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日出処天子の嘘

  • tootake
  • 8月21日
  • 読了時間: 5分

第781話 #聖徳太子 #菟道稚郎子


このブログでは、聖徳太子は菟道稚郎子=台与としてきました。


であるなら有名な隋の皇帝に送ったという日出処天子の逸話も、作り話なのでという疑念がわいてきました。


調べてみると、この派遣第一回について、隋書:東夷傳俀國傳は、高祖文帝の問いに遣使が答えた様子を載せています。


「開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」


開皇二十年に、大王(おおきみ)又は天王(あめきみ)と号する倭王アメタリシヒコは、使者を遣わして帝に詣らせた。高祖が役人を通じて倭国の風俗を尋ねさせたところ、使者は「倭王は、天が兄であり、日が弟です。まだ天が明けない時に出て、跏趺して坐りながら、政(まつりごと)を聴きます。日が出れば、すぐに理務を停めて弟に委ねます。」と答えた。高祖は「それは甚だ不合理(あるいは不義理)であるから改めるよう」訓令した。

と書いてありますが、日出處天子致書日沒處天子無恙云云」の文言はありません。


念のためAI(GTP-5)のこの疑問をぶつけてみました。以下はAIが書いた文章です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「日出処天子致書日没処天子」の捏造疑念

日本書紀以外に同文の国書原文は伝わっておらず、中国側の正史(隋書・旧唐書など)にも該当する書状本文は確認できません。送隋使一行の記録や中国皇帝の反応は伝わりますが、該当する原文は散逸し、写本・註釈を通じてしか伝わっていません。


< 捏造と疑われる主な理由>

・君主称号の逆転

通常の東アジア外交儀礼では、自国の君主称号を先に記すのが常識で、「東の天子→西の天子」の二項対立は後世の文学的発想に近いと指摘されます。

・文体の過度な象徴性

「日が昇る国」「日が沈む国」という地理メタファーは、歴史的事実を淡々と伝える公的文書というより、象徴的・宣伝的な意味合いが強いと見做されます。

・ 原本不在

実物資料が残らず、『日本書紀』編纂期に編者が独自に挿入した可能性が高いと考えられています。

<学界の総論>

大多数の日本史学者は、この有名な書簡冒頭句を『日本書紀』編者による創作と判断しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※やはり、日出処天子というのは作り話だったのです。


※聖徳太子は菟道稚郎子という点についてもAIに尋ねてみました。


構造比較:聖徳太子・菟道稚郎子伝承と変容型英雄譚

以下では、聖徳太子・菟道稚郎子両伝承を、山幸彦譚や水神譚などの「変容型英雄譚」と照合し、それぞれに共通する物語構造と編纂意図を探ります。


Joseph Campbellのモノミス(英雄の旅)理論をもとに、以下の主要ステージを比較します。

ステージ

聖徳太子伝説

菟道稚郎子伝承

山幸彦譚(海神譚)

水神譚(若狭など)

特殊出生

処女懐胎・皇子誕生

皇子としての出生

海神の娘との出会い

川底で拾われる少年

冒険への誘い

鞍作建立・遣隋使派遣

仁徳譲位の申し出

海底の都への旅

川上へ水神を伝えに赴く

試練と助力

法隆寺建立の苦難

皇位継承の葛藤

釣り針事件・神々の援助

洪水退治・神具の授与

大試練

皇位承継の正当性

自害による兄への譲位

海神王との対面

水神との契約と別離

帰還と変容

仏法護持・国家安泰の保証

宇治宮への永遠の留座

地上戻り・神からの祝福

村人への祝福と伝承開始

神格化・祝福

権力と仏教の象徴化

地方信仰の中心神化

地名・祭礼の起源化

祭祀と孝行譚の定着

2. 編集意図の共通性

  1. 権威・正統性の付与

    • 皇族や有力氏族の序列を確立し、律令国家のイデオロギーを補強。

  2. 地方伝承の中央化

    • 宇治や海辺など地域英雄を国家物語に組み込み、地方信仰を朝廷支配下に編入。

  3. 宗教儀礼との結合

    • 仏教(太子)や神道(稚郎子・山幸彦)と物語を結びつけ、寺社建立や祭礼を正当化。

  4. 理想的英雄像の創出

    • 無私・忠孝・教化のパターンを定型化し、道徳教育や国家統合のモデルとして提示。


これらの編纂意図は、変容型英雄譚に共通する「英雄を通じた政治・宗教統合法」の枠組みとして反復的に用いられていることがわかります。以上AIでした。


れまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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2件のコメント

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tootake
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tootake
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