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国譲り再考

更新日:4月18日

第278話


国譲りを迫られるのは、大国主=大彦です。このことにより大国主は当時の大和(邪馬台国)の大王であったと思われます。


大国主の子は、タケミナカタ南方刀美神)、アジスキタカヒコネ(阿遅鉏高日子根神)のどちらかは武渟川別(タケヌナカワ)でしょう。武渟川別は味鋤高彦根命!


そして、国譲りを迫るのは武甕槌神(タケミカヅチ)です。記紀では事代主を登場させ、国譲りを承諾し、タケミナカタは信濃国に落ち伸びます。一言主~言った一言とは?


国譲りで南方刀美神(タケミナカタを追いやった建甕槌(タケミカヅチ)は大和(邪馬台国)の頂点にたった筈です。しかし、次に大王になったのはミマキイリヒコ(崇神天皇)です。勝ったはずの建甕槌はその後、一切登場しません。

天若日子は建甕槌!? ではこう書きました。

「出雲王国とヤマト政権」と「出雲と蘇我王国」によりますと、大国主命と事代主命が、両者ともアメノホヒ勢力に拉致されるという大事件が勃発し、大国主命は、猪目洞窟(出雲市猪目)、事代主命は、弓ヶ浜の粟島(米子市彦名町)に幽閉され枯死したとのことですが、これは建甕槌がひっそりと殺害されてしまったということだとすると合点がいきます。


第247話では下記のように書きました。

大国主神の系譜にアジスキタカヒコネ(以下:高日子根)は「今迦毛大御神(いま・かものおおみかみ)と謂ふぞ」とあります。大御神とは最高神という意味です。古事記の「大御神」は高日子根の他に天照大御神と伊耶那岐命(いざなぎ)の二神だけです。 「迦毛」は地名で、奈良県御所市鴨神を指します。迦毛は鴨、加茂、賀茂(カモ)です。ということは迦毛大御神はカモの神ということです。迦毛大御神はカモの神(鴨王)ということです。鴨王はウツシコオでした。そして現在(当時)の鴨王という意味で今鴨王=今迦毛大御神です。


なぜ記紀の作者たちは国譲りの話を創作したのでしょう。大彦から崇神天皇への政権移行が必ずしも正当なものではなかったということでしょう。アジスキタカヒコネが武渟川別だとするとこんな話を創作する必要はないはずです。武渟川別は大彦の子で大王の資格は十分にあります。とするとアジスキタカヒコネがミマキイリヒコ(崇神天皇)だと考えると一番すっきりするのですが、アジスキタカヒコネは果たして大国主=大彦の子であったのか、そこが疑問です。大王を継ぐ正当性がいまいちはっきりしません。ミマキイリヒコが大彦の子ではなかったのではないでしょうか。記紀では開化天皇の子とさていますが、開化天皇の存在自体が疑問です。信州の諏訪湖に落ち伸びたのは武渟川別です。開化天皇 279話参照


私は、ミマキイリヒコはウジノワキノイラッコだと思っています。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)


なお出雲風土記には、国譲りの記事はありません。この事件は、三島・御牧(高槻・枚方・交野)での出来事です。


このプログ(小説)では、タケハニヤスが大規模な反乱を起こしたため、大和朝廷では反逆者を出雲と呼ぶようになったというのがテーマの一つになっています。タケハニヤスを討ちちとった大彦(=大国主)も後に時の宰相のウツシコオによって出雲と呼ばれるようになってしまいます。タケハニヤスの乱最終章





※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



  建御雷神鯰絵   


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