オケとヲケ(5)は日十大王
- tootake
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第976話
隅田八幡神社・人物画像鏡(すだはちまんじんじゃ・じんぶつがぞうきょう)は、和歌山県橋本市の隅田八幡神社が所蔵する銅鏡です。鏡背の48字の金石文は、日本古代史、考古学、日本語学における貴重な資料で国宝に指定されています。
人物画像鏡には、次のように書いてあります。
「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟」
癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月 日十大王の年、男弟王が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。
この日十大王を、オケ・ヲケ兄弟を指すとする説があります。
「日十」の「日」は「日」ではなく、横に長い「曰十」とした場合は「をそ」と読めます。そこで仁賢の諱(いみな)が「おおし」「おおす」なので、弟の顕宗の名を「をし」と推定し、「をし大王」を顕宗大王にあてるという説です。
※オケは後の仁賢天皇でヲケは後の顕宗天皇です。
銘文中の「日十大王」を、「曰十大王」の「日」は「曰:イワク」で、「曰」を(ヲ)と読み、「十」を「計」の略字として、「曰十大王」を(ヲケ)と読めるのです。
また、「日十」とした場合は、「ヒソ」と読めるため、「ヒソ大王」を仁賢大王にあてることもできます。
「曰」を「ヲ」と読む例として石和田氏は、「曰佐」(ヲサ)を挙げておられます。
立命館大大学名誉教授の山尾幸久氏は、日十大王をヲシ大王と読んで、日本書紀がその名を「大石」「大脚」とする仁賢天皇であるとし、孚弟王をフト王あるいはホド王と訓じ、「袁本杼(おほど)」「彦太(びこふと)」とある継体天皇に比定できると言われています。(平野邦雄「継体朝の諸問題」「大化前代政治過程の研究」吉川弘文館 1985年、山尾幸久「日本古代王権形成史論」岩波書店 1983年。
また「日十」は「くさか」であるという説もあります。万葉集の註に「日下」を「早」と書いた例があることから「日十」を「早」の一文字とみた神田秀夫氏の説やに森浩一氏は「日十」は「草」の簡体字とされておられます。
日本書紀には、「市辺押磐皇子の二人の皇子、七歳の億計と六歳の弘計は舎人の日下部連使主(くさかべのむらじおみ)の機転で危うく難を逃れて、、、」とあります。
このブログでは、継体天皇は台与としています。
つまり、オケ・ヲケ=仁賢天皇=継体天皇=台与であるということです。
「癸未年」がいつに当たるかについては多くの説がありますが、西暦443年とする説、503年とする説が有力です。しかし、癸未年は干支ですから120年で一回りします。継体天皇は507年に57歳で即位したとされていますから、450年に生まれたことになります。
さらに干支を二回つまり240年引くと210年の生まれとなり、邪馬台国の時代にぴったり合います。~第386話:継体天皇はスサノオ
{参考にしたブログ}137 隅田八幡神社人物画像鏡の銘文解釈 - 理系脳で紐解く日本の古代史
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
<隅田八幡神社の人物画像鏡(山川『詳説 日本史図録』から転載)>




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