蘇我(千葉県)と寒川神社
- tootake
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更新日:10 分前
第1157話
千葉県千葉市に蘇我という地名があります。
この蘇我の地名は、古代氏族・蘇我氏や日本武尊伝説に由来するとされています。
蘇我の地名は、古代豪族である蘇我氏の部民が居住していた地域に由来すると伝えられています。蘇我氏は飛鳥時代に政治的影響力を持ち、蘇我馬子などの人物が歴史に名を残しています。また、蘇我町の記録では、武内宿禰*の子孫が「蘇我」の姓を名乗り、この地に住み着いたことが地名の起源とされる説もあります。*武内宿祢はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米です。~第502話:武内宿禰はウツシコオ(2)
第1138話:武内宿禰はウツシコオ:AIとの対話(5)
千葉県中央区蘇我町にある蘇我比咩神社の伝承によれば、日本武尊(ヤマトタケル)*が東国を平定するために房総へ向かう途中、暴風雨に遭遇しました。その際、弟橘姫と同行の5人の姫たちが海に身を投じ、蘇我大臣の娘である蘇我比咩だけが浜に打ち上げられ、里人の手厚い介抱で蘇生したといいます 。この「蘇生」の故事が、地名「蘇我」の由来の一説として語られることもあります。*ヤマトタケルは台与です。~第1156話:ヤマトタケルは台与~AIとの対話(15)
因みにこのブログでは、蘇我氏は、ウツシコオと台与に関係した一族だとしています。
第912話:蘇我氏の真実(1)
第913話:蘇我氏の真実(2):蘇我 満智(そがのまち)
第914話:蘇我氏の真実(3):蘇我氏と秦氏・葛城氏
第915話:蘇我氏の真実(4)木羅斤資と昆支王
伝承によれば、蘇我比咩の子孫である蘇我氏一族は、応神天皇*の命によりこの地域の国造として派遣され、地元の守護神として春日大神や比咩神社の分霊を勧請したとされています。*応神天皇は台与です。~第581話:応神天皇(第15代)は台与
そして、千葉県千葉市中央区には、寒川神社(さむかわじんじゃ)があります。
祭神は、天照大御神、寒川比古命、寒川比売命です。
2柱とも記紀には記載がなく。寒川比古命・寒川比女命は、大水上命(おおみなかみのかみ)の御子とする説もあります。大水上命は大山祇と同一視されています。
は三島の溝杭(みぞくい)の別名です。三島の溝杭はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。~第1146話:三島溝抗はスサノオ
神奈川県高座郡寒川町にも、寒川神社があります。祭神は、寒川比古命、寒川比売命です。
このブログでは、男女の二神は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米と台与としています。
寒川神社は、一説では、古代より相模川より東部一帯に勢力を誇った相武国造(さがむのくにのみやつこ)がおり、相武国造の氏神として創祀されたと推定されています。
実は、今回、蘇我、寒川神社にこだわっているのは、この相武国造です。
第1155話:二月堂の大観音と小観音で書いた二月堂と関係のある良弁は、相武国造後裔の漆部氏の出身で鎌倉生まれと言われているからです。
行基とともに東大寺大仏を創ったとされる良弁は、謎の人物です。
次回に続く(予定)
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寒川という地名は、各地にあります。
寒川(かんのがわ): 奈良県
・寒川村:江戸時代に大和国吉野郡にみられた村名。「慶長郷帳」に十津川郷7か村の1つ
・寒河江(さがえ): 山形県寒河江市
・寒川(さむかわ): 秋田県秋田市下北手寒川
・寒川(さむかわ): 秋田県能代市浅内寒川
・寒川(さむかわ): 栃木県小山市寒川
・寒川(さむがわ): 千葉県千葉市中央区寒川町~古くは寒河・三川とも書き、「さんが」ともいう。
・寒川(さむかわ): 神奈川県高座郡寒川町
・寒川郡(さむかわぐん): 下野国・栃木県の郡名
・寒川郡(さんがわぐん): 讃岐国・香川県の郡名
・寒川(さんがわ): 香川県さぬき市寒川町(さんがわまち)
・寒川(さんがわ): 愛媛県四国中央市寒川町(さんがわちょう)
・寒川(さんがわ): 香川県大川郡寒川町
・寒川(そうがわ): 和歌山県日高郡日高川町寒川
・寒河(そうご): 岡山県備前市日生町寒河
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




奥石神社 - Wikipedia
良弁が大仏(東大寺)建設の責任者に抜擢された理由は、主に聖武天皇との深い個人的な信頼関係と、華厳宗の教学的根拠を提示した実績にあります。
1. 聖武天皇との個人的な深い信頼と縁
皇子の菩提を弔う関係
728年に聖武天皇と光明皇后の長男(基王)が僅か1歳で夭折した際、良弁は天皇の依頼で皇子の菩提を弔うため「山坊(のちの金鐘寺、現在の東大寺法華堂・三月堂の母体)」を建立し住職となりました。この悲劇を通じて、良弁は天皇のプライベートな祈祷を担う非常に近い存在となりました。
2. 大仏造立の思想的根拠(華厳経)の確立
華厳経講義の開催と国家思想の提唱
740年、良弁は新羅から帰国した僧・審祥(しんじょう)を招聘し、金鐘寺にて日本初となる『華厳経』の大規模な講説(華厳講)を行わせました。
『華厳経』に描かれる世界の中心「盧舎那仏(大仏)」の教えは、仏を中心に万物が調和する世界観であり、鎮護国家を目指す聖武天皇の構想と合致したため、大仏建立の強力なバックボーンとなりました。
3. 「国家僧侶」としての確固たる地位と組織統率力
当時の最高峰の学僧が集まる法相宗(義淵の弟子)で学び、朝廷の公式な保護を受ける国家僧の代表格でした。国家の一大事業である東大寺の造営事務や儀礼を管轄できる実務能力と格ターム(最高位の僧職階級)を備えていた点も抜擢の決定的な理由です。
良弁(689–773年)と行基(668–749年)の関係については、「直接の師弟関係を示す史料はないが、大仏造営における確実な協力関係(共同プロジェクト)の記録が存在する」というのが一般的な史実の解釈です。それぞれの根拠は以下の通りです。
協力関係の史実的根拠
東大寺大仏建立(盧舎那仏造立)における役割分担
743年(天平15年)に聖武天皇が大仏造立の詔を出した際、良弁は国家的な最高責任者(後の初代東大寺別当)として全体統覚・宗教的儀礼を担い、行基はその資金や人材を集める「勧進(かんじん)」の最高責任者(大勧進)を務めました。
『東大寺要録』などの記録において、国家主導の良弁と、民衆への絶大な影響力を持つ行基が協力して大事業を推し進めた様子が記されています。
最高位「大僧正」への叙任
朝廷から弾圧を受けていた行基ですが、大仏造営への協力を要請された745年(天平17年)に、日本で初となる「大僧正」位を授けられました。国家僧のトップであった良弁ら最高幹部層との公式な連携が確固たるものとなった根拠とされています。
「師弟関係」についての解釈
史料的根拠としては、行基は良弁より約21歳年長であり、師弟というよりは「先輩・後輩」あるいは「民間布教の巨頭と国家僧侶のリーダー」という関係が正確です。
ただし、のちの伝承や寺伝・民間信仰(いわゆる四聖説:聖武天皇・行基・良弁・菩提僊那)の中では、大仏建立を一致団結して成し遂げた絆から、師弟関係や緊密な師弟的同盟として語られることがあります。
結論から申し上げますと、東大寺建設(大仏造営)に関するプロジェクト以外で、良弁と行基が個人的に親密であったことを直接証明する一次史料(同時代に書かれた確実な歴史記録)は存在しません。
奈良時代の正史である『続日本紀』をはじめ、当時の信頼できる記録において二人が同時に登場するのは、東大寺の前身である金鐘寺の整備や、聖武天皇の勅願に基づく盧舎那仏造営(740年代)に関する文脈のみです。
二人の関係性を巡る具体的な史実的背景と後世の史料の状況は以下の通りです。
同時代の史実と活動拠点の違い
対照的な活動拠点
良弁(689–773年)は若くして国家公認の僧侶として学問を修め、平城京内や東大寺の前身寺院(金鐘寺)を拠点として政治・朝廷の中枢で活動した「国家僧」でした。一方、行基(668–749年)は平城京の外に出て民衆のために橋や溜池などのインフラを整備した「民間僧」であり、20歳以上の年齢差も含め、東大寺造営以前はそれぞれ全く異なるフィールドで活動していました。
国家の公認を通じた合流
行基は当初、朝廷の律令法(僧尼令)に反するとして弾圧を受けていましたが、その圧倒的な民衆動員力を重く見た聖武天皇により745年に大僧正へ任じられました。これにより初めて国家体制側の頂点にいた良弁らと公式な協力関係を結ぶことになりました。
後世の史料・伝承における親密さの描かれ方
『行基年譜』や寺社縁起における言及
平安時代末期から鎌倉時代にかけて編纂された『行基年譜』や各寺院の縁起(由緒)においては、大仏造営を共に行った縁から、東大寺以外の場所での共同説法や聖武天皇を交えた交流の説話が語られることがあります。しかし、これらは歴史的事実というよりは、後世に作られた伝承や説話の域を出ないと解釈されるのが一般的です。
「東大寺四聖」としての神格化
東大寺では、聖武天皇・行基・良弁・菩提僊那の4人を「東大寺四聖(ししょう)」と呼び崇めました。このように大仏建立という国家事業の象徴としてセットで称揚されたことが、二人が個人的にも親密な師弟や盟友であったというイメージを後世に強く定着させる大きな要因となりました。
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、
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