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オケとヲケ(4):楠葉(大阪府枚方市)

  • tootake
  • 2 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:1 日前

第975話


古事記には、オケとヲケは、丹波を出て、山代の苅羽井(かりばゐ)に至り、玖須婆(くすば)の河を渡ったと書かれています。苅羽井(かりばい)というのは、綴喜郡樺井(かばい)のことです。京都府城陽市水主宮馬場にある水主神社境内に樺井月神社があり、社伝では、樺井月神社は、元々は綴喜郡樺井(田辺市大住)にあったが木津川の氾濫に遭い、寛文十二年(1672)水主神社境内に遷宮したと伝わっています。~第973話:オケとヲケ(2):水主神社


是に市邊王の王子等ち、意祁(オケ)の王、袁祁(ヲケ)の王、此の亂れを聞きて逃げ去りたまひき。故、山代の苅羽井(かりばゐ)に到りて、御粮食みかれひをす時、面黥まさける老人おきな來て、其の粮を奪ひき。爾に其の二はしらの王言みこのりりたまひしく、「粮は惜をしまず。然れども汝なは誰人たれぞ。」とのりたまへば、答へて曰ひしく、「我わは山代の猪甘(ゐかひ)ぞ。」といひき。故、玖須婆(くすば)の河を逃げ渡りて、針間(はりま)の國に至り、其の國人、名は志自牟(しじむ)の家に入りて、身を隠したまひて、馬甘牛甘に役つかはえたまひき。


そして玖須婆というのは、大阪府枚方市楠葉です。

玖須婆(くすは)の河を逃げ渡ったのはタケハニヤスです。


大彦に敗れたタケハニヤスの兵は、皆先を争って樟葉の渡しにたどり着いきます。その時慌てふためき糞をもらして褌(はかま)にかかるほどだったそうです。その頃から、この地を糞褌(くそはかま)と呼ばれ、それがなまって久須婆(くずは)と呼ぶようになりました

楠葉にはもう一つ鵜殿の渡しもありました。第30話:豊葦原中国:とよあしはらのなかつくに


そして楠葉は、継体天皇が即位した地として知られています。


タケハニヤスについては、このブログで何度も記事を書きましたが、その正体はよくわかりませんでした。~ミマキ国(邪馬台国)~タケハニヤスの乱1タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市):タケハニヤスの乱3 ~小人国 :タケハニヤスの乱4 ~大彦は、綏靖天皇:タケハニヤスの乱(最終章) 


今、考えるとタケハニヤスも台与でしょう。


そして、オケとヲケの二人は、玖須婆(くすば)の河を渡って、針間(はりま)の國に至ります。針間(はりま)は播磨です。


播磨風土記には、「昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島*の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。」とあります。


第304話:隼人族は呉の勝では、隼人と呉の勝=ウツシコオ・台与との関係を書きましたあ。先ほど書いた、樺井月神社は、元々は綴喜郡樺井にありました。綴喜郡樺井は、田辺市大住です。大住は大隅で隼人の居住地です。~隼人4)大隅隼人は京都府京田辺市


玖須婆(くすば)の川とは、淀川のことです。台与=呉の勝は、淀川とも大きく関わっています。~第746話:茨田堤と「呉の勝」:茨田勝


「志自牟(しじむ)の家に入りて、身を隠し」とある志自牟は、兵庫県三木市志染です。

兵庫県には太子町という地名もあります。太子=聖徳太子は台与です。~第344話:聖徳太子伝説~堀江と茨田堤 第905話:上宮記・薬師如来光背銘:聖徳太子の嘘


三島は、御島で私が邪馬台国とする地です。山代の苅羽井も楠葉も三島(御島)=邪馬台国とすると、話が通ります。オケとヲケが播磨へ行ったのは、崇神天皇の時代に発生した大規模なパンデミックによるものです。~第17話:邪馬台国で疫病発生

・三島(邪馬台国)が記録されなかった理由~第12話:奈良盆地には、敵などいなかった。



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>









 
 
 

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tootake
2日前
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