須恵器と邪馬台国
- tootake
- 8月7日
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更新日:8月8日
第767話 #南古窯群 #瀬戸物 #行基焼き #信楽焼
事代主神(ことしろぬしのかみ)には別名が多くありますが、「陶(すえ)」の字が含まれる名前として知られているのが 陶津耳命(すえつみみのみこと) です。
崇神天皇のとき、疫病が大流行した際に、倭迹速神浅茅原目妙姫(やまとと はやかんあさじはら まくわしひめ=倭迹迹日百襲姫命)は、大田田根子(おおたたねこ)を大物主神の祭主にすれば、天下太平になるということから、天皇はこの夢の言葉を得て、天下に告げて大田田根子を捜したところ、茅渟県の陶邑で大田田根子が発見されたといいます。
大阪府堺市の大庭寺遺跡(TG232号窯)などが、最初期の須恵器窯として知られています。ちなみに、須恵器の生産が本格化した泉北丘陵の陶邑窯跡群は、日本三大古窯のひとつに数えられています。私が邪馬台国とする枚方からもそう遠くない場所です。
南古窯群は、大阪府南部一帯に広がる須恵器窯跡群で、別名「陶隈窯跡群」とも呼ばれます。古墳時代中期(5世紀後半)から平安時代初頭(12世紀頃)まで、およそ500年にわたって連続的に稼働した、生産規模日本トップクラスの窯群です。
“陶隈”という名称は、崇神天皇期の神託伝承に由来します。古代の文献では「陶隈郡(土師器の産地)」と記されることがあり、その伝承が後世に窯跡群名として定着しました。
滋賀県蒲生郡竜王町にある鏡神社の境内周辺、特に社殿東側の空間には須恵器の破片が散乱しており、かつ窯跡と見られる土器片が多数確認されています。これらは神社の創建以前から近隣で陶器製造が行われていた痕跡を示しています。
鏡神社の背後に広がる鏡山一帯には「鏡山古窯址群」と呼ばれる須恵器窯跡が分布しています。丘陵を利用した穴窯で1100℃超の還元焼成を行い、青灰色で硬質な須恵器を量産し、
これほど広域にわたる窯址群は滋賀県内最大規模とされています。
陶人伝承と神社成立郷土資料によれば、朝鮮半島・新羅由来の陶工(天日廻:あめのひめぐり)がこの地に移住し、須恵器製造を伝えたと伝承されています。やがて彼らは「鏡」の地名と結びつき、土師器・須恵器の祖神として祀られるようになり、神社成立へとつながりました。この地は、有名な信楽焼の信楽(しがらき)に近く、信楽(しがらき)は、新羅のこととする説もあります。
<白山神社と瀬戸物(瀬戸焼)流通の関係>
石川県白山山麓や美濃地方の古道沿い遺跡から、瀬戸窯系の陶片が出土する例があります。
古来、白山信仰は越前・加賀・美濃を結ぶ山岳信仰の大動脈となり、白山詣でをする山伏(しやんぶし)が全国から集まりました。こうした巡礼者集団が運ぶ物資には、食器や生活雑器としての瀬戸焼(瀬戸物)が含まれていたと考えられます。彼らは自前の携行品として、軽量で割れにくい瀬戸焼を好んで用いた可能性があるものの、修験道資料では「瀬戸物行商」の明確な記録は少ないです。ちなみに、瀬戸物の「セ」は=スエで、瀬戸物は「スエもの」つまり陶器という意味です。白山信仰を広めたのは、泰澄です。
~第115話:菊理媛神~大目は大日(守口市)
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<蛇足の追記>~行基焼き
行基焼とは、素焼きの古代土器(主に土師器や須恵器)に冠された民間呼称で、特に和泉国(現在の大阪府泉州地域)で産出される器を指します。
「行基焼」の名は、奈良時代の高僧・行基(668~749)が当地に窯を開き、須恵器や祝部土器を製作したという伝承に依ります。
このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。行基焼は、この伝承は文献上の確証に乏しく、行基の生誕地の近くに陶邑窯跡群があることから、後世の民間伝説として広まったものでしょう。
行基は、なぜかこのブログに予期せず登場します。行基の初出は、第625話:大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)
須恵器(すえき=陶器)が日本で焼かれ始めたのは、古墳時代中期の5世紀前半とされていますが、上記のようにの「陶」の語句があらわれることから、邪馬台国の時代にも陶器はあったのだと思います。
陶津耳命=事代主神は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。~ 第275話:事代主もウツシコオ?
陶邑で見つけ出された大田田根子は台与です。~大神神社を探る(5)~大直禰子神社
ウツシコオ(内色許男命)は、須恵器=陶器を扱う仕事もしていたと思われます。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

三輪山から出土する須恵器の大半は大阪府堺市の泉北丘陵にある陶邑古窯址群で焼かれたとされており、このことは大田田根子が陶邑から見いだされたという伝承と一致する。
出雲大社より格式が上? 出雲が頭を下げる聖地「熊野大社」 - 草の実堂
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
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