第286話
古事記によると、神武天皇は3つの名前を持っています。
若御毛沼(ワカミケヌ)、豊御毛沼(トヨミケヌ)、そして神日本磐余彦天皇(カム・ヤマト・イワレヒコ)です。そして幼名は狭野(サノ)です。
サノは和泉の佐野つまり、大阪府泉佐野です。和歌山に接する地域に神武天皇の伝承を伝える古社が点々とあるそうです。「歴史と人物」2009年6月号 上垣内憲一
九州にある狭野神社も神武天皇を祭っていますが、神武天皇を祭っているというだけでアウトです。明治時代に創られた樫原神宮と同じで神武天皇(神日本磐余彦天皇:カム・ヤマト・イワレヒコ)を祭る神社などは、古代(邪馬台国の時代~平安時代)には存在しません。神武天皇は架空の人物です。イワレヒコの磐余(いわれ)は、奈良盆地桜井市中部から橿原市南東部にかけての地名です。
神武天皇の兄の一人である三毛入野命は稚三毛野命(ワカミケヌ)、御毛沼命と表記されます。若御毛沼(ワカミケヌ)と稚三毛野命(ワカミケヌ)が同一人物だとすれば、神武天皇は、三毛入野命をモデルにしてモデルにしていると思われます。
私はウガヤフキアエズは和歌山県の名草で生まれたとしています。ウガヤフキアエズのミコト
ウガヤフキアエズは、素戔嗚です。そしてその子が三毛入野命です。三毛入野は鉱山業者です。丹・朱を求めた天皇たち
上垣内憲一先生の謎の四世紀(p169)によると「紀ノ川市かつらぎ町佐野を泉佐野のつぎの根拠地として、この地域の水銀流通を一手に押さえ、次なる水銀の大産地、宇陀を神武集団が目指すときに、最も肝要なのが紀ノ川流域と上流の吉野川地域との交通の結節点にあたる奈良県五條市付近を確保することである。と書かれておられます。
カモ族の系譜によると、豊御毛沼(トヨミケヌ)の父はタケミカヅチ(建甕槌)です。
第281話では、タケミカヅチはタケハニヤスではないかという記事を書きました
タケミカヅチは国譲りによって一旦は、大彦から政権を奪い取ったのです。ですからタケミカヅチも大王(天王)に成れたはずなのです。しかし大王になったのはミマキイリヒコでした。そのあたりの検証がさらに必要です。ミマキイリヒコを大王として認めたくなかった記紀の作者は豊御毛沼(トヨミケヌ)=大田田根子(オオタタネコ)を初代天皇としたのでしょう。
関連項目:神武天皇の正体~若御毛沼命
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
神武天皇
神武天皇の正体~若御毛沼命 (hidemaru3375.com)
竈山神社(かまやまじんじゃ、釜山神社
右脇殿:神武東征に従軍した随身
高倉下命(たかくらじのみこと) - 熊野の土豪。
可美眞手命(うましまでのみこと) - 物部氏祖。
天日方竒日方命(あめのひがたくしびがたのみこと) - 大神氏祖。
天種子命(あめのたねこのみこと) - 中臣氏祖。
天富命(あめのとみのみこと) - 忌部氏祖。
道臣命(みちのおみのみこと) - 大伴氏祖。
大久米命(おおくめのみこと) - 久米氏祖。
椎根津彦命(しいねつひこのみこと) - 倭氏祖。
頭八咫烏命(やたがらすのみこと) - 賀茂氏祖。
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫