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隼人族は呉の勝

更新日:5月4日

第304話~隼人族1


第299話:海幸彦と山幸彦火闌降は火須勢理命(ほすせりのみこと)であり、海幸彦も隼人族の祖とされていると書きました。 吾平津媛=マシタ姫(真舌媛は、宗像三女神もこの一族です。


※隼人族と「呉の勝」=多氏との共通点が多いことを発見しました。

   第48話:太田市と遺跡 ~呉の勝 第291話:多氏と長脛彦


◎鵜飼~古事記には、鵜飼は隼人の文化であるという記述があります。

先代旧事本紀では少彦名命は鳥取氏の祖神とされています。

私が小学校の時に住んでした三島には鳥飼という地名があります。最近まで私の妹が住んでいました。鳥飼大橋があるので大阪の人にはなじみのある地名です。

「鳥養部(鳥甘部)」は、饒速日を祖神とする物部氏は鳥養部を管轄していたのではないかとされています。第29話:少彦名命 鳥飼→鳥取  

少彦名大神は孝元天皇の皇子:少彦男心と同一人物と思われます。ということはやはり三島の出身です。

 

◎相撲~日本書紀の記述として、隼人が朝廷で相撲を取った記述があります。

相撲といえば野見宿禰:高槻市出身と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の 蹴速は当麻邑(たいまのむら奈良県葛城市當麻)第179話:野見宿禰は大阪府高槻出身


◎舞~神話では、海幸彦(火照(ホデリ)命または火闌降命)が隼人の阿多君の祖神とされ(海幸山幸)、海幸彦が山幸彦に仕返しされて苦しむ姿を真似たのが隼人舞とされています。雅楽の始祖は、神八井耳命のとされその後裔とされる9世紀の多自然麿、その子孫は地下(じげ)の楽人として代々宮廷に仕えています。神八井耳命は多氏の始祖です。

第293話:八咫烏の由来


◎馬(日向)~日本書紀に推古天皇が「駒ならば日向の駒」と歌を詠んだ記事が見られます。大阪府四條畷市の蔀屋北遺跡からは全身骨格(体高125センチ、5世紀頃)が出土しており、御崎馬の類と見られています。

 日向は現在でも守口市の地名です。大阪府四條畷市は守口市に隣接しています。

第295話:日向は大阪府守口市第220話:四條畷と馬匹文化


 ◎入れ墨~宮崎県えびの市島内の島内地下式横穴墓群から出土した人骨の多くは顔料が塗られていた。顔面のみの塗布が最も多く、顔面塗布が重視された事がわかった

参考:第303話:魏志倭人伝の入れ墨について


◎言語・文化については、隼人の言葉は他の地方と大きく異なっていたとされています。大宝律令では、「異人」と記されている。

呉の勝は、大和(邪馬台国)の創設の時期に日本に定住したと思われ、一族の中には、日本語以外の言語をつかう者もいたはずです。第271話:徐福伝説と「呉の勝」

  

   


           {参考文献}ウイキペディア 隼人 - Wikipedia



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。



 


     素戔嗚


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