石山寺:石(岩)と金
- tootake
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第857話
石山寺は、滋賀県大津市石山寺にあります。西国三十三所第13番札所です。
琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にあります。本堂は国の天然記念物の珪灰石という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっています。
岩盤と台与の関係はこれまでも何度か書いています。
<石:岩:イワ> 長谷寺では、泊瀬(はせ)の地を補陀落山に見立て、小泊瀬の険しい崖に懸崖造りのお堂を建て、自然湧出に見立てた盤石に観音を安置しています。「磐石に立つ」ことが長谷観音にとっては大きな意味があるのです。磐座神社の磐座(いわくら)とは、古代より神として信仰されている巨大な岩のことです。磐(岩)は台与のキーワードです。
~第451話:磐衝別命と健磐龍命 第594話:彦狭知の物語(6)~アメノヒボコ 第722話:由加神社本宮・尾針神社~岡山県
伊和(イワ)大神=台与(豊)です。なぜなら伊和(イワ)=岩で、イワは台与(豊)の事だからです。播磨風土記の記載では、播磨国の神である伊和大神と葦原志許乎命(大己貴神の別称・葦原醜男)は同神とみなせるとあるので、伊和大神=大己貴神(オオナム:大穴持ち)=台与です。
<金>
石山寺縁起絵巻によれば、聖武天皇の勅願により、天平19年(747年)に良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子*の念持仏であった如意輪観音像をこの地に祀ったのが始まりとされています。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていました。*聖徳太子は台与です。~第781話:日出処天子の嘘
そこで、聖武天皇は、良弁に命じて黄金が得られるよう吉野の金峯山に祈らせます。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようです。吉野の金峯山にちいては、第763話:天武天皇は台与(4)~吉野で、「吉野一帯は、役行者*(えんのぎょうじゃ)が開いたとされる修験道の中心地で、金剛蔵王大権現を感得した場所として知られています。役行者は、山上ヶ岳での一千日間の参籠修行の末、忿怒の姿で現れた金剛蔵王大権現をヤマザクラに刻み、吉野山と山上ヶ岳に祀ったことが金峯山寺の始まりとされています。*役行者はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
~第475話:役の行者(役 小角)と韓国広足
また、この地域は、丹生信仰を残す地として、和歌山県の高野山近辺には、丹生都比売神社(にゅうつ姫神社:かつらぎ町天野)と、特に吉野には持統天皇がしばしば行幸しているのは名高いことです。丹生都比売は、台与です。~第616話:鉱物資源と邪馬台国14~弥都波能売神(みずはのめ)」と書いています。
聖武天皇は、良弁に命じられた良弁は、夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)*が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」といことなので、夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神*の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出されます。そもそも、この石山の地は、東大寺を建立するために近江国の甲賀郡や高島郡など各所から伐採してきた木材を集めておく場所で、この地が東大寺や良弁と強い繋がりがあった地なのです。
*比良明神は白鬚明神とされています。白鬚明神は、白髪=猿田彦=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることは、第845話:hidemaru3375.com/post/新羅は白髭-猿田彦で書きました。
*蔵王権現は台与です。~第720話:中臣印達神社:権現は台与
そして、第476話:金華山と百済王敬福では、次のよう書きました。
金華山は、日本で初めて金が採れた場所だそうで、金華山には黄金山神社(こがねやま)があり、神の使いとして鹿が保護されています。祭神は鉱山の神である金山毘古神、金山毘売神です。ということは台与とウツシコオのコンビです。
{解説}
金華山の黄金山神社の社伝によれば、奈良時代に国家事業としての東大寺毘盧遮那仏(所謂奈良の大仏)建立に際して鍍金に要する金の調達に苦慮していた大和朝廷に、天平21年(749年)2月、陸奥国から日本初となる金が発見され、その産出地が日本初の産金である金華山であるとされていました。しかし、文化10年(1813年)に伊勢国の国学者沖安海(おきやすうみ)が天平産金の故地は宮城県遠田郡涌谷町に鎮座する小金神明社(現涌谷町黄金山神社)が黄金山神社である事を査定して再興した為に、金華山の創祀に関する縁起も再考されました。
陸奥国小田郡で黄金を発見したのが金山毘古神、金山毘売神つまり台与とウツシコオのコンビだとしたら、749年年代と合いませんが、日本で初めて金を産出したのは、749年という方が疑わしいのは明らかです。500年引いたというのが249年あたりだとしたらこの話は成り立ちます。
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<蛇足の追記>
紫式部が源氏物語の着想を得たのも石山寺とされています。伝承では、寛弘元年(1004年)、紫式部が当寺に参篭した際、八月十五夜の名月の晩に、「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされ。十二帖の「須磨」、十三帖の「明石」に続く十六帖「関屋」では石山寺に詣でる源氏が道中の逢坂の関で空蝉と再会する場面が描かれています。
「関谷」は第843話:hidemaru3375.com/post/蝉丸神社と逢坂関で書いた逢坂の関の関守が住む番小屋のことです。他にも宇治十帖の宇治などこのブログで書いた地名が多く登場します。宇治は、ウチはウツの転訛にて、内、打は、氏、宇治、宇智、宇遅、及び渦、珍、宇豆、宇都、宇津に同じ。古事記に木国造の祖 宇豆比古(うづひこ)と見え、景行紀三年条には紀直の遠祖 菟道彦(うぢひこ)と見ゆ。とあります。このブログでは、菟道彦=珍彦(うずひこ)=ウジ彦は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)としてきました。ウツシコオの鬱(うつ)は宇治のことです。~第771話:和歌山の宇治
これまでに書いた 西国三十三所の寺院の記事
(1)青岸渡寺 →第543話:熊野の神々は、、、
(2)金剛宝寺(紀三井寺)→第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2
(3)粉河寺 →第768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡
(4)施福寺→第850話:hidemaru3375.com/post/槇尾山-施福寺
(7)岡寺(龍蓋寺)→ 第795話:岡寺と台与(豊)
(8)長谷寺 → 第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮
(9)興福寺 南円堂 → 第793話:空海(6):虚空菩薩 (10)三室戸寺 →第723話:三室戸寺~宇治(莵道)(11)醍醐寺 上醍醐准胝堂 →第855話:醍醐寺と白髪の老人(12)正法寺 (13)石山寺 →今回
(14)園城寺(三井寺 観音堂) (15)今熊野観音寺 (16)清水寺 (17)六波羅蜜寺
(18)六角堂→第519話:六角堂と平安京(頂法寺) (19)革堂(行願寺):今回
(20)善峯寺 (21)穴太寺→第824話:穴太寺と穴太衆=土蜘蛛
(22)総持寺 → 第823話:総持寺幻想~大阪府茨木市
(23)勝尾寺 (24)中山寺 →第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市(25)
(播州)清水寺 (26)一乗寺 (27)圓教寺 →第843話:弁慶 大物(だいもつ)・書写山
(28)成相寺 (29)松尾寺 (30)宝厳寺→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖
(31)長命寺→ 第709話:hidemaru3375.com/post/長命寺:武内宿祢と聖徳太子 (32)観音正寺
(33)華厳寺→第725話:谷汲山(たにぐみさん):大口大領
番外 元慶寺(山科)→第720話:毘沙門堂~京都市山科
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




善峯寺の信仰 | 善峯寺について | 京都・西山 西国第二十番札所 善峯寺
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語