日出処天子の嘘
- tootake
- 8月21日
- 読了時間: 5分
第781話 #聖徳太子 #菟道稚郎子
このブログでは、聖徳太子は菟道稚郎子=台与としてきました。
~ 第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?! 第129話:菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
であるなら有名な隋の皇帝に送ったという日出処天子の逸話も、作り話なのでという疑念がわいてきました。
調べてみると、この派遣第一回について、隋書:東夷傳俀國傳は、高祖文帝の問いに遣使が答えた様子を載せています。
「開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」
開皇二十年に、大王(おおきみ)又は天王(あめきみ)と号する倭王アメタリシヒコは、使者を遣わして帝に詣らせた。高祖が役人を通じて倭国の風俗を尋ねさせたところ、使者は「倭王は、天が兄であり、日が弟です。まだ天が明けない時に出て、跏趺して坐りながら、政(まつりごと)を聴きます。日が出れば、すぐに理務を停めて弟に委ねます。」と答えた。高祖は「それは甚だ不合理(あるいは不義理)であるから改めるよう」訓令した。
と書いてありますが、「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」の文言はありません。
念のためAI(GTP-5)のこの疑問をぶつけてみました。以下はAIが書いた文章です。
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「日出処天子致書日没処天子」の捏造疑念
日本書紀以外に同文の国書原文は伝わっておらず、中国側の正史(隋書・旧唐書など)にも該当する書状本文は確認できません。送隋使一行の記録や中国皇帝の反応は伝わりますが、該当する原文は散逸し、写本・註釈を通じてしか伝わっていません。
< 捏造と疑われる主な理由>
・君主称号の逆転
通常の東アジア外交儀礼では、自国の君主称号を先に記すのが常識で、「東の天子→西の天子」の二項対立は後世の文学的発想に近いと指摘されます。
・文体の過度な象徴性
「日が昇る国」「日が沈む国」という地理メタファーは、歴史的事実を淡々と伝える公的文書というより、象徴的・宣伝的な意味合いが強いと見做されます。
・ 原本不在
実物資料が残らず、『日本書紀』編纂期に編者が独自に挿入した可能性が高いと考えられています。
<学界の総論>
大多数の日本史学者は、この有名な書簡冒頭句を『日本書紀』編者による創作と判断しています。
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※やはり、日出処天子というのは作り話だったのです。
※聖徳太子は菟道稚郎子という点についてもAIに尋ねてみました。
構造比較:聖徳太子・菟道稚郎子伝承と変容型英雄譚
以下では、聖徳太子・菟道稚郎子両伝承を、山幸彦譚や水神譚などの「変容型英雄譚」と照合し、それぞれに共通する物語構造と編纂意図を探ります。
Joseph Campbellのモノミス(英雄の旅)理論をもとに、以下の主要ステージを比較します。
ステージ | 聖徳太子伝説 | 菟道稚郎子伝承 | 山幸彦譚(海神譚) | 水神譚(若狭など) |
特殊出生 | 処女懐胎・皇子誕生 | 皇子としての出生 | 海神の娘との出会い | 川底で拾われる少年 |
冒険への誘い | 鞍作建立・遣隋使派遣 | 仁徳譲位の申し出 | 海底の都への旅 | 川上へ水神を伝えに赴く |
試練と助力 | 法隆寺建立の苦難 | 皇位継承の葛藤 | 釣り針事件・神々の援助 | 洪水退治・神具の授与 |
大試練 | 皇位承継の正当性 | 自害による兄への譲位 | 海神王との対面 | 水神との契約と別離 |
帰還と変容 | 仏法護持・国家安泰の保証 | 宇治宮への永遠の留座 | 地上戻り・神からの祝福 | 村人への祝福と伝承開始 |
神格化・祝福 | 権力と仏教の象徴化 | 地方信仰の中心神化 | 地名・祭礼の起源化 | 祭祀と孝行譚の定着 |
2. 編集意図の共通性
権威・正統性の付与
皇族や有力氏族の序列を確立し、律令国家のイデオロギーを補強。
地方伝承の中央化
宇治や海辺など地域英雄を国家物語に組み込み、地方信仰を朝廷支配下に編入。
宗教儀礼との結合
仏教(太子)や神道(稚郎子・山幸彦)と物語を結びつけ、寺社建立や祭礼を正当化。
理想的英雄像の創出
無私・忠孝・教化のパターンを定型化し、道徳教育や国家統合のモデルとして提示。
これらの編纂意図は、変容型英雄譚に共通する「英雄を通じた政治・宗教統合法」の枠組みとして反復的に用いられていることがわかります。以上AIでした。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




阿智氏・阿直岐は、、、
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
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とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語