大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)
- tootake
- 3月18日
- 読了時間: 6分
第625話
地図を見てもらえばわかるのですが、大阪府の南部には結構大きいため池がたくさんあります。今から2,000年以上前、邪馬台国の時代に日本に中国から米作りの技術が伝わりました。稲の栽培にはたくさんの水が必要なため、雨のたくさん降る地域や川に近い地域でしか栽培できませんでした。そこで、作られたものが「ため池」です。ため池は、水を貯えて必要な時にその水を使うことができ、稲の栽培を全国へ広めました。
仁徳天皇は、大阪の治水灌漑事業を最初にした人物だと言われています。
仁徳天皇は台与です。第203話:堀江~仁徳天皇は崇神天皇!では、次のように書かきました。古事記では、「仁徳天皇の御世に、秦人を役(えだ)ちて茨田堤また茨田三宅を作り、また丸邇池(わこのいけ)、依網(よさみ)池を作り、また難波の堀江を掘りて海に通はし、、、、、」
日本書紀では「崇神天皇 即位62年、灌漑事業を行って依網(よさみ)池などを開き大いに農業の便を図ったと伝えられる。」と書いてあります。このことにより仁徳天皇は、崇神天皇と同一人物で台与と思われます。
南大阪のため池といえば忘れてならないのが、行基です。
行基が掘削指導した貯水池としては、昆陽池(昆陽池公園内、兵庫県伊丹市)、久米田池(大阪府岸和田市) などがあり、また狭山池(大阪狭山市) 日本最古のダム式貯水池(溜池)を改修しています。
行基は大阪府堺市西区の家原で生まれました。「俗性は高志氏にして、その考(ちち)の諱は才智、字は知法君の長子なり。もと百済国の王子・王爾のすえなり。その妣(はは)は、蜂田氏にして、諱は古爾比売、河内国大鳥郡の蜂田首虎身の長女なり」とあり、中国系帰化人です。高志(たかし)は高師小僧の採れる高石市のことです。~高師小僧~大阪府高石市
行基の生まれたところには家原寺となっており、そこから南に下ったところに美多彌神社(みたみじんじゃ:堺市鴨谷台)があります。
主祭神は、天児屋根命で合祀神として須佐之男命、大物主命、天之水分大神、市杵島比売命、誉田別命、菅原道真、伊邪那岐大神、大国主命が祀られています。
天児屋根命はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。~天児屋命はウツシコオ!!
市杵島比売命、誉田別命は台与です。天之水分大神も「みくまり姫」=台与です。
泉北高速鉄道には、栂(とが)・美木多駅(大阪府堺市南区桃山台)があります。
美木多(みきた)という地名ですが、第621話:hidemaru3375.com/post/大阪と邪馬台国:岸和田(門真市)で書いたように、この辺りの人々(大阪府南部にある岸和田市の人々は)、この門真市の岸和田の人々が疫病の大流行により移住したのではないかと思われます。「だんじり」は岸和田市だけではなく、河内地区でも広く、多く見受けられます。「だんじり・山車」は、今では祭りの時にしか登場しませんが、神輿とは異なったもので、元々は堀江の掘削や茨田(まんだ・まむた)茨田堤を築いたときに用いた土木工事に用いる荷車(トラック)です。
門真市の岸和田、大和田の「和田」は当て字は音・訓読みの重箱読みです。平安時代にこれを嫌い、「和」を「にぎわい」と読み略し「にぎ」に、さらに「にぎ→みき」に訛り、「美木」の漢字を当て「美木多」になりました。
美多彌神社にすぐ近くには光明池というかなり大きい池があります。
堺市南区と和泉市にまたがる光明池は、槇尾川上流から分水貯水された農業用ため池です。満水面積は35.6ha、貯水量は大阪府内最大の369.6万立方メートルを有します。現在は堺市・高石市・泉大津市・和泉市の4市の約300haの水田を潤しています。
泉北地域では、大正末期から昭和初期の人口増加とともに耕地面積が拡大されてきました。それにも関わらず農業用水のほとんどを雨水に頼っていたため、干ばつがによる不作が頻発していました。そのため槇尾川からの取水による大容量の農業用ため池の新設が検討され、1931年(昭和6年)から1936年(昭和11年)にかけて大阪府営事業として光明池が築造されました。しかし光明池は、国分町にある浄福寺で光明皇后が誕生したという伝説にちなんで名づけられたとされており、古代からあるため池であることは間違いないでしょう。
行基も渡来人=秦氏だからこそ台与と同じような知識と技術を持っていたのでしょう。
門真の大和田・岸和田から移住してきた一族の末裔でしょう。
行基の父の名は高志才知(こしのさいち)、母は蜂田古爾比売(はちたこにひめ)、
両親とも百済からの渡来系氏族の出身です。高志氏は百済から渡来した王仁(わに)氏の家系ともされています。
=====================================
<追記>
美多彌(みたみ)神社は、新撰姓氏録:和泉国神別条に記載されている「民直(みたみのあたい)」に関連するとされています。「天児屋根命の後裔とされ、民(みたみ)は美多彌(みたみ)と訓を正す」とあります。主祭神は天児屋根命である。
飛鳥時代、民直小鮪(みたみのあたいおしび)が、壬申の乱(672年)の時、大海人皇子(後の天武天皇)側につき、河内から倭(大和)に来る敵を防いで連戦しました。
民直大史という人物もみられます。美多彌神社は、和泉国北部の和田郷(にぎたのさと)の郷氏神として崇められた。
・「にぎ」といえば饒速日(にぎはやひ)です。饒速日は台与です。
・大和田の大和は大和(ヤマト)です。
<大阪と邪馬台国>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
聖武天皇のお后の光明皇后は信仰にあつく、大変なさけ深い方でした。730年(天平二年)、貧しい病人たちのために施薬院という病院を、孤児や身寄りのない老人たちのために悲田院という施設をつくり、自分から出かけていってお世話をなさいました。

<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語