長髄彦と粉河寺~那賀郡
- tootake
- 8月8日
- 読了時間: 5分
第768話 #登美毘古 #邪馬台国
粉河寺(こかわでら)は、和歌山県紀の川市粉河にあります。西国三十三所の第3番札所です。本尊は千手千眼観世音菩薩で、この千手観音には二つのの霊験説話があります。
そのうちの一つの説話では、河内国の長者・佐太夫の娘は重い病で明日をも知れぬ命であった。そこへどこからともなく現れた童行者が千手千眼陀羅尼を称えて祈祷したところ、娘の病は全快した。喜んだ長者がお礼にと言って財宝を差し出すが童行者は受け取らず、娘の提鞘(さげざや、小太刀)と緋の袴だけを受け取り、「私は紀伊国那賀郡におります」といって立ち去った。長者一家が那賀郡を尋ねて行くと、小さな庵に千手観音像が立ち、観音の手には娘の提鞘と緋の袴があった。長者一家はあの行者が観音の化身であったことを知ってその場で出家し、孔子古とともに粉河寺の繁栄に尽くしたとのことである。
わざわざこの霊験説話を書いたのは、この粉河寺がある地は那賀郡ということを言いたかったからです。この那賀郡の「那賀」は「中」で長髄彦(ナガスネヒコ)=中津彦(ナカツ彦)ではないかとされるのは、「謎の四世紀」の著者である上垣内憲一先生です。~P162
長髄彦の名前については、日本書紀に「長髄は是邑の本の号なり」=「長髄とは村の名前(地名)」と書いてあります。
神武東征のルートにあたる地域で長脛という地名はどこにもありません。
==================================================
「謎の四世紀」p162より引用。
「この付近、特に粉河寺のあたりは、丹生にかかわる地名、丹生都比売(ニュウツ姫)を祀る神社がいくつもある。おそらくは、この那賀郡の地名は、弥生時代における水銀朱の大産地であった徳島県の若杉山遺跡、その水銀朱の搬出ルートであった那珂川の「那賀:ナカ」と呼んで由来するのだろう。粟の国の那賀の人が移住して、やはり水銀朱の採掘にあたっていた場所、それが、紀伊の国の那賀である。」
==================================================
この紀伊の国の那賀は、私が彦狭知(ヒコサチ)=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)出身とする名草(和歌山市)のすぐ近くです。和名類聚抄では、紀伊国名草郡に忌部郷(いんべ)が見え、和歌山県和歌山市鳴神の鳴神社の祖神は彦狭知命(さちひこ)です。忌部郷は阿波(徳島)にもあり阿波忌部氏の拠点地です。
ところで、このブログでは、長髄彦は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)としているのですが、AIにそのことに間違いがないか尋ねてみました。
以下は、AIが作成した文章です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ウツシコオ=スサノオ=長脛彦」という三者の同一視が、記紀の文脈でどこまで成立するか――これは単なる名前の類似や神格の重なりではなく、記紀の構造そのものに踏み込む問いです。
🧩 三者の構造的関係:記紀の文脈での検証
1. ウツシコオ(内色許男命)
『古事記』では木国造の祖・宇豆比古(うづひこ)とされ、紀直の遠祖・菟道彦(うぢひこ)とも関連づけられる。
hidemaru3375.com/では、ウツシコオは多くの異名を持ち、猿田彦・事代主・椎根津彦・大物主・長脛彦などと同体異名とされる。
その母キサガイヒメは佐太大神(猿田彦)を産んだとされ、医術・科学に通じた渡来系の人物とされる。
2. スサノオとの接点
スサノオは出雲系の神であり、荒ぶる神・海神・農耕神など多面的な性格を持つ。
hidemaru3375.comでは、饒速日がスサノオの子とされ、ウツシコオが饒速日と関係するならば、スサノオとの系譜的連関も示唆される。
スサノオの「荒ぶる性格」「渡来性」「医術との関係」は、ウツシコオの描写と重なる部分がある。
3. 長脛彦(登美毘古)との関係
『日本書紀』では神武東征に抵抗した大和の豪族。妹を饒速日に嫁がせ、彼を主君とするが、神武に敗れる。
長身・戦闘能力・地理的拠点(鳥見)など、ウツシコオの「舟の操作」「外交術」「科学知識」といった万能性と通じる。
hidemaru3375ブログでは、長脛彦=登美毘古=ウツシコオとされ、記紀の編者がウツシコオの事績を別人に分割したと主張。
🧠 記紀の文脈での成立可能性
観点 | 成立度 | 解説 |
系譜的連関 | ★★★☆☆ | スサノオ→饒速日→長脛彦→ウツシコオという流れは、記紀では明示されないが、民間伝承やブログ的解釈では可能性あり。 |
神格の重なり | ★★★★☆ | 猿田彦・事代主・椎根津彦などとの同体異名説があるため、スサノオとの神格的連関は構造的に成立しうる。 |
地理的・政治的役割 | ★★★★☆ | 長脛彦の鳥見拠点、ウツシコオの枚方・交野との関連は地理的に近接し、政治的役割の重複も見られる。 |
記紀の明示性 | ★☆☆☆☆ | 記紀本文では三者の同一視は明示されておらず、むしろ分断されている。成立には外部資料や再構成が必要。 |
以上です。なお、那賀須泥毘古(長脛彦)は登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、登美毘古(とみびこ)とも表記されています。登美=富については、第225話:摂津富田~登美の里で述べています。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

安仁神社 - Wikipedia
鈴木正信『日本古代氏族系図の基礎的研究』
• 古代における氏族系図は、律令国家成立期に編纂された系譜が原典であるとし、各氏族の実態解明を図っています。
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
◎hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過程