二月堂の大観音と小観音
- tootake
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二月堂は、東大寺金堂(大仏殿)の東方、坂道を上り詰めた丘陵部にあります。
二月堂の本尊は大小2体あり、いずれも十一面観音です。
1体は内陣中央に安置され、「大観音」(おおがんのん)と呼ばれ、もう1体は厨子に納められ、通常は大観音の手前に安置されているもので、「小観音」(こがんのん)と称されています。
大観音・小観音ともに絶対の秘仏で、修二会の法要を務める練行衆さえもその姿を見ることは許されていません。
修二会は旧暦の2月、現在では3月1日から14日までの間、執行されますが、その14日間のうち、上七日(じょうしちにち・前半の7日間)は大観音が本尊とされ、下七日(げしちにち・後半の7日間)は代わって小観音が本尊とされています。大小2体の本尊が存在する理由、修二会の前半と後半で本尊が交替する理由については明らかではありません。
大観音は、修二会の作法が行われる内陣の中央、4本の柱で囲まれた高い須弥壇の中央に立ち、修二会の期間中、須弥壇の周囲は椿や南天の造花、壇供(だんぐ、餅)などで荘厳されています。
小観音は宝形屋根の厨子に納められていますが、この厨子にはそもそも扉がありません。
厨子の下部には神社の神輿のような轅(ながえ、担ぎ棒)が付いており、この厨子は御輿(みこし)とも呼ばれています。実際に、修二会の上七日の最終日である3月7日の夕方には練行衆によって担ぎ出されます。
2月21日は「御輿洗い」と称し、厨子が礼堂に運び出されて、丁寧に拭き清められます。
拭き清められた厨子は、そのあと内陣に戻されますが、その際、大観音の手前ではなく背後に安置されます。
修二会の前半の上七日の間は大観音が法要の本尊となり、小観音は陰に隠れたままです。
ところが、3月7日の夕方から深夜にかけて「小観音出御」(しゅつぎょ)と「小観音後入」(ごにゅう)という儀式が執り行われ、にわかに小観音が主役となるのです。
「小観音出御」は3月7日午後6時頃から行われるもので、それまで大観音背面に安置されていた小観音の厨子が、いったん内陣南西の角に仮安置されて準備を整えた後、礼堂に運び出され、香炉、灯明、花などで供養され、厨子の前に置かれた机には壇供が積み上げられます。
その後、深夜0時過ぎには「小観音後入」が行われます。小観音の厨子の最下部には波を表す文様があり、雲に乗った観音の御正体(みしょうたい、銅鏡)が取り付けられている。これは、二月堂縁起のいう、生身の観音が海の彼方から難波津*へ来迎したという伝説を表すもので、小観音が補陀洛渡来の生身の観音と信じられていたことを意味します。
修二会の前半と後半で本尊が入れ替わることの意味については諸説ありますが、不明です。
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大観音は卑弥呼で、小観音は台与でないでしょうか。
修二会の前半と後半で本尊が入れ替わることの意味は、邪馬台国の大王が、卑弥呼から台与に代わったことを表しているのです。
東大寺は、行基と深く関係しています。そして行基と台与は、ふかく関係してきたことはこのブログで何度も述べてきました。→下記
そして実際に、東大寺造営に関与したのは、猪名部(為奈部)氏です。奈良時代に猪名部の工人が参加したというのは、一次資料で確実に確認できます。
猪名部(為奈部)氏については、第1104話:軽野神社:山の中の造船所で書いたように、
応神天皇(=台与)は「枯野」という船は高速船を持っており、その船に関係するのが、猪名部です。
猪名部(為奈部)は、木工技術をもって大和朝廷に仕えた渡来人たちによる職業部で、造船だけでなく、宮殿建築にも大変優れていた技術集団です。奈良の東大寺の大仏殿を建立したのは猪名部とされています。
天平21年(749)、陸奥国司・百済王敬福が献上した産金900両によって、奈良の大仏の鋳造が完成したことは有名です。第476話:金華山と百済王敬福では、次のように書いています。金華山の名はこの金花(華)「くがね咲く」から来ています。
そして黄金を発見したのは百済王:敬福配下の百済系鉱山師ではないかとも言われています。また、産出した金を朝廷に献上したのも百済王:敬福です。
敬福は従三位宮内卿・河内守に任じられ、百済王氏の居館を難波から河内(枚方市中宮:現在の百済神社)に移したとされています。
枚方市にある百済神社(百濟王神社)の祭神は、進雄命(=牛頭天王)です。牛頭天王の牛は鹿と同じく角があるので、スサノオのキーワードです。牛頭天王は=スサノオ(津田の王)です。第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
敬福は台与の父親であるウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米と関係があると思われます。
東大寺二月堂の「お水取り」の「竹送り神事」の松明に使われる竹は竹の産地である高ヶ峰で採られ、普賢寺谷の観音寺に集積され、東大寺二月堂まで送られます。「お水取り神事」で使われる長い竹先の松明は、大仏に施された金鍍金(きんめっき)の「水銀」を炙って昇華させる為のもので、回廊を駆け巡る炎はその姿を表したものです。
「お水取り神事」については、第741話:お水送り:若狭神宮寺・若狭彦神社
第742話:お水送り(2):遠敷明神と丹生都比売神で書いたように、台与と関係しています。
京都府京田辺市の普賢寺地区(観音寺周辺・近郊の竹林)から真竹が採掘されます。「高ヶ峰」も同地域の高船・普賢寺近郊に位置する山・地域を指しており、この周辺の竹林から掘り起こされます。
京田辺市普賢寺にある大御堂観音寺(普賢寺谷)に竹が集められます。ここで道中の安全や家内安全を祈願する法要(竹寄進法要)が行われ、竹に文字が入れられます。
毎年2月11日に「二月堂竹送り」という行事として、観音寺を出発した竹が奈良坂などを経由し、人々によって東大寺二月堂へ届けられます。
京都府京田辺市の普賢寺地区というのは、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米・台与と関係の深い地であることは何度も書いてきました。
第599話:彦狭知の物語(11)~椿井大塚山古墳
第606話:鉱物資源と邪馬台国(4)~椿井大塚山古墳
第1120話:筒城宮と水尾神社と上御殿遺跡
第1145話:梅宮大社と橘氏
これらのことにより、東大寺はウツシコオ・台与と深く関わっています。
東大寺を建てた行基と猪名部(為奈部)の人々の中に、台与の記憶が残っていると考えるは当然です。
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<蛇足の追記>
・三月堂
すぐ南には三月堂の通称で知られる法華堂があります。大仏開眼以前から存在した、東大寺の前身寺院があった場所である。
・正月堂
観菩提寺(かんぼだいじ)は、三重県伊賀市にあります。「正月堂」の名で親しまれています。
正月堂の修正会は、奈良東大寺二月堂のお水取り(修二会・しゅにえ)に先駆けて行われることで知られ、ここ正月堂が発祥の地ともいわれています。
*難波津は、第920話:秦王国は大阪で書いたように、邪馬台国の重要な拠点地です。
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・行基~このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。行基は台与を手本として日本各地で治水工事・稲作推進を行ったのです。
・龍厳寺~神奈川県川崎市多摩区堰 行基創建とも慈覚大師創建とも伝えられている。阿弥陀堂の阿弥陀如来は行基作とされています。行基は大阪府の南河内で溜池を数多くつくるなど土木工事の達人です。
<行基が登場した記事>
第634話:観音信仰と台与(7)~慈愍山観音寺(千葉)
第637話:観音菩薩と台与(9)~高浜神社・常光円満寺:吹田
第679話:伊豆美神社~東京都狛江市
第727話:hidemaru3375.com/post/山崎橋と邪馬台国 第754話:釈尊寺(布引観音)
第794話:葛井寺と王辰爾 第850話:hidemaru3375.com/post/槇尾山-施福寺
第865話:播州清水寺:法道仙人 第888話:開口神社の天狗
第915話:蘇我氏の真実(4)木羅斤資と昆支王 第997話:大興善寺~基肆郡(肥前風土記)
第1027話:天白磐座遺跡:静岡の台与 第1116話:財賀寺と砥鹿神社~愛知県
言い忘れていましたが観音は台与です。
第628話:観音菩薩と台与(1)~大聖観音寺
第629話:観音菩薩と台与(2)~法輪寺
第630話:観音菩薩と台与(3)~寂光寺:野崎観音:江口の君
第631話:観音菩薩と台与(4)~明尾寺
第632話:観音菩薩と台与(5)~鶴林寺
第633話:観音菩薩と台与(6)~佐井寺
第634話:観音信仰と台与(7)~慈愍山観音寺(千葉)
第635話:観音信仰と台与(8)金剛院 :摂津市味舌
第636話:大神木神社と卑弥呼~吹田市山田
第637話:観音菩薩と台与(9)~高浜神社・常光円満寺:吹田
これまでの記事はこちらです。
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※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
※台与とウツシコオのコンビは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。




ご指摘ありがとうございます。著者の主張の重要な前提部分ですね。
記事中で著者が述べている 「観音菩薩=台与」 という定義を踏まえると、二月堂の儀式(修二会)における文脈は次のように整理できます。
観音=台与という前提
著者は過去の記事から一貫して「日本各地の観音菩薩の伝承や信仰は、実は台与の記憶や足跡が形を変えたもの」と主張しています。
「小観音=台与」の構図
この前提を二月堂に当てはめ、「大観音=卑弥呼」「小観音=台与」 と比定しています。前半は陰に隠れていた小観音(台与)が後半に主役として躍り出る儀式(小観音出御)を通じ、「卑弥呼から台与への政権交代」を現しているというのが著者のメインの論旨です。
行基とのつながり
行基は「台与を手本にして治水や稲作を広めた」とされているため、行基が関わった東大寺の造営や儀式の中に、台与(=観音)の記憶が二月堂の本尊交替劇という形で暗号のように残された、というロジックに繋がっています。
「あらゆる観音信仰のルーツに台与がいる」という独自の軸があるからこそ、二月堂の大小観音のミステリーもその文脈で解釈されているわけですね。
修二会 - Wikipedia
徳道 - Wikipedia
良弁(ろうべん)と行基(ぎょうき)の関係については、歴史上の事実(史実)と、閲覧中のブログ記事における独自の解釈で捉え方が異なります。
史実における関係
師弟・協力関係: 良弁(689年 - 773年)は東大寺の開山(初代住職)であり、行基(668年 - 749年)は東大寺大仏の建立において民衆を率いて勧進(寄付集め)を行った最高責任者(大勧進)です。
大仏建立の二大立役者: 聖武天皇の勅願のもと、国家的な僧侶であった良弁と、民衆に絶大な人気を誇った民間布教の祖・行基が手を組み、東大寺および大仏建立という一大プロジェクトを成し遂げました。
閲覧中ブログ「二月堂の大観音と小観音」における文脈
ブログ内では、行基が「台与(とよ)を手本として民間に治水や稲作を広めた」という独自説のもとで語られています。
東大寺造営に関わった良弁や行基、建築を担った猪名部氏らの背景には、古代の台与やウツシコオ(難升米)の記憶が継承されており、それが二月堂の修二会(お水取り)の儀式に反映されているという文脈で位置付けられています。
史実としては「東大寺建立を共に支えた奈良時代の高僧同士」という関係になります。
表示されているWebページ「二月堂の大観音と小観音」についての評価・レビューです。
コンテンツの独自性と魅力
独自の大胆な説: 東大寺二月堂の「大観音・小観音」の交替劇を、卑弥呼から台与への政権交代と結びつける独自の古代史仮説を展開しており、読み物として非常にユニークで知的好奇心を刺激します。
豊富な根拠付け: 地名、行基の足跡、猪名部氏、百済王敬福、お水取りの「竹送り神事」など、複数の歴史的要素や地域伝承を網羅して自説に繋げており、著者の圧倒的な情熱と調査量が伺えます。
継続性: 1100話を超える連載記事(個人ブログ)の一部であり、一貫したテーマ(「邪馬台国=大阪府枚方市説」など)に基づいて積み重ねられている点が個性的です。
記事としての注意点(学術的観点)
通説とのギャップ: 学術的な歴史学や考古学の通説・定説とは大きく異なる「トンデモ説/民間伝承的アプローチ」の側面が強い内容です。学術論文や客観的な歴史資料というよりは、エンタメ要素のある個人考察コラムとして読むのに適しています。
飛躍的な推論: 「応神天皇=台与」「敬福=ウツシコオ=スサノオ=難升米」など、独自の等式定義が多く用いられているため、著者の前後の記事や前提知識がないと論理展開を追うのが難しい部分があります。
サイトの構成・デザイン
情報整理: 過去記事へのリンクや目次が充実しており、膨大な記事数に対してナビゲーションを配慮した作りになっています。
視認性: テキスト中心の構成ですが、太字や区切り線を効果的に使って読みやすさを保っています。
東大寺の法要や観音信仰の伝承をベースに、型にはまらない古代史ロマンを楽しめる個人ブログ記事として高く評価できます。
<台与シリーズ>
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