top of page
  • tootake

神武天皇は伊香色雄命

更新日:4月27日

第285話


牧尾一彦氏の「邪馬台国と神武天皇」は700ページを超える超大作です。その中で牧尾氏はカモ祖族系譜をもとに、オオタタネコこそが神武天皇のモデルとなった人物であるとされています。


私は第238話出雲醜大臣命はオオタタネコ という記事を書きました。この出雲醜大臣命はイカガシコオ(伊香色雄命)です。ということは、イカガシコオ=神武天皇(のモデル)ということになります。


枚方フィルハーモニーの練習場である伊加賀(イカガ)小学校の付近に住んでいたされるイカガシコメ、イカガシコオは、あの難升米すなわちウツシコオ(内色許男命=大綜麻杵)の子です。内色許男命の後、崇神朝で大臣になったと思われます。私がこのプログを書き始めるきっかけになった人物です。伊香色雄命(イカガシコオ)~枚方市伊加賀

ということは、オオタタネコ=神武天皇=イカガシコオとなります。

イカガシコオはウツシコオの子です。国譲りでは、ウツシコオ(高木神:高御産巣日神)の子であるイカガシコオを差し置いて、ミマキイリヒコを即位させます。天降臨です


天照大御神と高木神(高御産巣日神)は、天照大御神の子である天忍穂耳命に、「葦原中国平定が終わったので、以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」(「今平訖葦原中國矣 故汝當依命下降而統之」古事記)と言った。


天忍穂耳命は、「天降りの準備をしている間に、子の邇邇藝命が生まれたので、この子を降すべきでしょう」(「僕者將降裝束之間 生一子 其名天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命 此子應降也」『古事記』)と答えた。邇邇藝命は、天忍穂耳命と高木神の娘の万幡豊秋津師比売命との間の子である。それで二神は、邇邇藝命に葦原の中つ国の統治を委任し、天降りを命じた。


天忍穂耳命がイカガシコオで、邇邇藝命(ニニギ)がミマキイリヒコでしょう。高木神はウツシコオで、天照大神はウツシコメ=卑弥呼です。何故、イカガシコオは即位できなかったのでしょう。イカガシコオは結構優秀な人物だと思われます。

記紀によると崇神天皇7年に大物主神を祀る「神班物者」(かみのものあかつひと)に任じられたと伝えられています。伊香色雄命(イカガシコオ)~枚方市伊加賀


ミマキイリヒコの方が更に優秀であったのです。私は崇神天皇こと御牧入彦(ミマキイリヒコ)菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)ではないかと何度か書いて来ました。ウジノワキノイラッコは非常に賢い子であったらしく、漢文の書物をすらすらと読みこなせたそうです。


記紀の元資料となる記録(古事記・日本書紀とQ資料 )を残したのは、イカガシコオだと思っています。イカガシコオは、本当は大王になるべきはミマキイリヒコではなく自分だと思っていたのかもしれません。それで、初代天皇=ハツクニシラス・スメラミコトはミマキイリヒコではなく、神武天皇=イカガシコオだといういうことが言いたかったのかもしれません。


ハツクニシラス・スメラミコトとは始馭天下之天皇=神武天皇、御肇國天皇 = 崇神天皇

です。


※神武天皇は、架空の天皇で実在した人物をモデルにしていると思われます。上記の記事は机上の論理です。実際にイカガシコオ(伊香色雄命)が天皇(スメラミコト)であったとは全く思っていません。こういう考え方もあるということを言いたかっただけです。


  次回に続く。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。





      枚方市立伊加賀小学校


閲覧数:69回2件のコメント

最新記事

すべて表示

2 Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Apr 11
Rated 5 out of 5 stars.

即(すなは)ち意富多々泥古命(おほたたねこのみこと)を以ちて神主(かむぬし)と為(し)て、御諸山(みもろやま)に意富美和之大神(おほみわのおほかみ)の前を拝(いつ)き祭りたまひき。又伊迦賀色許男命(いかがしこをのみこと)に仰(おほ)せて、天(あめ)の八十(やそ)びらか(=平らな土器。平たい皿様の器)を作り、天神地祇(あまつかみくにつかみ)を定め奉(まつ)りたまひき。

そこで、物部連の先祖伊香色雄を神班物者(かみのものあかつひと)にしようと占うと吉(よ)しと出て、またついでに他神を祭ろうと占うに、吉(よ)からずと出た。

その後、天皇は伊香色雄に命じて、物部のように沢山ある平瓮(ひらか)を祭神之物(かみまつりもの=神祭の供物)とされ、大田田根子を大物主大神の祭主にしたという。これにより、疫病は収まり、国内も鎮まり、五穀が実って、百姓は賑わった。


.UgEWa2A9vdG8Kv

Like

bottom of page