経過を辿っており、また、高地性集落も消滅しまする。それは、戦乱の世が治まり、もう濠や土塁などの防御施設や高地性集落の必要性がなくなったからである。古墳時代になると吉野ヶ里遺跡の住居は激減し、丘陵の上は墓地として、前方後円墳や周溝墓などが築かれた。人々は、低湿地を水田に開拓出来るようになり、生活の基盤を平野に置くようになります。
第271話:徐福伝説と「呉の勝」では、だとすると、この徐福こそが播磨国風土記のいうところの呉の勝ではないかと私は思ってしまいます。と書きました。
第682話:三角縁神獣鏡と黄巾の乱では、この亡命した五斗米道の指導者たちというのが、第48話:太田市と遺跡 ~呉の勝で書いた呉の勝だと思います。と書きました。
徐福の第2回の出航は、紀元前210年で、黄巾の乱はBC200年前後です。
徐福の来日した年代が、海東諸国記の孝霊天皇の頃という記述が偽物とされる宮下文書の記述と符合することが不思議なところです。吉野ヶ里遺跡には 多くの中国系の人骨が 発見されており 徐福の一族が係っていることは明らかであるという研究者もいます。
このブログでは、第572話:孝霊天皇(第7代)は帥升??という記事を書きました。
第572話では、倭国の本来の王(唐子・鍵遺跡の支配者)が、後漢の安帝の永初元年(西暦107年)に朝貢した倭国王帥升の子孫ではないでしょうか。と書きました。紀元前210年に倭国にきた徐福徐福の子孫が、西暦107年に後漢に朝貢した帥升ということはあり得ることです。
金立神社の徐福以外の祭神は、このブログではお馴染みの神々です。
若御魂(わかみたま)、保食神(穀物の神)、罔象売女命(水の神)は台与です。
~第616話:鉱物資源と邪馬台国14~弥都波能売神(みずはのめ)
中宮の猿田彦大神、白鬚大明神はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。~第251話:猿田彦は塩土老翁神
徐福の子孫が帥升でその子孫が、孝霊天皇(イザナギ?)で、五斗米道の指導者の子孫が
ウツシコオ、台与であるとすれば、矛盾はないように思います。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

新海三社神社 - Wikipedia
新井崎神社 - Wikipedia
夜話 89 八女の危機 その三 誤った徐福伝説 | 善知鳥吉左の八女夜話
九州の神社:福岡県・雷神社(糸島市)
『宍粟郡誌』(大正12年)には以下のように記されている。
「田井より与位に至る途、揖保川の清流山脚を洗う処に二個の巨巖あり、其の形頗る奇なり。巖頭には老松枝を伸べて空に翻り、断崖数十尋、羊歯岩松の類これに叢生し、下部は碧潭に臨みて倒映の景奇絶なり。もと桟橋を架して風到を添えたりしたが、今は隧道を穿ちて奇いよいよ加われり」[4][1]
地名から読み解く邪馬台国
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
◎hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過程